天使=死神の定理


 

天使か死神か

 俺には両親がいない。それが原因で嫌がらせをされた経験が無いでもない。でもそれが嫌がらせ以上に発展したことは無かったんだ。だって俺に危害を加えようとした奴はみんな不幸になる。気づいたらいつの間にかいなくなっている。それが何故かなんて考えもしなかった。だってそうだろ?鬱陶しいのがいなくなっただけだ。俺はまた平穏な日常を送るだけ。でも、本当にそうか?本当は気づいていたのかもしれない。気づかない振りをしていたのかもしれない。こいつとの関係を壊したくなかったから…。 「考え事か?」 「別に。」  お前のことを考えていた。 「俺の天使はかっこいいな。って、話?」 「確かにかっこいいな。名前がテンテンだけどな。」 「誰が付けたんだよ、誰が。」 「幼稚園児のネーミングセンスなめんなよ。」  俺は天宮高志一七歳、男。こいつはテンテン、天使だ。俺の家では先祖代々天使を使役している。なんでも昔々の先祖様が天使と恋に落ちて契約を結んだのが始まりだとか。一族のものが自ら運を作ることができなくなる代わりに、代々天使が仕えて守り、運を供給する契約。母さんが亡くなったその日、俺にも天使がやって来た。当時五歳だった俺は彼をテンテンと名付けた。それがこいつ。  天使を使役しているからといって。普通の人と違う生活を送るなんてことは無い。だから学校にも行く。今日もいつも通り登校してきた。  運動部の朝連を眼の端にとらえながら玄関を目指す。吹奏楽部の朝練が聞こえる。演目は「山寺の和尚さん」コミカルなリズムを聞きながら残酷な歌詞を口ずさむ。朝のまだきれいな玄関口を過ぎて下駄箱から上靴を取り出す。いつもと変わらない行動。いつもとと違うのは上靴に引っかけた指がチクリと痛みを感じたこと。床に落ちた上靴から鈍い光が覗いていた。     ああ、今度は誰が不幸になるのだろう。  教室に入ると幼馴染の美樹が近寄って来た。こんな不愛想な俺と友達でいる変わった女。 「おはよ、タカ。」 「…はよ。」 「ん?どした?なんか機嫌悪い?」 「…別に。」  おざなりに返事を返すと美樹は肩をすくめて女連中の輪に入って行った。美樹のいなくなった空間の向こうでちらちらとこちらを窺い見ているやつがいる。確か山根とかいう名前だったか。テンテンの碧い瞳が一瞬鈍く光ったように見えたが気づかない振りをした。  次の日。今日も上靴に画鋲が入っていた。置き勉していた教科書にカッターの刃が仕掛けられていた。  「――っ!」  薄く切れた指先から溢れて来た血を眺めていたら、テンテンがその手を取って傷口を口に含んだ。驚いて顔を上げたら、テンテンと目が合って、その瞳の碧を酷く冷たく鋭く感じて、痛みに耐える振りをしてきつく目を閉じた。  ******  時刻は五時半。初夏のこの時期、まだ空は明るいが、すぐにオレンジの光に包まれるだろう。高志は帰宅部だ。だからいつもならとっくに帰っているはずの時間。今日帰りが遅れたのは学級委員長の美樹に体育祭関連のアンケートの統計を手伝わされていたからだ。学校から家まで自転車で約三十分。帰ったって待っている人がいる訳ではない。なんとなくまだ家に帰りたくなくて自転車を押して歩いた。   罵声が聞こえた。何事かと声のもとを探すと山根が男に絡まれていた。男の顔は赤く上気しいて、吐き出される息に山根は顔を顰めていた。どうやら、さっきの声の主はこの酔っ払いらしい。これがあいつの不幸。今回の不幸は軽かった、そう思った。酔っ払いがまた何か罵声を上げて山根を突き飛ばした。山根は勢い余って車道に飛び出した。  山根が死んだ。俺の目の前でトラックに引かれた。誰がどう見ても即死だった。散る肉片が厚い花びらのようで、その一瞬がスローモーションに見えた。コマ送りの画が高志の脳裏に焼き付く。  彼の家族が彼だったものの欠片を泣きながら回収するのを見て、驚いた、そして怖くなった。今まで俺にちょっかいを出してきたやつで大けがをしたやつはいても、死んだのは彼が初めてだった。  山根の葬式にはクラスの数名と、山根と同じ部活のやつが出ることになった。俺は葬式に出る気なんかなかったのだが、美樹がどうしてもと言うからついて行くことにした。学級委員だから出なきゃいけないけど、知らない人ばかりの辛気臭い所に一人でいたら胃が痛くなるから、だそうだ。  葬式に出ると言っても、お焼香をして帰るだけだった。短い時間だったが、参列している間、俺はずっと下を向いていた。誰とも目を合わせたくなかった。  家に帰ると当然の事ながら、俺とテンテンの二人きりになった。 「なあ。」 「なんだ。」 「あれ、お前がやったのか?」 「何のことだ?」 「お前が山根を殺したのか。」 「そう思うか?」  一瞬テンテンの瞳が揺れて、戸惑いの色を宿したが、明後日の方向を向いていた高志は気付かなかった。 「思う。」  導き出した答えが高志の深いところを締め付ける。 「殺してない。」 「嘘だ。」 「嘘じゃない。」 「嘘だ!上靴の画鋲も、教科書の剃刀もあいつだろ!俺にちょっかい出したから、だから殺したんだろっ!」  束の間、静寂が部屋を支配した。 「…どうしても。俺を信じないのか。」 「信じられるかよ、今までもしてきたんだろうが!俺がそんなこと臨んでるとでも思ったのかよ!大きなお世話だ!人 一人殺しておいて何が天使だ!お前みたいな死神いらない!どっか行っちまえ!二度と俺の前に顔を見せるな!」 「高志は俺がいらない?」 「いらないっ!」 「…そうか。」  そう言ってテンテンは消えた。消える瞬間、彼の美しい顔が悲しみで歪んだ。  テンテンがいなくなった部屋で、一人膝を抱えて泣いた。後から後から涙が溢れてきてどうしようもなかった。心臓に風穴が開いたみたいに、心が冷たくなってじんじん疼いた。 ******  それから数日が過ぎた。教室の雰囲気も山根が事故に遭う前となんら変わらなくなった。家と学校を往復する毎日。今までと違うのは隣にテンテンがいないこと。  何も無い空間に向かって話し掛けてしまうことがある。そこはこの前までテンテンがいた空間。でもすぐ慣れる、忘れられる。忘れないと…。 「高志君。」  梅雨に片足を突っ込んだ季節。今日は朝からずっと雨。じめじめしていて気持ちが悪い、そんな日。校門の外に伯父がいた。  天宮博次、父さんの兄で俺の保護者だ。俺は都内の高校に入ったのを機に、一人暮らしを始めたが、時折様子を見に会いに来てくれる。 「どうしたんスか、急に。いつもは連絡してくるのに。」 「美樹ちゃんに、君が元気がないと聞いてね。」  そう言って博次は高志の隣の何も無い空間を見詰めた。そこはこの前までテンテンがいた空間。 「場所を変えないか。」  そう言って歩き出した博次の後ろを俺は無言でついて行った。  学校からそう遠くない森林公園。雨の日の平日、人はあまりいなかった。それでも博次の足は止まらず、人の気配すらしないような錆びた手すりに囲まれた沼のできそこないみたいな池の前でようやく止まった。 「テンテンがいなくなったんだってね。リリーが教えてくれたよ。」  リリーは博次の天使だ。 「…あんなやつ、いなくなって清々してる。」 「本当に?」 「…。」 「…リリーは。僕の天使は可愛いと思わないかい。」  可愛いと褒められて、リリーが嬉しそうに博次の周りを飛び回る。 「僕はね、世界で一番リリーが愛おしい。…君は、そうではなかったのかな。テンテンが、好きではなかった?」 「俺は…あんな奴。好きじゃ…ない。」  高志は吐き捨てるようにそう言うと、俯き眉を寄せ、きつく唇を噛み締める。まるで何かに耐えるように。 「どうして。」 「だって、あいつは…っ!」 「あいつは、人を死に至らしめたから?」 「……。」 「彼がそう言ったのかい?」 『お前が山根を殺したのか。』 『殺してない。』 『信じられるかよ、お前みたいな死神いらない!どっか行っちまえ!二度と俺の前に顔を見せるな!』  消える寸前の悲しげな顔が蘇る。あいつは殺していないと言った。あれは――――本当? 「天使はね。運を作り出す事のできない僕たちに幸運な人たちの運を少しずつもらって与えてくれるんだよ。それによって傷ついてしまう人は本来いない筈なんだ。彼は故意に君のクラスメイトから多めの運を奪った。でもそれは死に至らしめるほどのものではなかったんだ。彼が亡くなってしまったのは、何と言うか…、不運が重なったとしか…。」  愕然とした。テンテンは嘘なんてついていなかったんだ。  あいつを信じなかったのは、あいつを一方的に突き放したのは…俺だ。 「君には、お母さんと同じ過ちを犯してほしくない。彼女はすべての天使を否定してしまったから…。――テンテンは、消えるよ。」 「え!?」 「必要とされなくなった天使は消えてしまう。…そして次の天使が遣いに来る。」 「…な、なんで。」  やっと、やっと分かったのに。俺がいけなかったって分かったのに。やり直そうと思ったのに。なのに、次の天使なんて… 「…いや、だ。テンテンじゃなくちゃ。…テンテン!テンテン―――っ!!」  高志は傘を手放し、天に向かって叫んだ。それは心からの叫びだった。 「高志!」  高志の体が白い光に包まれる。聞こえたのはあの艶やかな声。 「…テンテン!」  高志はテンテンの腕の中にいた。おじさんの姿はもう見えない。雨音も聞こえない。二人はテンテンの大きなはねに包まれて、世界には自分達しかいないような錯覚におちいる。高志は背後から回されたテンテンの手に自分の手を重ね、きゅっと力を込めた。この手が離れないように。もうどこにも行かないように。 「泣いてるのか。」 「泣いてねえ!見んな!」  テンテンは顔を覗く代わりに震える肩に顔を埋め、腰に回した腕の力を強くした。 「…寒かったんだ。」 「汗ばんでるぞ。」 「違う、そうじゃない。…お前がいない間ずっと寒かった。…ここが。」  そう言って掴んだ手を胸に当てた。 「今は寒くない。…暖かい。」 「高志、…何処にも行かない。もう寒い思いなんかさせないから。」  テンテンは優しく囁くと高志の体を反転させて、正面から抱き締め直した。 「…高志。高志、高志。…大好き。…高志は?俺のこと、好きか?」  高志は真っ赤になった顔を隠すようにテンテンの肩に埋め、テンテンを抱きしめ返した。 「…好き。」 「俺が必要か?」 「必要だ!」  ――だっておまえは、俺だけの…天使。





 

デュエルレター

 久しぶりにテンテンと共に登校すると、靴箱に手紙が入っていた。 「ラブレターか?」 「さあ。」  テンテンが覗いてきた。俺だって思春期の男子だ。平静を装いつつも内心ドキドキ。 「心臓ばっくばっくいってんだけど。」 「うるせえよ。」  胸に触れて来たテンテンの手を剥がして手紙の封を切る。 『今日の放課後校舎裏にて待つ。』  ――それだけ? *******  「あれ、戻って来たんだ。」  教室に着くと、美樹に声を掛けられた。丸顔で、大きな目をしている。可愛いの部類に入るだろう。こいつとは、まだ俺の母親が生きていた時からの腐れ縁だ。 「良かったじゃん。タカ最近元気無いから、これでも結構心配したんだよ。」 「おい、ちょっと待て。…何が戻って来たって?」  元気がか?いや、文法的におかしいだろう。でも俺は学校を休んでいないから俺でないことは確かだ。 「え?だから、そこの超絶美形のお兄さん。」  俺は俺たち以外に誰か居るのかと思い、後ろを見やった。テンテンも同じらしく同時に振り返ったが、教室の後ろの黒板のくだらない落書きとしわくちゃの体育着やら漫画やらが詰め込まれたロッカーの他には何も無かった。  再び美樹に視線を戻すと、美樹はある一点を見詰めていた。その先ではテンテンが目を丸くしている。俺だって驚いた。きっと大層なアホ面になっているに違いない。――って、そうじゃなく! 「いつからっ!」  思わず出てしまった大声にクラス中とはいかないまでも、多くの視線を集めてしまったことに気付き、慌てて声のトーンを下げる。 「いつから知ってた?」 「タカのお母さんのお葬式の日。」 「それっておまえ、最初からじゃねえか!」 「へえ、そうなんだ。」 「そうなんだって…。だいたいなんでこいつが見えるんだ?一族の人間にしか見えない筈だぞ。」 「あれじゃない?霊感強いとか。」 「霊じゃない、天使だ。」 「じゃ、天感。」 「そんな言葉は無い…。今まで何も言って来なかったじゃないか。気にならなかったのかよ。」 「えー。だって、ちっちゃい頃から見て来たからもう日常風景化しちゃって。タカも何も言って来ないし、良いかなって。」 「おまえって…。」  ――そういうやつだよ。  大きく息を吐き出し、脱力した俺に、美樹は留めの一発とばかりにこう言った。 「それにいつもイチャついてるから邪魔しちゃ悪いと思って。」 「何処をどう見てそうなった――っ!!」  俺は今度こそクラス中の視線を浴びることとなった。 ******  「今俺は非常に不愉快だ。」  放課後の校舎裏。待っていたムサイ男三人を前に、昼間の美樹との会話を思い出していた。 『何それ』 『下駄箱レター。』 『ラブレターかデュエルレターのどっちかね。』 『デュエルレターってなんだよ。』 『愛しの天宮高志キュン。今日の放課後校舎裏に来てくれると嬉しいな、きゃはっ。が、ラブレター。我が宿敵天宮高志、本日の放課後校舎裏に来たれよ。ぼこぼこにしてやるぜ、がはははは!!が、デュエルレター。』  目の前の男どもの誰かが俺のことを…。なんてことはあるまい。いや、あったら尚更嫌だが。 「俺はお前が気に入らねえ!」  とか言ってるし。指ボキボキいわせてるし。やる気満々だし。どうやら下駄箱レターはラブレターではなくデュエルレターだったらしい。だがしかし、  ――こいつら誰だったかな…。 「俺のミキティにちょっかい出しやがって!」  フィギュアか!!って、違う。美樹のことか。 「おまえの目、腐ってんじゃねえのか?俺とあいつはただの幼馴染だぞ。」 「うるせえ、うるせえ。いつも一緒にいやがって、今日なんか一緒に昼飯食ってただろ!ミキティのけつばっかり追い掛けやがって!」  美樹がもっとテンテンと話したいって言って来たんだ。 「親密そうにしやがって、二人だけの秘密とかあるんだろ!?」  三人だけの秘密ならあるな。 「俺だって秘密共有してえよ!」  やつあたりだろ。なんか面倒くさいな。とか思ってたらテンテンが袖を引っ張って来た。ちらっとテンテンを窺うと、にやっと笑いかけてきた。しょうがねえな。ちょっとだけだぞ、と頷いてやると 「そうこなくっちゃ。」  と心底楽しそうに言った。  相手にされていないと勘違いしたのか、男どもが殴りかかって来た。 「すかしてんじゃねえぞ!」  と、そこに何処からともなく野球ボールが飛んできた。先頭がそれを踏んでこけ、二人目の足を引っ掛け、三人目も急には止まれず、ばたばたばたとほぼ同時に倒れた。――人間ドミノ…。 「う、うぐう。貴様何をした!?」 「いや、俺はなにもしてないだろう。」  テンテンがお前らの運をちょこっと貰っちゃったけど。  そして駄目押しの如く今度はサッカーボールが飛んで来て、そいつの脳天を直撃した。しかもその勢いでコンクリートの地面に顔面を強打した。すごく痛そうだ。男どもが起き上がる前にさっさと退散することにする。  裏校舎から駐輪場までの道は人影もなく、ただ外部の声や吹奏楽部の練習なんかが混ざり合い、意味を持たない音となって聞こえて来た。 「ラブレターじゃなくて残念だったな。」  テンテンがからかうように言ってきた。心なしか碧いめがキラキラしている気がする。密かにその目をジャイアンアイズと名付けた。 「別に、女とか興味ないし。」  そっけなく返すと、首に手が回ってきて、背中からのしかかられた。重さは感じない。慣れ親しんだ体温だけを感じる。 「男には興味あるのか?」 「そんな訳あるか。」  軽口を叩いているといつの間にか駐輪場に着いていた。不意に声を掛けられた。美樹だ。 「やっぱりイチャついてるじゃん。」 「は、離れろ!」  慌ててテンテンを引き剥がしたら、二人が楽しそうに笑った。  くっそー、なんか悔しいぞ。





 

ラブレター

 下駄箱を覗くとそこには一通の手紙が鎮座していた。 「…またか。」 「そうだな。」 「離れろ。」 「嫌だ。」  俺の背中にへばり付いているのは、天使のテンテン。おんぶお化けではない。例の喧嘩(?)以来いつもこんな感じ。もう、捨てたりしないってのに。  テンテンは放っておいて、手紙の封を切る。そこには――    天宮高志くんへ  私は、2組の綾坂です。今日の放課後、校舎裏で待ってます。迷惑かな?でも、来なくても待ってます!  これは、まさか、ほんとの、本物の―― 「――LOVE LETTERね!」 「ぅわぁぁアアアアアっ!!」  急に声を掛けられた高志は思わず変な声を出した。 「今日も良いイチャつきっぷりで、なによりなにより。」 「テンテン、はーなーれーろー!」 「いーやーだー!」  こいつは幼馴染の美樹。神出鬼没だ。何故かテンテンが見える。本人曰く天感が強いらしい。 「このラブレターがこれからの二人の関係にどう関係していくのか――見もの!」  美樹、握り拳。 「っせ!」  とりあえずゲンコツ。俺は女子供にだって容赦しない。  放課後 「好きです!お付き合いしてください!」  下駄箱レターは今度こそ本当にラブレターだった。 「えー、…あの」 「…やっぱり駄目ですか?美樹ちゃんと付き合ってるんですか?」 「だ、誰とも付き合ってねえよ!」  こいつ、なんて事を言いやがる! 「良かった!じゃあ、OKですね!」 「はあ、おい!ちょっと!?」 「では、また明日!MYダーリン!」 「おい!」  ――誰も付き合うなんて言ってないだろうが……。  綾坂は恐るべき自己中だった。 ******  「高志くーん!」 「げ、綾坂!」  こいつは綾坂、俺と高志の仲を引き裂こうとするふてえ野郎(女)だ。告白の後、休み時間ごとに高志に会いに来る。この暇人がっ! 「テンテン、ご機嫌斜めだね…。」  美樹が心配そうに声をかけて来た。もともと美樹よりテンテンの方が背が高い上に、テンテンが宙に浮いてるものだから、自然と美樹は上目使いになる。テンテンは美樹の仕草の可愛いのと、高志を綾坂に取られた今、自分の相手をしてくれるのは美樹しかいないという寂しさから勢い余って美樹に抱きついた。――ら、高志と目があった。 「あーっ!!高志君美樹ちゃんのこと見てたでしょ!?」 「見てねーよ!!」  だってテンテンが…。  いや、別にテンテンが美樹と仲良くしてたって、良いだろ俺。でも、なんだ?ーームカつく。  「テンテン、あんま美樹にベタベタすんなよな。」  綾坂に捕まる前にとそそくさと学校を後にした帰り道、ようやくテンテンと二人きりになれた。 「なんだよ、妬いてんのかぁ?」  おまえは綾坂にばっかり構ってるくせに。テンテンは、胸に黒いどろどろした物を感じていた。  分かってる、妬いてんのは俺の方だ。 「はあ、妬いてねーし。」  憎まれ口を叩きながらも、頬を染める主人に、テンテンはほんの少し溜飲を下げた。  すると後方から甘ったるい声が聞こえてきた。 「たーかーしーくーん!!」  綾坂だ。 「もうっ!ひどいよ高志君、まゆみを置いて行っちゃうなんてぇっ!」  綾坂が高志にべったりと張り付いた。心のもやもやが復活した。意識が闇に飲まれる気がした。    俺は何を考えいているんだ。  高志が綾坂を相手にしてないなんて分かってるんだ。  高志の周りに人が増えるのが気に入らない?  そんなわけ…  高志が人と関わっていくのは良いことだ。  分かってる。  分かってるけど――じゃ、この感情は?  「テンテン?どうかしたか?」  不意に話しかけられ、テンテンは覚醒する。見慣れた場所。テンテンと高志のマンションだ。   テンテンは思う、この醜い心が彼に知られたら…。  「なぁ高志。俺、しばらく実家に帰ろうと思うんだ。」  そんで頭を冷やしてくるよ。 「はぁ!?実家って、お前の実家か?」 「あぁ。」 「何でまた急に…」 「急にって言うか、今までが普通じゃないんだ。他の天使は割とちょくちょく帰ってる。俺は、お前を一人にしないために残ってただけだ。」 「…そう、なんだ…?」 「じゃ、帰るわ。」  そう言って早速飛び去ろうとするテンテン。 「え!?今かよ!?」  部屋には高志一人が残された。  最近テンテンの機嫌が悪いのは何故だろう。  テンテンの機嫌が悪いのはいつからだろう。  無理して作った彼の笑顔が高志の頭から離れなかった。 「高志君おはよっ!!」 「…ああ、綾坂か。」 「あれ?高志君元気無い?」  元気が無いわけでは無い。テンションが低いだけだ。…それって元気が無いのか?  悶々としていると美樹が近づいてきた。今登校してきたらしい。 「タカ、テンテンは?」  第一声がそれかよ。高志は少々複雑な気分になった。 「里帰り。」 「テンテンって何?」  綾坂が身を乗り出す。高志のことに関して、美樹より知識が劣っているのが気に食わないのだ。  高志が黙っていると、美樹が爆弾発言をかました。 「タカの最愛の人だよ。」  高志が吹き出した。 「誤解を招く言い方をするな!!」  美樹につかみかかる勢いで怒鳴り散らす。 「えっ、違うの?」  キョトンとする美樹。  高志はただ口をパクパクさせた。  違うのかと言われると違くはないのだ。俺が一番好きなのはあいつな訳で…。いや、でもそれはそう言う意味じゃなくて、そう言う意味?そう言う意味ってどういう意味だ!?  顔を真っ赤にして思考に溺れる高志に、美樹が意地の悪い笑顔を浮かべた。もちろんその目はジャイアンアイズ。 「も~、そんな盛大にのろけないでよ~。」 「――っ、誰が!!」  いつのろけったて言うんだ! ******  ここは天上世界。辺りは光に包まれ、足下の雲は淡く色付いている。少し向こうのミルク色をした川では宝石を散りばめたようにきらきらと輝く川底が所々除いていた。 「若様よ、若様が帰って来たわ。」 「お帰り若様。」 「若様お帰り。」  テンテンが里帰りをすると天使たちが口々に挨拶をしていく。しかしテンテンはそれらの声に答えることもせず、一目散に自室へ向かうと、結界を張って閉じこもってしまった。  B舎中央に位置する階段を、三階より上へと上がっていくと、立ち入り禁止の張り紙が赤テープに張り付けてある。しかしその張り紙を越えた先にある鉄の扉の鍵は…実はずいぶん前から壊れていた。 「高志君、みーつけた!」  高志は綾坂に一瞬目を向けると、また一人黙々と弁当を食べ始めた。 「高志君いつもこんな所でお弁当一人で食べてるの~?」  昼飯はテンテンと二人の時間だったんだけどなあ…  綾坂は黙り込んでしまった高志の正面にちょこんと座り込んだ。  風が吹いた。彼女が髪を押さえて少し眉を寄せた。 「高志君はさあ、いつもどこを見てるの?」  髪を押さえたまま呟く彼女の瞳は陰って見えるのに、不思議な光を宿して見える。 「まゆみね、高志君の瞳に惹かれたんだ。他の人とは違うところを見てる気がしたの。…でも、違ったのかなぁ…。」 「どういう意味だよ。」 「だからね、高志君は同学年の男の子達と何ら変わらなくてぇ、遠くを見るような目の先にはいつもテンテンがいて。…ただの恋する青春男子だったのかもって。」  そう言っていつもみたいに人なつっこい笑顔を浮かべた。 「何だよ、青春男子って。てゆうかテンテンはそういうんじゃないって!…なんて言うか……家族、みたいな?」  高志が曖昧な返事をすると、階段へと続く扉が勢い良く開いた。  バンッ 「ギャーッ!!」 「イヤーッ!!」  思わず飛び上がる高志と綾坂。 「そんないつまでもハッキリしないタカに恋愛チェックシートだよ!!」  手書きのプリントを持ってやってきたのは美樹だった。  「で、おまえの質問に答えろと。」 「そうだよ!そしてタカのテンテンへの想いが恋愛感情なのかどうか明らかにするのっ!」 「まゆみも、そう言うことはハッキリさせた方がいいと思う!他に好きな女がいるって言うなら、まゆみだって…」 「いや、テンテンは男だから!!」 「え?テンテンは男じゃないよ。」  高志が固まる。 「はい?今何と?」 「いやあ、私もこの前知ったんだけどね。ほら、最近タカが綾坂さんとばっかりいてテンテン相手にしてあげないからその時、何となくそう言う話になって…」  そこでチラッと綾坂に目を移す。綾坂がキョトンとしている。 「男だとか男じゃないとか…、テンテンっていったい何者?」 「天使。」  美樹、その返事はないだろう。 「はあ!?あなたたち頭おかしいんじゃないの?」 「天使に性別は無いんだって。男に見えるのは、そういう形を取ってるだけであって、でもだからといって女の形を取ろうと思ってもやれるものじゃないけど、って言ってたよ。」 「だから天使ってなによ!!」 「もう、テンテンが何かなんてどうでも良いじゃん。今はとりあえず高志の気持ちが知りたいんだから。」  いや、どうでも良くは無いだろう。 「まあ、それもそうね。それは後でも良いか。」  良いのかよ!! 「でしょ。」  おい!!  「気を取り直して、質問タイムよ!あ、気になることがあったら綾坂さんも質問OK。」 「うん。」  そこで、咳払いを一つ。まじめな声音で美樹が一つ目の質問をしてきた。 「では率直に。テンテンとはどこまでいってるの?」 「何もねぇよ!!」  いきなりそんな質問かよ! 「まあ、なにかあったらこんなシート意味ないよね。」 「おまえなぁ。」  どこまでもマイペースな美樹に高志は心底あきれた声を出した。 「じゃあさ、一緒に寝る?お風呂はいる?」 「毎日一緒に寝てるし、風呂も入ってるけど…。家族愛かもしれないだろ!!」 「家族でもやらんよ。」  美樹と綾坂の視線が痛い。 「いつもテンテンのことを考えてる?一緒にいないと落ち着かない?思わず目で追っちゃう?」 「……」 「あたりか。」 「い、いやでも、それはあいつが――」 「あいつがなに?」 「うぐ」 「変な声ー。」  キャハハと笑う美樹。おまえ面白がってないか? 「往生際の悪い高志のために次はもしもシリーズに突入だ。」 「あ、私やりたいやりたい!」  勢いよく手を挙げたのは綾坂だ。 「もしテンテンが抱きついてきたらどうする?」 「そんなのいつもことだ。」 「グラスに注いだジュースをストロー二本さして二人で飲める?」 「缶ジュース回し飲みできるんだから、平気なんだろ。」 「じゃあ、キスは?」  そう聞いてきた綾坂はさっきのまでのおちゃらけた雰囲気を吹っ飛ばして、初めて見る真剣な表情をしていて、高志は一瞬息を飲んだ。 「キ、ス?…そんなの、分かんねぇよ!」 「もしもの話よ!想像ぐらいできるでしょ!?」  キス?テンテンと?だって、そんなの――  欠点無しに整った顔が俺に近づいてきて、青い瞳が俺だけを映して、いつも意地悪く弧を描いているあの唇が俺の唇に…  不思議と嫌な感じはしなかった。俺はそれを平気で受けてしまうのだろうとすら思う。かわりに、そう思ってしまった自分に激しく焦りを覚えた。顔が熱くて、心臓が痛い。思わず胸を押さえて下を向いた。  「おーい、我が息子ー。お父さんに挨拶も無しに閉じこもっていったいどうした。」 「…勝手に結界破って入ってくんな。」  彼は翡翠。テンテンの実の父親である。ここら一体の土地を納めている、比較的地位の高い天使だ。 「悩みがあるのなら、お父さんに話してみなさい。」 「――高志が女に告白された。」 「ああ、君は高志君が大好きだからね。嫉妬しているわけか。」 「違っげえよ!あいつ全然相手にしてねえもん!」 「じゃあ何に落ち込んでるんだ。」 「…いつかは、あいつにも好きな女ができて、友達も沢山できて…。そしたら、あいつの世界はどんどん広がっていって…。それって、良いことだよな。」  翡翠は穏やかな表情で静かに頷いた。しかし、心の中では、――ああ、もうこの子ったら、目うるうるさせて、なんて可愛いんだ!!――などと少々不謹慎なことを考えていた。 「でも、俺はそれが嫌なんだ!あいつの世界が広がっても俺の世界は広がらない、あいつの世界が広がったら、俺は一人になる!――主人の幸せを願えないなんて…俺はあいつの側にいる資格は無い…」  とうとうぼろぼろと涙をこぼしてしまったテンテンを抱き寄せ、翡翠は彼の頭を優しく撫でた。 「君は、勘違いをしているようだね。」 「…勘違い?」  腕の中でくぐもった声が答える。 「高志君は、何があっても君を一人にはしないよ。たとえ、新興宗教の教祖様になってもね。」 「でも、あいつに女ができるのは嫌だ。」 「そんなの、まだできてないんだからその時考えれば良いだろう。」 「だって、もし綾坂と付き合うとか言ったら…」 「君は、高志君に彼女ができたからと言って、はいそうですかと役目を他の天使に渡すことができるのかい?」 「嫌だ!!高志と離れたくないっ!!」  がばっと勢いよく顔を上げたテンテンが見たのは、息子を愛しげに見つめる翡翠の瞳だった。  何かが吹っ切れたテンテンが高志の元に帰ろうとすると、せめてお昼ぐらい食べて行きなさいと言われた。そう言えば昨日の晩から何も口にしていなかったことに気がつく。 「そうだ、君に言っていなかったことがある。」  昼食の合間に翡翠がことのついでのように話し出した。 「天宮家と私たち天使の関係は、一人の人間と天使が恋に落ちたことから始まったと言うことは知っているね。」 「うん、まあ。」 「その天使は私だ。」  重要なことをさらりと言われ、テンテンはせき込んだ。 「ごほごほ…っ、なんだよそれ!」 「そうして二人から生まれた君は半分天使で、半分人間。つまりは半天ってことだ。」  半妖みたいに言うな! 「で、何が言いたいかっていうと、君には完全な天使には無い能力があるってことだ。」 「何だよ、それは。」  テンテンはこくりと唾を飲み込んだ。部屋の柱時計の長針が6を指す。ぼーんと一つ時計がなった。 「――人に化ける能力だよ。」 ******  昼休みが終わる頃、高志は一人裏庭に立っていた。もうそろそろテンテンが返って来る、そんな気がして。  高志の予感は当った。  空から光の塊が落ちて来た。それはふわりと舞い降りる。 「お帰りテンテン。」 「ただいま高志。」  にっこりと極上の笑みを向けて来たテンテンに、高志はぼっと顔を赤らめた。 「…あ、のさ。テンテン。」 「ん?」 「最近お前の様子がおかしいなって、思ってたんだ。それで、昨日なんかいきなり家に帰るとか言い出すし、なんでだよって。そしたら、やっぱ綾坂かなって。お前に寂しい思いさせたのかなって。俺、綾坂にちゃんと付き合えないって言ったから。…で、なんかさ、お前がそのことで俺に遠慮とかしてるんだったら、そんなの要らねえから、――急によそよそしくされたらなんか、寂しいだろうが。」  そこまで一気に言い終わると、耳まで赤くして俯てしまった。その姿が可愛くて。 「今はまだ俺だけの高志なんだな。」  そう言って触れるだけの口づけをした。  一瞬固まった後、 「何すんだバカ」  とか、 「俺のファーストキスが」  とか言ってるけど、それでも本気で嫌がっている訳でないことくらい分かっているから、文句垂れてる可愛い主人を腕の中に閉じ込めて、悪戯っぽく笑った。    ――あぁ、全部俺のものになれば良いのに。  親父が教えてくれた能力をいつお披露目しようか。 byテンテン  キス、された―――っ!! by高志





 

お姉さん

 風呂上がり。  ベッドに腰掛けマンガを読んでいると、後ろに回ったテンテンが抱きついてきた。  襟足だけが膝まで伸びた、極端なお姫様カットの白銀の髪はまだかすかに湿っている。  金の髪留めをはずした髪が、高志の肩を滑り落ち、太股に落ちる。 「マンガ、濡れるだろ。」 「じゃ、読むのやめろよ。」  最近こいつはスキンシップが激しい。  高志はマンガを閉じて横に押しやった。  まがままを言ってくるこいつを可愛いと思ってしまうほどには俺はこいつに甘いらしい。 「なあ、高志。」  耳元で喋られるとゾクッとする。湿った声で耳の中を犯される感じ。 「高志。」  返事をするまで呼ぶつもりらしい。ていうか、今のは絶対耳に口付いただろ。どんなけ顔近づけてんだよ。 「何だよ。」 「あ、耳赤い。」 「おい!」  自分から話しかけたくせに、茶化してんじゃねえよ!  高志が横目でテンテンを睨みつけると、テンテンが密着度を上げてきた。  天使のテンテンは触りたいものに触る。つまり、俺がテンテンに触れるのは、テンテンが俺に触られることを良しとしているからであり、クラスの奴らがこいつに触ることができないのは、こいつが触られようとしないからなのだ。だから、テンテンは壁をすり抜けることも、ドアを開けることもできる。  で、なにが言いたいかというと。  テンテンの両足は、俺の両足の外側にある。俺はテンテンの腕の中にスッポリ収まっていて、でもこれはさっきまでと同じだ。  体勢が変わっていないのに、密着度が増すというのはどういう事かと言うと…  つまり、  それは、  テンテンが俺の服をすり抜けたということで―― 「――っ!!テ、テンテン!?」  いや、テンテンは服を着ているわけだから裸で抱き合う状態ではない訳だが、それでもテンテンの広い襟から上にかけてとか、手とか髪とか生で触れるところはあるわけで、 「お、おい!?」 「――ダメ?」  だから、ダメ?とか言われても困るし!! 「マジで服とか邪魔。俺、もっと高志に触りたいのに。」  そう言って、肩に額を擦りつけるテンテンに本気でホッとする。  何だ、懐いてるだけか。 「あー、はいはい勝手にすれば。もう。」 「冷めてんなー。おまえ、俺以外にこういう事されてもそんな反応なわけ?彼女できねぇぞ。」 「バカ、おまえにしかこんな事させねえよ。」  言ってしまってから、いかに恥ずかしい台詞だったかに気付く。  高志は照れ隠しに話を元に戻した。 「用は何なんだよ、用は!」  呼んだだけとか、ぬかしやがったらただじゃおかねぇ。 「俺、人に化けられるらしい。」  はあ!? 「でも、どうやったら化けられるのかが分からん。」  訳が分からないという顔をする高志に、今日翡翠にされた話をそっくりそのまま話して聞かせた。 「つまり、半天だから化ける素質はあるはずだけど、化け方が分からないから化けられないと。」 「そうだ。」 「今まで化けられなかったんだから、どうでも良いんじゃないか?」 「折角なら化けてみたい。」 「化け方分かんないんじゃ、どうしようもないだろ。」  テンテンはまだ納得いってないようだったが、今日は取りあえずもう寝ようということで、マンガを本棚に戻して二人仲良くベッドに入った。 ******  休日の朝は至福の時間だ。  布団とテンテンの羽に包まれて、二度寝三度寝は当たり前。  テンテンの髪と寝息と、時々もれる寝言がくすぐったくて心地良い。  カーテンをすり抜けて降り注ぐ日の光に眉を寄せれば、テンテンが羽で頭まで包んでくれる。  ピンポーン  だから、  ピンポーン  朝早くから押し掛けてくる輩には居留守を使ったって良いだろう?  ピンポーン  なのに  ピンポーピンポーピポピポピンポーン  連打をするな――っ!! 「はい、どちらさまですか!?」  この野郎と思いつつ玄関を開けると立っていたのは野郎なんかではなく、花も恥じらう美少女とその上をいく花も逃げ出す美女の二人組だった。  口を開けたまま固まる高志に少女は止めを刺した。 「――テンテンはおりますでしょうか?」  美少女と美女が、高志とテンテンの前に腰掛けている。  美少女は、黒い長い髪をツインテールにした、小学校高学年位の女の子で、あと何年かしたらどれほどの美人になるかという、可愛らしい子だ。  美女は、紫がかった髪を胸の辺りまで伸ばして、きれいに巻いている。美樹や、綾坂も可愛いと思っていたが、上には上がいることを思い知らされる、希に見る美人だ。  そして、 「高志さんは初めまして、まゆと申します。テンテンの姉ですわ。変化の仕方を教えにまいりました。」  なんと、美少女はテンテンの姉だった。 「はあ!?」  高志とテンテンがハモる。  いや、俺はともかく何でテンテンまで驚いてんだよ。 「俺、姉貴いたの!?」 「はあ!?知らねえのかよ!?」  驚く二人に、少女が淡々と返す。 「知らないのも無理はありませんわ。テンテン…ブフッ、テンテンが物心付いた頃には私はもう下界に降りておりましたから。」 「おい、今俺の名前笑っただろ。」 「ごめんなさいね。あ、あと私のことは姉貴ではなく、まゆちゃんと呼んでくださいませ。高志様も。」 「は、はあ。え~と、まゆちゃん?は天使なんですよねぇ?」 「はい、半天ですわ。変化を解きますわね。」  閃光が走る。高志は思わず目を瞑った。  そして目を開けたそこには、まゆとは似ても似付かないテンテン並に美しい女性がいた。  テンテンとは逆で、横髪だけを伸ばした黄金の髪を銀の髪留めで留めている。切れ長の目はテンテンよりも大きく、細い眉はテンテンよりも優しげな弧を描き、筋の通った鼻はテンテンよりも控えめで、テンテンの薄い唇と対照的な肉厚の唇は同じ美人でもテンテンの持つ酷薄を感じさせない。  テンテンを女にしたらこんな感じだろう。 「まゆちゃん、いつ見てもその姿素敵よ。」 「ありがとうございます、明様。」  美女の賛辞にまゆが答える。  美女の名前は明と言うらしい。 「明様は、天宮の人間なんですか?」  あ、しまった。まゆちゃんにつられて様付けしてしまった。  高志はとっさに口を手で覆ったが、一度出てしまった言葉は飲み込めない。 「良いのよ、みんなそう呼ぶわ。むしろ、明様と呼んで欲しいくらいよ。」 「は、はあ。」 「で、紹介が遅れたわね。私は愛場明。あなたのお家とは何の関係も無いわ。」 「え?まゆちゃんは明様を守護しているんじゃないんですか?」 「違うわ、私はただ見えるだけ。おもしろそうだからついてきただけよ。」  これも天感というやつか。てか、おもしろそうって何だ。 「じゃあ、まゆちゃんは何で下界にいるんですか。」 「それは、まず私の生い立ちから話しましょうか――」  私は、天宮の先祖と天使の翡翠の間に産まれました。  父は私をそれはそれは可愛がってくれました。でも、それは過保護も良いところで、私は退屈な生活に嫌気がさしました。  私は下界を覗く事が大好きでした。  毎日毎日、新しいことの起こる下界はとても魅力的だったのです。  父は母を守護していましたが、時折母に会わせようと、私を下界に連れていってくれました。だから私は今度はいつ母に会いに行けるのかと、毎回別れの時に父に尋ねました。  父は、私が母を恋しがっているのだと思い、頻繁に下界連れていってくれました。  それから数十年後。テンテンが産まれて間もなく、母は事故で亡くなりました。父が天界に戻っている時のことでした。父は、自分がついていればと、とても悲しみました。  ああ、もう下界に行く機会が無くなってしまった。  薄情な私は、母を失った悲しみよりも下界に行くことができない悲しみの方が深刻でした。  自分も人と契約を交わせば、下界にいられる。でも、過保護な父がそれを許してくれるはずもなく。まして最愛の妻を失った今、父の過保護っぷりは加熱する一方でした。  下界に行きたい、下界に行きたい。強く思ったとき、私の体は光に包まれ、気づくと人の姿をなしていました。  その頃には、父も母の魂を見守ることで落ち着いてきていましたから、私は置き手紙をして下界に降りました。  変化に慣れてくると、容姿や年齢を自在に変えられることができるようになりました。  一つ欲が満たされると、新しい欲が産まれるものです。  私は人間として生きてみたいと考えました。  それは簡単なことでした。  赤ん坊の姿で適当な場所に横たわっていれば、後は何もしなくとも人としての籍を与えてくれました。  私は人間生活をエンジョイしております。 「そして今に至ります。」  まゆは話を締めくくると、お茶を一口飲んだ。 「俺、もう下界にいるんだけど。」 「変化するにはきっかけが必要だということですわ。」  話は終わったと、まゆと明は立ち上がる。  高志は二人を駅まで送っていくことにした。 「何かあったら、言ってください。」  そう言ったまゆと赤外線でプロフィールを交換して別れる。  天使と赤外線受信…  何か疲れたな。高志はほうっと息を吐き、帰ってからの昼寝を決意した。





 

きっかけ

「天宮。」  月曜日、いつものように登校すると、背の高い男に話しかけられた。 「えーと、誰?」 「影木診。クラスメイトだけど。」  クラスメイト知らないとか、普段どれだけまわり見てないかって話だよな。 「あ、えーと…。俺に何か用?」  知らないということは関わりが無いということで、話しかけられるには理由が有るということだ。 「昨日、明様と一緒にいるところ見ちゃった。」 「え、何おまえ明様知ってんの?」  あの不思議美女繋がりとは予想外である。  だが診はさらに衝撃の事実を高志に伝えた。 「中学の同級生。」  脳天に雷が落ちたかと言うほどのショック!  明様って同い年――!!? 「…で?」 「君とお近づきになりたい。」  お近づきって… 「高志って呼んで良い?」 「はあ。」 「僕のことは診って呼んで。」 「はあ。」 「それから――」  診は高志の耳元で囁いた。 「僕、不思議なことには免疫有るから。」  「あれ、影木君じゃん!」  影木が席に戻ってから登校して来たのは美樹。 「おまえ知ってんの?」  知ってるも何も高志と同じクラスということは美樹と診もクラスメイトなのだ。 「何よ!高志きゅん知らないの!?チョー有名人じゃん!」 「そうよ、影木君格好いいし。」 「無口だし。」 「ミステリアス!」 「女子注目の有力株!」  いつものハイテンションで入ってきたのは綾坂だ。 「おまえら、一緒に登校してきたのか。」  教室に入ってすぐに高志に話しかけてきた美樹と、鞄を置いてから来た綾坂は、高志と顔を合わせたタイミングこそ異なるが、教室に入ってくるのは一緒だった。 「だって、私たち親友だもんね~。」 「テンテンの話いっぱいするんだもんね~。」 「高志きゅんの知らないうちに世界は刻一刻と移り変わっているのよ。」  おまえ等と二人の関係に世界を巻き込むのはどうだろう。  それより、 「高志きゅんって何だよ、きゅんって!」  問題はここである。 「私と、高志きゅんは友達。」  そう言って綾坂は自分と高志を交互に指さす。 「割り切るために、高志君から高志きゅんに。」 「意味分っかんねーよ!」  勢いで立ち上がろうとする高志の肩をテンテンが叩いて宥めた。 「まあまあ、それで諦めるってんだから良いじゃんか。」 「テーンーテーンー」 「何だよ。」 「笑ってんじゃねえよ!」  たく、こいつ完全に面白がってやがる。  じゃれあう二人を見て美樹もテンションが上がる。 「テンテン、すっかりいつも通りじゃん。」 「何言ってんだよ。俺はいつでも高志一筋だぜ?」  そう言ってテンテンはイスに座っている高志にのし掛かるように抱きついた。 「やだぁ、怪しい。何かあったんじゃないのぉ?」  美樹のテンテン同時通訳により綾坂も会話に参加する。 「何もねえよ!!」  テンテンが帰ってきてすぐのことを思い出した高志である。  顔が赤いのは苛立ちからか恥ずかしさからか。 「……。」  そんな高志をじぃっと見つめる美樹。 「…何だよ。」 「いや、幸せそうで何よりだよ。」  そんな慈愛に満ちた目で見てんなぁっ! ******  昼休み。  何故か壊れている屋上の扉。  壊したのは誰か。  答え俺。  入学初日、テンテンと二人になれる場所を探していた俺はこの扉の前まで来た。  そして、突風が扉の鍵を壊し、開け放たれた扉が俺の顔面を直撃した。  運が足りなかったんだ。テンテンがサボったんだ。  あの時のテンテンの顔ったらなかったよな。高志ぃ、高志ぃ、って泣きそうに呼ぶんだぜ?  まあ、そんな昔の話はいい、置いとけ。  屋上は俺とテンテンの憩いの場という話だ。  最近じゃあ、美樹と綾坂も出入りするようになったが、テンテンと気がねなく話せることに変わりはない。そこら辺は美樹の天感と綾坂の世間離れした思考に感謝である。  で、  今日もいつもの通り弁当を持って、屋上の扉を開ける。  何もない屋上のど真ん中で寝ている奴がいた。  美樹じゃない、綾坂じゃない――診だ。 「何してんだこいつ。」 「寝てるな。」 「そうじゃねえよ。」 「分かってるよ、なんで居んのかだろ。」  そっと寝顔を覗いてみる。  頬がやや紅潮して、眉が下がっている。  至福の表情。 「うわ、だらしねぇ顔。」 「高志、割と辛辣だな。」 「いや、だってどんなけ幸せな夢見たらこんな顔できんだよ。」 「おまえもこんなだぞ。」 「うっそ、まーじーでー。」  頭の上でふざけていると、診がへらりと笑った。  笑ったのだ、幸せそうに。だが、その顔が高志にはすごく危険なものに思えて――引いた。  いや、正確には引けなかったのだ。なぜならその手を診に掴まれたから。 「照~。」  誰だ。 「愛してるよ。」  来るな!  起きあがった診は高志にキスをした。  ぎゃ――っ!!  心の中で叫び声が木霊する。  しかし、声は出ない。体も動かない。パニクって何をしたら良いのか完全に分からなくなった高志である。  次の瞬間診の体がすっ飛んだ。フェンスの音がする、診が叩きつけられたらしい。  ちなみにここは別にフェンスの近くではない。距離と音から相当の力で飛ばされたことが窺えるが、それよりも手を押さえて立っているテンテンに驚いた。 「俺の高志に何しやがるっ!!」  そう叫ぶテンテンが――人の姿をしていたから。  「テンテン人になっても、かっこい~っ!」 「これじゃ私勝てないじゃーん!」 「…。」  この会話、前から順に美樹、綾坂、診。  テンテンがいきなり人型になって、診をぶん殴った時、ちょうど美樹と綾坂がやってきた。殴られたことで完全に目を覚ました診と、美樹、綾坂に状況を説明し今に至る。  テンテンは、人型になってもやはりテンテンで、人間離れした(人間じゃない)美貌や、目や髪の色なども変わりなく、神秘的なオーラが消えることはない。そこらへんが姉のまゆと違うところだ。きっと経験の問題なんだろう、彼女は年齢まで自在に変えられるらしいし。  変わったことは服装と髪型。  今テンテンは、薄絹を重ねた天女の如き着衣を脱ぎ捨て、質感の違う白いシャツとスラックスに、銀のベルトと元は髪留めだったネックレス。元は長かった襟足は刈り込まれている。銀の髪が夏の太陽を反射した。白い肌も含めて彩色の乏しい彼の唯一鮮やかなクリスタルブルーの双眸は、見つめる度に心失う。  そしてその目はある一点を必用に睨みつけている。 「…あの。」 「…んだよ。」 「視線が痛いです。あと、頬が痛いです。」  視線の先で診が無表情、無感動に抑揚のない声を出した。  その言葉を聞き、俺を抱き込んだテンテンの腕がワナワナと震えた。まなじりをキリキリに釣り上げて、テンテンは診をビシッと指さした。 「――お前が、……お前が高志に手ぇ出したからからだろうが!!」 「それはさっき謝ったじゃない。」 「謝れば良いとかいう問題じゃねぇんだよ!!」  俺のことで怒っているのは分かるが、耳元で怒鳴らないでほしい。 「はいはい、質問!」 「はい、綾坂さん。」  元気よく手を挙げたのは綾坂、先生然として発言を促したのは美樹。 「影木君は何で高志きゅんにキスしたんですか?」 「人違いした。」  必要最低限の言葉で話すこいつは、美樹の言っていた通り、無口でミステリアスな奴なのかもしれない。 「誰と?」 「照とだよ。――ああ、愛しい照。君の美しい顔を歪ませられるのは僕だけだ。君の罵倒をもう一度、下げずんだ目で見つめられたら――っ、はぁんっ!!」  前言撤回。ただの危ない奴だ。  テンテンが警戒するように俺を強く抱きしめた。もうそろそろ苦しい。 「その子とタカって似てるの?」 「ぜんぜん。同じ男ってだけだ。」 「ホモかよ!?」 「君らだってホモじゃないか。」 「テンテンは男じゃねぇし、そういうんじゃねぇ。」 「そう?別に良いけど。せめてホモじゃなくてゲイって言ってほしいな。」 「同じだろ。」 「大いに違う。」  そこからなぜかホモとゲイの話になっていっちまったが、これが美樹以外の人間とテンテンの初対面になった訳だ。





 

先生が来る!?

「好きな人といつでも一緒に居られるなんて、素敵だよね。」 「良いよね、高志は幸せそうで。僕も照に会いたくてしようがないよ。…でも、これも一種のプレイと思えば…ゴニョゴニョ。」 「でも、すごいよねぇ。あぁ、まゆみも同棲したい!相手いないけど!」  キーンコーンカーンコーン  キーンコーンカーンコーン ******  ここは最寄りの駅から徒歩数分、学校からは数十分の割といい感じのアパートの一室。  風呂とトイレは別だし、キッチンもある。天宮家は天使の力を借りて、不況にも負けず仕送りも十分できるらしい。  ここは天宮高志の住居。表向きには一人暮らし。実際はテンテンと二人暮らし。  人間に変化できるようになったテンテンは、変化に慣れようと頑張り中。用事を見つけては人型で町に出ていく、パシリも喜々としてしてくれる。ちなみに今は三十分歩いたところにあるヤマザキにジャンプを買いに行っている。あそこは日曜日にジャンプが出るから。  ピンポーン  玄関のチャイムが鳴る。 「はーい。」  玄関を開けると担任がいた。  時刻は午前十一時。けして早すぎる時間ではない。しかし、親元を離れて自由気ままに生活する学生が、用事もないのに身支度ができている時間かというと否だ。いや、中にはそういう奴もいるのだろうが高志はその例ではなかった。  黒のスウェットの上下に白いカーディガンを羽織った姿が許されるのは家と早朝のコンビニぐらいだ。それでも高志は寝癖のつかないストレートヘアにいくらか感謝して、担任石松を招き入れた。 「突然訪ねて悪かったね。」 「いえ、見苦しくなければ。」  そう言って、冷たい麦茶を石松とその向かい側に置き、そこに座って海苔塩味のポテトチップスをパーティー開きにした。  部屋を見渡してみる。洗ってない食器は朝の分だけだし、制服はイスに掛かっているが、シャツや靴下が脱ぎっぱなしになっているわけではない。ベッドはグチャグチャで、さっきまで読んでいたマンガが数冊その上に転がっているが、それくらい許してほしい。 「一人暮らしにしては片づいているじゃないか。」 「そうですか。」 「うちの息子の部屋なんかは足の踏み場もない。」  そう言った石松の目が怪しく光った気がした。  石松はパッと見女のような上品な顔しているが、中身は何様俺様石松様ってなもんで、生活指導かというほど生徒に厳しい。それでも理不尽なことをいわれる奴はいないから、ストイックなところが良いと一部の女子には人気がある。息子は親のコピーとはいかないのだろうが、そんな石松の息子が足場もない部屋で生活しているというのは以外だった。石松もそれを思って眦を釣り上げたのだろう。 「先生、どうして家に?」 「いや、実はきみが同棲しているという噂を聞いてね。」  前言撤回。さっきの鋭い視線は息子に対してではなく、俺の同棲疑惑からきたものだったらしい。 「してませんよ、同棲なんて。」 「私だって、何も疑いたくて疑っているわけじゃない。」 「じゃあ、同棲相手の私物がないか見てもらって結構ですよ。俺は特に見られて困るものはありませんし、先生が女性だったら別ですが。」 「どうですか、何もないでしょう?」 「そのようだ。」  しかし、それならばあの立ち話は何だったのか。  石松が考え込んでいると、高志がなにやらそわそわしだした。  ――もうそろそろテンテンかえって来ちまうんじゃないか… 「どうたのかね、落ち着かないようだが。」 「い、いえっ。――あの、これから用事があるのでもうそろそろ…」  遠回しに帰れと言ってみる。 「ああ、そうか。悪かったね。それじゃあおいとましようか。」  石井が帰ろうと玄関に立つと、ちょうどドアが開けられた。  テンテンと石井が対面してしまった。 「――誰?」  いきなり見知らぬ男と玄関ではち合わせたテンテンは切れ長の目をパチパチさせる。 「高志君の担任の石松と申します。」 「先生?何しに来たの?」 「高志君に恋人との同姓疑惑が浮上しまして、――失礼ですが君は?」 「テンテン。」 「はい?」 「名前だよ。」  中国人とかならともかく、テンテンのそのなりでその名前は疑問に思うところだろうが、石松はやや怪訝な顔をするのみで、深くは突っ込まなかった。 「今日は遊びに?」 「いや、ここに住んでるけど。」 「や、あの先生。――もう一度上がってください…。」  ばれてしまったことは仕方がない。高志は覚悟を決めて、再び石松を迎え入れた。 「ええっと、同居人のテンテンです。」  居間に座り、高志がテンテンを指して言う。 「この方が一緒に暮らしている恋人かね?」 「恋人じゃありません!――親戚、です。」  先生にはテンテンが男に見えているはずである。混乱して変なことを口走らないで欲しい。 「いや、しかし彼の私物は無かった筈では。」 「女じゃありませんから、俺の荷物に紛れていても分かりませんよ。」  石松はそうかと納得しかけて思いとどまる。 「なんで、隠そうとしたんだ?」 「だって、学校で噂になったら嫌じゃないですか。彼、目立つし。」 「まあ、そうだな。」 「だから、先生も内緒にしてて下いね。」 「ああ、そう言うことなら。」  今度こそ納得したらしい石松は疑って悪かったと言って帰っていった。そして同時に、噂の原因であろう三人を締めあげることが高志の中で決定した。





 

月九の魔力

「おまえが好きだ!」 「――やっと、言ってくれたのね。」  近づく二人。重なる唇。  ――ブツ  テレビの回線が切れる。  天宮高志は自室のベットの端に腰掛け、毎週楽しみにしているテレビドラマを見ていた。  顔が熱い。高志は熱を逃がそうと頬をパンパンと叩く。  十七歳の男子である彼は、思春期に相当するが、テレビドラマのキスにどきまぎしてしまう程の純情を持ち合わせているわけではない。それなのに顔を赤く染めたのは、つい最近の出来事を思い出してしまったからだ。  ――カチャン  浴室の扉が開いた。  人に化けられるようになった彼の守護天使、テンテンは人の姿で湯船に浸かることが日課になっていた。しかも長風呂で、同時に入っても、体を洗ってから出る高志より余計に浴室から出てこない。  濡れた髪を拭きながら近づいてくる。風呂上がりの薄い唇は血色がよく、艶やかな桃色だ。 「あれ、高志。月9見ねぇの?」 「!――あ、ああ。」  高志は知らず、テンテンを見つめていたことに気づき、反射で返事をする。  リモコンを手に取るが、つける気になれない。もう、問題のシーンは終わっているのだろうが、なんか、なんだ。もやもやする。 「うわっ!」  リモコンを弄んでいると、テンテンが後ろから抱きついてきた。 「っなに!?」 「…いや、なにって、なに?」  聞かれた方が不思議だというようにテンテンが聞き返してくる。 「あ、…いや、――別に…」  そうだ、この体勢はいつも通り、スタンダードだ。でも、今はちょっと!  同じ意味の言葉を二度使ってしまうくらいには高志は混乱していた。  強ばった体に、テンテンが小首を傾げる。 「なんか、今日変じゃね?」 「べべ、別に変じゃねえよ!!」 「そうか?」  どもりまくる高志に怪訝な顔をしながら、リモコンを奪う。  画面の中では恋人たちが大人なキッスをかましていた。  ――っ!!  高志の体が跳ねた。あからさまに反応してしまったことにさらに動揺する。テンテンを見るとジャイアンアイズがキラリと光った。 「なんだよ、もしかして思い出した?」  テンテンが学校の中庭で彼の唇をかすめ取ったのはつい先日のことだ。  ニヤニヤ笑って高志の唇を中指でなぞる。ぼっと耳まで赤なった高志が可愛すぎる。そんな顔で睨まれてもぜんぜん恐くないし。 「やめろ。」 「良いじゃん。この前もしたし。」  テンテンは心中で舌なめずりをしつつ、熱い頬をそっと撫でた。 「ば、あれはおまえが勝手にっ!!」  声を荒げる高志に顔を近づける。 「でも、したじゃん。」 「ちょ、やめっ」  額と鼻がぶつかる距離で囁いた。高志は顔を押し退けて、背中を反らすことで、何とかテンテンと距離をとろうとする。テンテンはその手を捕ると、シーツに縫いつけ、前に回って高志の両足に跨るように腰を卸した。  改めて顔を近づけると逃げようとした高志が上体を布団に沈める。テンテンの瞳に常にない光が宿る。彼に最早逃げ場はない。高志はそれでも頬をシーツに押しつけ、往生際悪く抵抗を続ける。おかげでうなじが全開だ。テンテンは舌先でうなじを擽ると、逃げる高志をしつこく追って、無防備な耳に噛みついた。 「――やぁっ。」  途端、泣きそうな声をあげた高志にテンテンの中の何かが切れた。  手の梗塞を解くと、抵抗する間を与えず顎を掬い、強引に口づける。 「んンっ!」  角度を変えて何度も啄むと、小鳥のように可愛らしい音がした。唇を舐めると高志が瞳を大きく見開く。  舌を入れようとするが、高志は口を堅く引き結んでそれをさせない。それどころか首を左右に振って抵抗を始めた。  テンテンは右手で高志の後頭部を掴んで固定し、左手で鼻を摘む。 「んーっんーっ!!」  呼吸手段を失った高志は自由な四股で抵抗するがテンテンはびくともしない。  ついに開いた唇に、すかさずテンテンは舌を侵入させた。 「ふぁ…っぅン」  咥内を這い回るそれは、それだけが固有の意志を持つ生き物のようで、高志は初めての感覚に頭の天辺から足の指の先までがじんと痺れた。 「ふぅ…っ」  息が鼻を抜ける。自分が出したと思いたくない甘い音が恥ずかしい。高志は薄く目を開けて自分を組み敷く男を窺った。 「――っ!!」  テンテンが、キスに喘ぐ可愛い主人を目に焼き付けようと、目を開けたまま咥内をかき回していると、甘い吐息を漏らした彼が薄く目を開いた。  生乾きの髪を振り乱し、頬を上気させてハの字に眉を寄せる姿だけでも十分過ぎるほど扇状的だったというのに、重そうに瞼を開けた彼の姿はその比ではなかった。快感に濡れた瞳がテンテンを捕らえる。  この時、まだ優しかった口づけは、息をつく間の無いほど激しいものへ移行した。  上顎を擽れば、喉がひくつく。歯列の裏をなぞって、跳ねた肩を押さえつける。逃げる舌をしつこく追って、その課程で少しでも反応した場所を舐め回す。ビクビクと震えながら反った背中を背骨に反って撫で上げれば、一際甘い声で鳴いた。  やっと捕まえた舌を強く、優しく、何度も吸って、こぼれ落ちる涙の一粒までもを網膜に焼き付ける。突き放すように肩を押していた手は、いつのまにかすがりつくものに代わっていた。  突然の激しいキスに意識がついていかなくて、ただでさえ慣れないものだから息継ぎができない。最終手段でなかなか解放してくれないテンテンの舌に噛みついたけど、力が入らなくて甘噛みしただけ。おかえしとばかりに舌を引きずり出されてはまれながら、このまま死ぬのかな、なんて考えがもうろうとした意識に浮上する。  ――♪  初期設定のままの何の個性もないメール着信音。  テンテンの意識がそれた瞬間、高志は彼の下から這い出した。離した唇が、長い銀の糸を引く。慌てて息を吸って、激しくせき込んだ。テンテンが心配そうに名前を呼んで、背中を叩いてくれるが無視だ無視。  救いの女神は誰かと新着メールを開けば、送り主は美樹だった。  やっほー!  ドラマ見た!?キスシーンすごかったねww  私も素敵な恋がしたいぞ~  タカは…タカにはテンテンがいたか。  じゃ、お熱い夜をお過ごしよ(笑)!!  高志はケータイを勢いよく閉じると、唇に手の甲を押し当てる。濡れた感触に眉を寄せ、どちらのものかも分からなくなった液体をぐいっと擦ってそのままの勢いで幾筋も流れた涙も拭う。 「…高志?」  不安そうな声の主をひと睨みして布団を頭から被った。  何が熱い夜をお過ごしよ、だ。 「テンテン、おまえ今日一人で寝ろ。こっちきたらもう口きかねえから。」  おまえなんか凍えて死ね。冷房で死んでしまえ。  高志は未だ痺れる舌先を強く噛んで黙らせた。





 

黒の天使

 畳に敷かれた布団の上で障子を透かした月明かりに照らされ横たわる女性。その肌は白く人形の様。その傍らに男は居た。全身黒ずくめのその男は背中に大きな黒い羽を携えている。異形の姿に少年は戦慄した。 「――何だよ、おまえ…」  少年の、喉から絞り出したような声。 「あ、え、えっと…。悪魔です!」  緊張した面もちで応える悪魔の表情は少年の目に入らない。 「…っ!?あ、くま…おまえが」  握りしめた拳がぎちりと悲鳴をあげる。 「おまえが、母さんを!!」  少年は目に憎しみの炎をたぎらせ黒の異形をねめつけた。 ******  木曜日、なにやら学校がざわついていた。女子はキャピキャピといつも異常にはしゃぎ、男子は対照的にふてくされ気味にぼやいたりため息をついたりしている。  天宮高志とその守護天使テンテンは状況を飲み込めず首を傾げる。 「今日なんかあったっけ?」 「生徒総会だよ。」  誰に向かって言った訳じゃなく呟いた言葉にひょこひょことやってきた美樹が答えてくれる。 「それってそんな一大イベントか?」 「あはは、タカってばホントに他人に興味ないんだから!」  生徒総会と言えば学校の規則や行事についての意見を生徒から集める、俺としては全く退屈でしかないあの行事のことだろう。しかし高志の当然の質問を美樹は軽く笑い飛ばした。 「生徒会長がとっても見目麗しいのだよ。」  ちっち、と人差し指を小ぶりの鼻の前で振りながら、得意気に答える美樹。  そう言われれば、集会関係は基本的に意識を飛ばしてしまうため生徒会長の顔を見たことはなかったが、生徒会選挙の後にも女子がそんな事を言って騒いでいたのを思い出す。 「照のほうがかっこいいけどね。」 「高志きゅんのがかっこいいよ!」  混ざってきた影木と綾坂に、高志ははいはいと適当に返事をした。  そんなに美形なら顔見るまでは起きててやるか。まあ、テンテン以上ということはなかろうが。  会が始まった直後、高志の目は噂の会長に釘付けになった。彼は透き通るような白い肌に淡色の髪、茶色がかった瞳、と全体的に色素が薄く、正統派美少年といった風体である。しかし高志が目を奪われたのは正確にはその背後。  ――そこには黒い天使が居た。  肌は浅黒く、暫バラの髪が黒。凛々しい眉と瞳が黒。黒い羽をふんだんに使った衣装が黒。背中に生える大きな羽も黒。黒黒黒黒。  高志の体に白い羽と腕がまわされる。テンテンもまた彼を凝視していた。 ******  「美樹!」 「え、二人ともそんなに慌ててどうしたの?」  教室に戻るなり、高志とテンテンに囲まれた美樹はきょとんとする。 「お、おまえ何も見えなかったのかよ!?」 「え?何が?」  興奮気味の高志に美樹はますます首をかしげる。 「生徒会長の後ろに悪魔が居ただろ!?」 「なにそれ、私知らないよ!?」  なにそれ?なにそれ?と興味あり気に目をらんらんと輝かせる美樹は本当に何も知らないようだ。 「悪魔は見えないのか…」  天使は見えるのに。天感と悪感は違うのか。 「今までは居なかったの?」 「居たらいくら俺でも覚えてる。」 「そうだよね。」  そうだ、会長に悪魔がついたのは近日中のはずだ。 「あいつの周り、最近誰か亡くなったのか?」  悪魔と天使の役割が同じ様なものだとしたらその可能性は高い。 「あ、それなら」 「二週間前にお母さんが亡くなってるわよ。」 「綾坂!?」  その疑問に答えたのは、またもいきなり現れた綾坂だ。驚く高志に綾坂は口を尖らせる。 「もー、ふたりでこそこそしないでぇ。まゆみ妬いちゃう!」 「テンテンもいるよー」  美樹が手で示した先のテンテンは綾坂には見えていない。 「おう!俺はいつでも高志と一緒だぜ!」  見えて居ないと分かっているのに胸を張って存在を誇張するテンテン。  すぐに帰りのショートが始まり、悪魔の話はうやむやになってしまった。  放課後、帰宅部の高志が早々に帰る準備をしていると教室の廊下側がにわかに騒がしくなった。  きゃっ、うそ、なんで、とあがる声。そこからのぞく端正な顔。生徒会長、羅門薫その人だった。  羅門に呼び出され向かったのは校舎裏。例の悪魔は羅門の後ろを数歩離れて浮遊している。高志にべったりのテンテンとはえらい違いだ。  振り返った羅門は悪魔を見て眉を寄せたが、テンテンに視線を移すと人が変わったかのように優美に微笑んだ。 「いいなぁ。それ、天使でしょ?」 「まぁ…。」 「悪魔なんてさ、真っ黒で可愛げないし。魂さらってくなんて、最低だよね。ねぇ?」  にえきらない返事をする高志に勝手に話し続ける羅門。最後は悪魔本人に同意を求めた。そんな羅門の揶揄と嘲笑に戸惑う悪魔は困惑に眉をハの字に寄せて、折角の精悍な顔立ちを情けなく歪ませた。 「違、それは、」 「うるさい。しゃべるな。」  反論しようとした悪魔に羅門は心底不快だというように吐き捨てる。ぴりりと音を立てる空気に耐えられなくなった高志が話をふった。 「…あの名前は?」 「え?」 「いや、うちのはテンテンって言うんですけど。悪魔の名前は?」  そんな高志のその場凌ぎの問いに羅門は意外すぎる言葉でかえした。 「そんなの、つけるわけないじゃないか!こんな人殺し!!」  ――生徒会役員は生徒会室に集まってください。  校内放送に肩を竦ませる羅門。 「呼び出しだ。今日は話ができて嬉しかったよ。」  笑顔で手を振り去っていく羅門に暗い表情で付き従う名前のない人殺しの悪魔。見た目も表情も対照的な二人は校舎の中へ消えていった。  「なあ、今の話どうなんだ?」 「俺は悪魔に会ったの初めてだし、よく分かんねえな…」 「う~ん…」  二人して頭を抱えていると、突然声がかけられた。 「明様に聞いてみたら?」 「っ!影木!?」  声の主、影木診はいつもの無表情だ。 「診と呼んでと言ったのに。」  台詞は高志を非難しているのに、表情と声色に全く感情がない。読めない。 「おまえ!高志にあんま近づくなよ!」 「診、おまえいつから居たんだよ。」  盗み聞きなんて質が悪いぞ。 「今。」 「だったら、なんでそっち系で悩んでるって分かんだよ。」 「だって、美樹ちゃんと悪魔について話してたでしょ。」  それだけかよ。 「人間観察は照で慣れてるから。」  照と言うときだけ表情を和らげる診に、高志は乾いた笑いをこぼして、威嚇するテンテンを宥めにまわった。    高志は家に帰るとすぐに先日教えてもらったばかりの番号に電話した。 「もしもし。」  四コール目で出た艶めかしい声の主は愛場明、通称明様。醸し出す色気はやはり同い年とは思えない。 「あ、もしもし。天宮です。」 「表示を見れば分かるわ。何かあったのかしら?」 「あ、はい。あの悪魔のことなんですが…」  明様相手だとどうにも萎縮してしまう。 「待って、まゆちゃん、こっちいらっしゃい。――良いわよ。」  許可を得た高志は生徒会長と悪魔のことをできるだけ細かく説明した。 「――と、いう訳なんですが…」  話を終えて電話に出たのはテンテンの姉のまゆちゃん。鈴を転がしたような可愛らしい声で似合わない堅い敬語を使いこなす。 「まゆです。人と契約した天使と悪魔は守護し終えた魂を連れていく場所が違うというだけで基本的な役割は同じはず。ですから、魂をさらうというのは納得できません。もしかしたら、高志様のときのように何か思い違いをしているのかもしれません。」  その言葉に高志はほっと息を吐く。しかしまゆの続く言葉が高志の表情を一変させた。 「でも、急がないと。悪魔と人間の契約は名前を貰うことで成立します。名前をもらえずにもう二週間が過ぎている、しかも必要とされていないとなると、その悪魔は早々に地獄に強制退去させられる恐れがありますわ。」  ばっと顔を見合わせる高志とテンテン。頭に浮かぶのはテンテンを失いかけた雨の日の自分。  ――何とかしなければ。 ******  翌日、高志は登校早々三年の教室のある4階へ向かう。羅門の教室は適当な女子に聞いたら快く教えてくれた。  教室の扉を開け、羅門の姿を確認した高志は我が目を疑った。  ――悪魔が、居ない。  高志が声をかけるより先に気づいた羅門が笑顔で近づいてくる。 「会長!悪魔はどうしたんですか!?」 「悪魔?あいつなら朝起きたら居なかった。ふん、あんな奴居なくて清々するよ。」 「そ、んな…」  できるだけ声を抑えて問いつめる高志に、羅門はそんな話かと一瞬口元から笑みを消した。そんな羅門の態度に高志はますます愕然とする。 「ちょっとつき合ってください!!」 「え、ちょっと。天宮君!?」  高志はホームルーム前の教室から羅門を連行した。  校舎裏まで来た高志は人気がないのを確認してやっと足を止める。 「どうしたんだい。あんな悪魔居なくなったって…」 「違うんです!」  羅門の言葉を途中でぶった切り、振り向いた高志は元からのつり目をより鋭く尖らせた。 「悪魔はあなたのお母さんの命をさらってなんかいない!」 「そんなこと…」  羅門の呟きは鬼気迫る高志の声にかき消される。 「天使や悪魔は運を作り出す事のできない俺たちに幸運な人たちの運を少しづつもらって与えてくれるんだ。会長のお母さんがどうしてそうなったかは分からない。でも、悪魔が魂をさらったっていうのは違います!」  高志は小さく息を吐くと、肩の上のテンテンの頭を撫でてやる。 「少し前に、俺はテンテンが俺の為に人殺しをしていると勘違いしました。そして、こんなやつ必要じゃない、要らないと思った。」  羅門は身じろいだ。俺と彼は同じだ。  ――悪魔なんて要らない。 「そして…テンテンは消えた。――必要とされない天使や悪魔は消えてしまう。どうしてあなたは彼の言うことを聞いてあげなかったんですか!?」  高志の強い視線に射すくめられる。 「そんな、おれは…」  羅門の頭に悪魔との記憶が駆け巡った。  薫、と自分を呼ぶ悪魔。違う、と反論する悪魔。 「僕は、居なくなっても良いんですか?」  迷子の子供の様な表情で言った最後の言葉。  ――俺はすべて、無視した。  膝から力が抜けていく。 「…どうしよう、消えちゃった。消えちゃったよ!」  頭を抱えて叫ぶ羅門に高志も叫ぶ。 「まだ間に合うかもしれません。早く名前を、彼の名前を呼んでください!!」 「――っ、アクア!」  ――ゴゴゴゴゴッ  黒い雲が太陽の光を遮り、辺りを薄墨色に染めあげる。地面が音を立てて軋んだ。よろける高志をテンテンが後ろから支える。 「おまえの時と大分違うのな。」 「う~ん、まがまがしい。」  呆気にとられる高志とテンテンの前に、大地を割って四つの門が現れた。青、赤、黄、黒のそれはこの世と地獄とを繋ぐ道。  黒い影が門を走り抜ける。その姿は門をくぐるごとに鮮明になっていき、影は勢いのまま座り込む羅門に飛びついた。 「それ、俺の名前ですか?」 「!」  頭を影の胸に押しつけられて、何も見えないが羅門はこの声を知っている。  ――帰ってきてくれた。  声も出せずにこくこく頷く羅門を帰ってきた悪魔はぎゅうぎゅうと抱きしめる。 「もう一度呼んで下さい。」  情けない声でお願いする悪魔に、羅門も精一杯の震える声で答えた。 「…アクア」  「ごめん」も「ありがとう」も後でちゃんと言うから。だから今はもう少しこの腕の中で…





 

でばがめ

 衣替えも済んだ十一月。そろそろ冬物の服が欲しくなる。  美樹の誕生日も近いし、テンテンを誘って久しぶりに大きなデパートに買い物に行くことにした。  デートだデートだとはしゃぐテンテンを連れて、立川改札を出た時。 「照!」  聞き覚えのある声に、聞き覚えのある名前。天宮高志は声の方向を振り向いた。  改札横のコンビニ前が少しおかしい。  騒がしい構内で、行きかう人は皆早足のはずなのに、そこを通る人だけが歩調を緩める。しかもその人たちは、ある一点を見つめて動きを止める様だった。  人の隙間からそれを覗くと、そこには予想通りの長身痩躯の麗しの青年、影木診がいた。そしてその隣には彼に負けない美貌、いや彼以上に人間離れした美しさを持つ青年が。 「あれが噂の照君ね!」 「なんて美形!」 「うおぉ!?」  いきなり左右から手を掴まれ、叫ぶ。両腕にしがみついていたのはクラスメイトの桜井美樹と綾坂まゆみ。 「美樹、綾坂!どうしてここに!?」 「買い物だよ。」 「こんなにおいしい場面に出くわすなんて、なんてついてるのかしら。」  嬉しそうに言う二人に高志命の天使は当然良い顔をしない。 「おい、お前らあんまり高志にベタベタするなよ。」 「ああ、ごめんねテンテン。」 「え、なに?」  素直に高志から離れる美樹はテンテンと高志で妄想する腐った頭の持ち主。そんな美樹を不思議そうに見る綾坂は別にテンテンに喧嘩を売っているわけではない。テンテンが見えないうえに、声が届いていないだけだ。 「タカから離れてだって。」  だから美樹の通訳が入れば嬉しそうに高志から離れる。 「ああん、やきもち?おいしいです。」 「おい。」  やっぱりこっちも腐っていた。 「あ!二人が移動するわ!後をつけるわよ!」  再び腕を摂られて引っ張られる。 「て、おい!俺もか!?」 『当然よ!』  この二人に高志が適うはずもない。テンテンが止めないところを見ると彼も興味があるのか、その瞳はキラキラと輝いていた。 ******  待ち人はまだ来ていないようだ。時計を見ると待ち合わせの十分前。早すぎるわけじゃないが、自分の方が早くついてしまったことに舌打ちをする。  これではまるで自分が彼に会うのを楽しみにしているみたいではないか。 「照!」  呼ばれて振り返れば待ち人、診が駆け寄ってきてそのまま抱きつこうとしてきた。照はそれを華麗によけて、バランスを崩した彼の背を容赦なく蹴りつける。地面とハグすることとなった彼はハアハアと息を荒くして、喜びに打ち震えていた。 「気持ち悪い。」 「相変わらずの毒舌だね、マイスイートハニー。そんな君が愛おしくて仕方ないよ。」  自力で立ち上がった診は、さあ行こう、と照の手を握る。しかし照はその手をパシンと振り払い冷酷に言い放つ。  「うざい。」  そんな扱いを受けても彼はめげない。なぜならそう、彼はドMだから。 「ああん!し・ん・ら・つ。君の言葉は本当に、砂糖菓子のように甘いね。」 「変態。」 「なんてすばらしい愛情表現なんだ!」 「殺すぞ。」 「本望だ!」 「クソが!」  何を言っても答えない診に、照は心底不快だと、その端正な顔を歪ませた。  「あれって仲良いのか?」  デパートに入った診と照を尾行する高志は、二人のやり取りに仲の良さを見出せずにいた。 「だから、愛情表現なんでしょ?」  そう言う美樹の目にはあのやり取りがどう映っているのか。  高志が呆れていると背中に張り付いていたテンテンが、高志の体に回した腕にギュッと力を込めた。 「てか、あいつ本当に危ないやつだったんだな。」  まったくである。 「Mって最強なんだね!」  興奮気味に言うまゆみ。彼女が新しい何かに目覚めそうで心配だ。  そんなやり取りをしていると視界の隅にとても目立つ人を発見した。 「明様!?」  生命力に溢れた彼女はその容姿も相まって、視界の吸引力と化している。  彼女の手には500ミリリットルのペットボトルが握られていた。 「あら、雨宮くん――きゃっ!」  振り返った彼女が短く声をあげる。  診に尻を触られて、避けた照が明に激突してしまったのだ。慣性の法則で、彼女の持っていたボトルから飛び出した液体が照の顔面に飛散する。 「うわっ!」  驚き、声をあげる照に駆け寄る診。 「照!大丈夫!?」 「――診。」 「照?」  応える照の様子がおかしい。診はいぶかしげにその顔を覗き込んだ。 「大丈夫ですか、明様。」 「大丈夫よ、それより…。」  心配する高志に明は楽しそうに微笑んだ。 「照にネコになる薬ぶっかけちゃった。」  いたずらが成功した子供のように笑う彼女は可愛らしい。 「へ?」 「あ、動物の猫じゃないわよ?タチ・ネコ、受け攻めの受けの方のネコよ。」 「!?」 「何それ素敵!」  はしゃぐ美樹と綾坂に人の心はあるのか。  高志が思うに明様の言っていることは相当ひどかった。   「ど、どうしたの、照!?」  診の声にそちらに目を向ける。彼が慌てるなんて珍しい。見ればその筈、さっきまであんなにツンツンしていた照が、甘えるように彼に抱きついていたのだ。 「――嫌ですか?」 「滅相もございませんが!?」  不安そうに尋ねる照にかぶせ気味に診が答える。 「――ずっと、こうしたかったんです。」  すると安心したように、照は診の肩口に顔を摺り寄せた。 「俺、いつも素直になれなくて。お前がドMなことに甘えて、酷いことばっかりして。さすがに愛想つかされるんじゃないかって本当は不安で。本当は今日会うのだって楽しみにしてたのにいざ会ったらやっぱり素直になれなくて…。」  いじらしいことを言う照を感極まった診が抱きしめ返す。 「――照…っ!」  診は腕の中の彼にそっと囁いた。 「愛してるよ、照。」 「診、俺も。愛して…………うわぁぁぁああああああっ!?」  応えようとした照はしかし、途中で叫び声をあげて診の腕の中から逃げようとあがきだした。  それを見て明はあらあら大変、とまったく大変そうに聞こえない声音で言う。 「効力はすぐに切れるのよ。」  そう言って彼らのやり取りを見つめる彼女は酷く楽しげだ。 「放せ!」  暴れる照、羽交い絞めにする診。 「だめ。このまま持って帰る。」  言って彼を姫抱きした。 「うわあ!下せ、バカ!」  照の罵声は、診が動き出したことで遠ざかる。 「明!覚えてろよっ!」  最後にそんな叫びがフロアに木霊した。  高志はこの日、世の中には色々な関係の人がいるということを知った。  高志「なんであんな薬持ってたんですか。」  明「きっと面白いことが起きると思って。」  高志「…」





 

美樹の秘密と二人の不安

 ハート柄のカーペットに、たくさんのヌイグルミ。ナチュラルブラウンで統一された家具に置かれたカラフルな小物達。フルーツのイラストがプリントされたカーテンが夜風に揺れて、冬を控えた冷たい風が女の子らしい可愛い部屋をかけていった。  パジャマの上に厚手のカーデガンを羽織って、全開にした窓から空を眺める。都会の夜は明るくて、小さな星の光は消される。一つ淋しく輝く満月が、少女の頬を白く清らかに照らし出した。   時計の針は、深夜0時を指そうとしている。あと数分で少女は17歳。  結婚を許されるのが16歳。バイクの免許を取れるのが16歳。  パチンコができるようになるのが18歳。車の免許が取れるのが18歳。  では、17歳は?何か特別なことがあるだろうか。特別な二つの年に挟まれたこの年は地味で曖昧。でも…と彼女は思う。  自分には17歳という年齢が特別なもののような気がして止まない。物心ついたころから、思っていた。あと何年で17歳。自分は何かを待ち望んでいた。焦がれていた。  あと何ヶ月で17歳、あと何日で17歳。その時が近づくほどに想いは強くなった。  あと何時間で17歳。あと何分で17歳。  ――――カチリ  微かな音を立てて時計の針が進んだ。0時00分。  少女の目の前が白く染まる。眩しい光に目を閉じて、次に目を開けると月をバックに白い光をまとった天使が浮いていた。  少女は大きな瞳を一瞬見開いて、すぐにその目をすうっと細める。  ――――やっと会えた。  天使はその白く細い指先で、少女の丸く、柔らかな輪郭をなぞる。近づく翡翠の瞳に涙の幕を張った少女の瞳が映し出されていた。 ******  十一月十五日、桜井美樹の誕生日。先日、影木診と藤本照の一件の中購入したプレゼントは、文字盤が崩し文字、短針が鉛筆の形をした赤いベルトの腕時計。セール品で千円だった。  高校生の誕生日プレゼントだ、高価なものである必要はない。それに、玩具みたいなそれは、大人の色気を持つには早い、丸顔をショートカットの髪で隠した、くりくり目の美樹に似合うと思った。  高志とテンテンは二人で選んだプレゼントを渡そうと美樹の登校を待っていた。そこにいつものように、おっはよーと明るく登校してきた美樹と綾坂。  それを見た高志とテンテンは驚きのあまり声もなく固まった。  だって――美樹の隣に翡翠が居たから。  「――――と、言う訳よ。」 「いや、どういう訳だよ。」  昼休み、いつのもメンバーに薫とアクア。そしてテンテンの父、翡翠が加わった。  どうせならみんなに一気に話したいということで、美樹と翡翠がなぜ一緒に居るのかという説明はこの時間までお預けになっていたのだ。  そして、美樹が昨晩のことを話して後の「――と、言う訳で。」まったく説明になっていない!  ちゃんと説明しろよと、高志を抱え込むように座ったテンテンにじと目で見られても翡翠は笑顔を崩さない。さすが親、息子の氷のような視線も何のそのだ。なんて、実はポーカーフェイスのその下で (ああ、もう!そんなに眦をきりきりに上げちゃってぇ、私のことで知らないことがあるのがそんなに気に食わないのかい?ああ、なんて可愛らしい思考の息子だろうっ!!hshshshs)  などと考えているなんて誰も思わない。  ただ、テンテンだけが訳も分からずそのきめ細やかな白い肌を微かに泡立たせた。  そんなテンテンの様子を知ってか知らずか、やっと翡翠が事の経緯を語りだした。 「僕の妻、つまり君の母親の魂が今どこにあるのか、君は知っているかい?」  どうしてここに母の話が出てくるのかとキョトンとするテンテンに、翡翠は美樹を指して言った。 「美樹君の中だよ。」 「ええええええええええ!?」  叫んだのはテンテン、高志、綾坂の三人。薫はなんだかおもしろそうだと瞳を輝かせ、その隣に座るアクアは、話の内容より三人の声に驚いて身を縮ませ、診は相変わらずのポーカーフェイスだ。 「私が初めて妻に会ったのは彼女が17歳の時だった。だから、美樹君が17歳になるまで待っていたんだ。」 「私ずっと、何かを待ってたの。17歳になったら、17歳になったらって。まさかテンテンのお父さんを待ってたなんてね!」  あっけらかんと言う美樹にテンテンと高志は動揺を隠せない。 「私に天使が見える訳が分かったよ!」 「私たち、天婚を前提にお付き合いをしています!」 「いやいやいやいや」  トントンと進む話に追いつけない高志。 「え、なに。じゃあ、美樹って俺のお母さん!?」 「そうだね息子よ。」 「私だけ一人者じゃない!」 「そういう問題でもないだろ、綾坂。」 「やだ、まゆみって呼んでぇ!」  ――――とりあえず、昼食友の会の会員が三名増えました。 ******  全国チェーンのファミリーレストランの一角に向かい合う二人の男は店内の空気を落ち着かないものにさせていた。  一人は、艶々と輝くストレートの銀髪に、襟の広い白のTシャツ、オフホワイトのスキニ―ジーンズ、ファーのついたショートの白いコートを羽織った肌まで白い冷たく整った顔立ちの麗しの青年。  もう一人は艶のない、黒で塗り固めたような暫バラの髪に、ダークブラウンのタートルネックに黒のネクタイ、黒のパンツ、黒のトレンチを合わせた、肌まで浅黒い精悍な顔立ちの青年。  白い方は、その長く細い足を組み、腕を背もたれにかけ、切れ長の瞳を挑発的に細め、細い眉を上げて、薄い唇から、きれいな白い歯をにやりと覗かせる。  黒い方は、両肘をテーブルについて、大きな体を丸めて、釣り目でもタレ目でもない瞳でくりっと、白い方を上目づかいに見る。  見た目も態度も正反対の二人は、十分すぎる視界の吸引力となっていた。  まあ、そうはいっても、他人をそうまじまじと見つめる輩はそうはいない。神経を集中することはあっても、実際、ちらっちらっと盗み見るくらいだ。 「それでさぁ、やっぱり高志はかっこいいとか、綺麗とかじゃなくて、可愛いだとおもうんだわ。」  白い方、つまりテンテンは言った。 「薫さんは、綺麗でかっこいいです。」  精悍な顔立ちに似合わず、ふにゃっと笑う黒い方は、アクアの人になった姿だ。  天使と同じように人間と契約を交わしている悪魔のアクアは、もしかして、半悪なのではないかと思い、調べたところ、思った通り彼は半悪で、もちろん人間に化けられたと言う訳。  テンテンのような事件性はないまま、あっさり人型になってしまったアクアに、拍子抜けしてしまったが、こうして、同じ境遇の者同士遊びに出かけられるのは嬉しかった。喜びさえすれ、テンテンに不満なんてない。 「ちょっと鹹かっただけで顔真っ赤にしてさー。耳とかいじるとなんでもないような顔してるけど、体が硬くなるから意識してるの丸分かりでめっちゃ可愛いの。」  そう言うテンテンはS。 「俺に命令するときの口調とか、目とか。ぞくぞくするほどかっこよくて。」  そう言うアクアはまさかのM。 「特に最近、会長と話すときとか、尊敬してますって顔しててさ。今までそんな顔あんまり見なかったから新鮮。」 「薫さんも、高志さんを見る目がすごく優しげであんな顔俺には向けないから新鮮――あれ?」  向かい合った二人の笑顔が強張り、滑らかな頬を一筋の汗が伝う。 「それはゆゆしき事態だね。」  実は最初からテンテンの隣に座っていた翡翠が他人事のように言って、それを合図に白と黒の二人は主人の元に飛んで行った。 「高志―――っ!!」 「!テンテン」 「薫さん!」 「やあ、お帰り。アクア。」  二人が向かった先は同じ。学校の校舎裏。つまり、高志と会長は一緒にいたということで。こんな人気のないところで二人きりでいたということでぇ!?  しかも、にこやかに落ち着いた会長と対照的に、高志は頬をリンゴみたいに真っ赤に染めて、びっくりした目でテンテンを見ている。まるでなんで今来たんだよ、とでも言いたげな。  テンテンは高志をだき寄せ薫から遠ざける。  ゆゆしき事態?  ゆゆしき事態!?  ゆゆしき事態――っっ!?  テンテンとアクアの思考が暴走する。 「ほら、高志君。」 「え、でも…」  いつの間にか薫の高志の呼び方が、天宮君から高志君になっている。嫉妬の炎をめらめらと燃やすテンテン。しかし、何やら言いづらそうに、テンテンの腕の中でもじもじとこちらを窺う高志にその炎は容易く鎮火してしまう。  ――――ああ、もう!上目使いマジ可愛い!!  と、言った感じに。 「どうした?高志。」  ストレートの髪を梳いてやれば、猫みたいに目を細める。ついでに耳の後ろを撫でれば、ビクンと肩を縮ませる。  高志はテンテンの服をきゅっと掴んだ。 「あ、のさ。……映画に行かないか?」  精いっぱいといった感じで言われたのは、まさかの定番の遊びの誘いで。拍子抜けしたのと、嬉しいのと、何か裏があるのではという疑心で、テンテンは頭にハテナを浮かべた。  一方薫は、複雑そうな顔で寄ってきたアクアの手を取って引き寄せると、その口元を彼の耳に近づけ、 「これからあの二人、面白いことになるから。」  と言って、ふふっと笑った。  吐息が鼓膜を刺激して、アクアが固まる。今度はそれを見た薫が頭にハテナを浮かべた。





 

羅門薫の策略

 石に囲まれた大樹と、考える像のレプリカが、踏まれて禿げた芝の隅で寂しくたたずむ。 「どうしたんだい、こんなところに連れてきて。」  放課後の校舎裏。人のいなくなった時間に高志は羅門薫を訪ね、ここにきた。上級生を呼び出すなんてどうかと思ったけれど、他の人に聞かれるわけにはいかないから。  テンテンとアクアは翡翠と連れだって遊びに行っている。二人のいない時を、テンテンいない時をわざわざ選んだ。 「いや、あの…」  言いよどむ高志に、薫はにこりと微笑みかける。  スラリと高い身長に、細身ながら整った体躯、西洋じみた上品な顔立ち。飴色の細い髪を風に靡かせる薫は、名前のままに匂いたつ色気を隠すことなく、艶のある声で訪ねた。 「言いづらいこと?愛の告白でも、君なら大歓迎だけど。」 「ち、違います!」 「うふふ、冗談だよ。まだ死にたくないし。」   一癖も二癖もあるある彼に相談を持ちかけたのは自分の周りに彼より常識を備えた人が思いつかなかったからだ。 「いや、あのです、ね……。最近テンテンと別行動が増えたなって思いまして……。」 「そうだね。最近アクアや翡翠さんとも出かけるようになったしね。」  薫は、羽織った大きめのベージュのカーディガンと同じ柔らかい笑顔のまま、ずいっと高志に迫った。 「で?」  突然目の前にきた綺麗な顔に驚いて、キョトンとしたまま同じ言葉を返す。 「で?」 「何が不満?」  至近距離で自分を射抜く、飴色の瞳に萎縮する。 「何がって言うと……ただ何となく……」  白い指が頬を撫ぜ、触れられた箇所に血が集まる。顔が熱いのは彼に触られたからか、それとも…… 「あはは、ごめんごめん。苛めるのは良くないね。」  薫は軽く笑って身を翻すと、いたずらな手を軽く振って顔の高さまで上げた。  「つまり君はテンテンが好きなんだ。独り占めしたいくらいに。」 「…なっ」  その手を下ろしながら薫が言う。 「ちょっと違う?じゃあ、こうかな。独り占めにしたいわけじゃないけど一番になりたい。」  薫はその白く細い指先で高志を指し示した。 「すでに彼の一番は君で固定だと思うんだけどね。」  しかし高志は黙したまま。  だって、本当は分かっているのだ。どんなに彼の周囲に人が増えても彼が一番気にかけているのは自分だと言うことくらい。  でも……  いつも離れることなく背中にあった温もりが、今このとき無いことが、何となく…… 「足りない?」  薫は腕を真っ直ぐにのばしたまま、その腕に凭れるように首を傾げる。 「進展したいんだ?じゃあ、作戦を考えようか。協力は惜しまないよ?そうだな。所謂恋愛フラグを立ててみようか。」  高志が黙ったままなので、薫が一人喋りまくっているように見える謎の構図だが、薫はこれでも高志の反応をちゃんと見て話を進めている。  彼は自分のことを無愛想でつまらないと思っているようだが、全くそんなことはない。今まで人と関わってこなかっただけで、本来彼は考えていることが顔に出やすいたちなのだ。薫は、そんな高志の自分には無い、素直さが好きだった。 「フラグ?」  案の定、高志はつり目をくりっと丸めてこちらを見てきた。 ****** 「まずは、デートに誘う。」  左肘を膝にのせ、右の人差し指を立てて言う薫。 「デートっていつも遊びに行ってるのと変わらなくないですか?」  その提案を不安に思う高志。 「日時と目的を決めて、改まって誘うことに意味があるのさ。」  話も本題に入っったということで、庭の隅に移動して、ヤンキー座りで向かい合う二人。高志はともかく、常に高貴なオーラを放っている薫のこのポーズはイメージとしては似合わないはずなのに、実際目にすると驚くほど嵌っていた。 「そういえば今日、影木に映画の券貰いました。」 「それは良いね。」  そう言って、彼は立てた指を二本にする。 「次に手を繋ぐ。」 「いつもべったり張り付いてるのに?」 「それって彼からでしょ?君から繋ぐんだよ。」 「――――おれ、から?」  ――――出来るかな  不安げに眉を寄せた高志は淡く頬を染めて、上目遣いで薫を伺う。 「そうそう、その顔で誘ってね。」 「どの顔ですか!?」 「あはは。次は、そうだな。映画だよね。さりげなくくっ付く。もちろん君から。」 「――っ」  また指を増やした薫は、今度こそ真っ赤になった高志ににやけてしまうのを抑えられない。抑えるつもりもないが。 「ほんと、君は可愛いね。」 「会長!!」 「怒らないでよ。」  飄々と返す薫に反省の色など見られない。だって、ちょっとからかっただけで、こんなに反応を返してくれるんだもの、楽しくて。 「次は食事に行って、彼の頬に着いた食べかすを掬って食べる。」 「……付けなかったら?」 「エアーで。」 「エアー…」  いよいよ薫の笑顔も弁舌も絶好調。もしこの場にアクアがいたなら目も開けていられないだろうというシャイニング。 「最後に夕日の見えるスポットでキスを迫れ!」  対する高志はついに悶絶。一拍おいて叫んだ。 「――無理ですっっ!!」 「場所は紹介しよう!」 「できませんっ!!」 「そうしたら、もう食べてくれるから!」 「何をですか!?」  とんとんと話を進められた高志はもはや涙目だ。  と、そこに、タイミングが良いのか悪いのか、白いのと黒いのが帰ってきた。 「高志―――っ!!」  怒涛の勢いで。 「!テンテン」  薫から引きはがすように主人を抱き込むテンテン。あらあら、嫉妬しちゃって。 「ほら、高志君。」  わざわざ名前呼びをすれば、今度は毛を逆立てて睨んできた。ああ、ほんとに面白い。 「え、でも…」  そんな中テンテンの腕の中で、どきまぎという効果音がぴったりの動きを見せる高志。 「どうした?高志。」  そんな主人の萌える姿に薫への嫉妬も忘れる。時折「あー…」とか「うー…」とか漏れる声も本当に可愛い。マジ可愛い。  と、テンテンが考えていうこともその顔を見れば丸分かりだ。  戯れに髪や耳を撫でられて、意を決した高志はテンテンの服を掴んで、揺れる瞳で言った。 「あ、のさ。……映画に行かないか?」  その様子はまさに小悪魔(?)しょっぱなからこれとは今度の展開が楽しみでしょうがない。  薫は上機嫌のままアクアに耳打ちする。 「これからあの二人、面白いことになるから。」  なぜかアクアが硬直したけど、その理由は分からなかった。  とりあえず第一ミッション、クリア





 

恋愛フラグを立てよう

 第2ミッション、自分から手をつなぐ  空は高く、絶好のお出かけ日より。休日の駅の空気は楽しげだ。  そんな浮かれた空気を纏った人々で混雑したこの場所で、埋れずにその存在を主張する光が一つ。  輝く美貌のその人を周囲は近づくこともせず遠巻きに眺めた。 「テンテン。」  その均衡を破り、彼に近づいていった目付きの悪い少年。  美貌の青年は彼を見るやいなや駆け寄って抱きついた。 「高志!」 「ばか!離れろ!!」  途端暴れ出した高志にテンテンは、ん?と思う。  確かに普段から人前でベタベタ触ると拒まれるのだが、美樹に揶揄われたわけでもなく、こんなに過剰に反応されたのは初めてだ。  この前から高志がおかしい。  今回の映画も、誘ってきた時の様子がおかしかったし。今日も、一緒に出ればいいのに、わざわざ駅で待ち合わせがしたいと言い出したのだ。  理由を聞いたら、普段と違ったことがしたいだけだと怒鳴られた。絶対に何か他に理由があると思う。 「おい!」  怒気含んだ声を出されて、やっと高志を開放する。  頬を紅葉させてつり目で睨んでくる高志は――――うん!可愛いから、まあ、良いか! 「へー、へー。離れるから怒るなよ。早速映画いこうぜ。」  歩き出すと、高志がテンテンの袖をきゅっと掴んだ。  見れば彼が真っ赤になってある一点を見つめている。その視線の先は――――おれの、手? 「どうした?高志。」 「……いや、……その………」  顔から湯気が出るんじゃないかってくらい赤くなった高志が袖から手を離し、かわりにその下のテンテンの手を握ってきた。 「高志!?」 「……だめか?」  驚いて声を上げたテンテンを不安げに仰ぎ見る彼。そんな彼の姿に、テンテンの頬にも熱が集まっていくのを感じた。  「だめ」ってなんだ?「だめ」なわけないじゃないか!?一体何が「だめ」だって言うんだ!?  もしかしてここでいう「だめ」は手を繋ぐことではなくて、(自主規制)とか(自主規制)とかのことなのか?いやいや、はやまるな俺。ここは往来だ。  理性を総導入したテンテンはせめてもと思い、その愛しい指先に白く細い指を絡めた。途端、繋いだ手がびくっと強ばる。 「!?…テンテン……っ」 「なんだよ。」 「――――っ…なん、でもない……っ」  一瞬たじろぐ様子を見せた彼はそれでもその手を放そうとはせず、おとなしく従った。  ミッション、クリア。 ******  第3ミッション、暗闇でくっつく  影木にチケットを貰った映画はボーイズラブで、SMだった。  主人公は会社で相手から嫌がらせを受けていて、しかしその相手のことが好き。好きな人に虐められているうちに次第にMに目覚める。  いや、おかしいだろ。この内容の映画で雰囲気作るとか無理だろ。  肌ざわりの良い椅子に腰掛、開幕のブザーを聞くまではミッションをこなそうと意気込んでいたのだ。それなのに……  高志は影木を呪い、あの変態から貰ったチケットの映画の内容を確認もしなかった自分を呪った。  だいたいあれだ、チケット渡した時の映画館のお姉さんの反応でおかしいと思うべきだったんだ。テンテンに見惚れてた顔が一瞬にして冷や汗を流し、笑顔が引きつった、あの顔を。  俺、もうこの映画館来れないじゃんかよ!  いや、そうじゃない、今の問題はミッションをどうするかってことだ――って、できるわけないだろ!!ああ、でもそしたら会長との約束が―――――っっ  一方、テンテンはというと。  なんだ、この映画。たしかチケット影木に貰ったって言ってたよな…。ちらっと隣を見ると高志が百面相していた。  え!?なんだこれ……怒ってる…のか?  大丈夫か?と声をかけようとすると、それより先に彼がこてんと頭をテンテンの肩に乗せてきた。 「!?」  え、何?そういうシーンなわけ!?  そう思って画面に目を戻せば、気持ちを抑えられなくなった主人公が相手を無理やりに犯すような形で迫っていた。  えええええええええ!?  隣を確認すれば、赤面するどころかむしろ青白い顔の高志が硬直したまま画面を睨みつけている。  えええええええええ!?  画面では、主人公が必死に抵抗する相手に感極まった様子で告白していた。 『ごめん、好きなんだ!もう、この気持ちを抑えられない!』 『――うそ、だろ…?俺はお前に、あんなにひどいことをしてきたのに…。』 『嘘じゃない。』 『謝るのは俺の方だ…。ほんとはずっと、俺はお前のことがそういう意味で好きだった。でも、男同士だ。自分の気持ちを受け入れることができなくて……』  そうして始まるラブシーン。しかもSM。 (うわぁぁぁぁっ!) (ぎゃぁぁぁぁっ!)  重なる高志とテンテンの心の叫び。  うわっ、これ十八禁じゃん。お姉さん、ちゃんと確認しろよ!てゆうか気づけよ俺!!  それでも、繰り広げられるラブシーンでの直接的な表現は年頃の高志の熱を一点に集めていった。  ちょっとまて、俺。ここで、これはまずいだろっ!  高志が身じろぐと、その肩にテンテンが腕を回してきた。腕をなぞる手の感触に過剰に反応してしまう。 「……高志。」 「ひぅっ!?」  至近距離で呼ばれて変な声が出た。  もうわけわかんない!わけわかんなぃぃぃっ!  混乱した高志は近づいてきた綺麗すぎる顔をグーで殴った。  ミッション、クリア? ******  第4ミッション、食べかすを掬って食べる  「……殴ってごめん……」 「いや…、あれは俺が悪かった……」  気まずい。  映画を見終えた二人は、映画館と同じビル内にある韓国料理の店に来ていた。  オレンジ色の照明に、切り株を模したテーブルセット。落ち着いた店内。せっかく良い雰囲気の店なのに、気まずい。何度でも言おう、気まずい。  テンテンはこの空気を断ち切ろうと無理やりに笑を作った。 「いや、でもさ!誰が悪いってあんなチケットよこした影木が悪いだろう!」 「そうだな!あいつが悪いな!」  笑い返す高志にテンテンはほっと胸を撫で下ろす。  良かった、いつもの感じだ。 「キムチ・チゲお二つ、お待たせしました。」  運ばれてきた料理に腹の虫がぐうっと鳴る。  キムチの香りが食欲をそそる。ぷるぷる豆腐に、とろーり卵。肉も野菜もいっぱいの鍋は、オレンジの照明の下で一層美味しそうに輝いていた。 「おお、うまそう!いただきまーす。」 「いただきます。」  熱々を蓮華にとって吹き冷まして口に運ぶ。それでもまだ熱いそれをハフハフと口に空気を取り込みながら咀嚼した。  天使のテンテンは食べることを必要としない。しかし、味覚はちゃんとある。うまいものを食べるのは大好きだ。 「うまいな!」  同意を求めて高志を見ると、彼はまだ鍋に口を付けていなかった。 「なんで食べてねえの?」 「え、食べてるよ。食べてる。」  そう言って慌てて鍋を口に運ぶ高志。案の定「あちいっ」と口を火傷した。 「おいおい、大丈夫かよ。」 「大丈夫だから、気にするな!」  涙目ですけど……  様子の変な彼が気になったものの、氷水に舌を入れて冷やす姿が色っぽすぎて直視していられなかったので、鍋を食べることに集中した。のだが……  じ―――― 「あの、高志さん?」  じ―――― 「なんでそんなに見つめてんの?」 「見てねえよ。お前は食ってろ。」  無理だ!  向かいの席から口元をそんな風に見つめられて、平気で食事を続けられる奴が居るもんか。でも、高志が食えと言うから食事を続ける。  すると、高志が身を乗り出して手を伸ばしてきた。それも結構な勢いで、テーブルがガタッと音を立てた。思わず身を引いたテンテンの口元を彼の指がぐいっと拭う。  その指を自らの口に運んで高志が笑った。 「付いてんぞ。」  って。  なにそれ可愛い。  テンテンは真っ赤になって沈没した。  ミッション、クリア。残るは一つ。





 

立てたフラグをへし折った

 薫に紹介されたスポットは、小さな林を抜けた先にある公園。立地が悪いためか、他に人影は無かった。  紅葉した葉が、夕日を浴びて更なる朱色に染まる。遊歩道の脇にそびえる背の高い木々の陰で、その色はまばらに散っている。朱色の絨毯をサクサクと踏みしめる。朱色の光の中、朱色の草木に囲まれて、まるで違う次元に迷い込んでしまったようだ。  しばらく行くと視界が開けた。ここは切り立った崖の上に位置するらしい。広がる景色は小さな家々とその向こうにかすむ青い山、そこに沈みゆく太陽。 「すっげー…」  高志が感嘆の声をあげて広場から続く手すりに手をかける。  外気にさらされた木の感触は冷たいはずなのに視界のオレンジ色の効果か、何となく温かく感じられた。  背中に温かいものが当たる。テンテンに脇に腕を通され抱き寄せられた。 「乗り出したらあぶねぇだろ。」  耳に掛かる吐息。締め付けられる体。高鳴る鼓動。 「…テンテン……」  振り返ろうと首を捻ると、触れ合う頬と頬。それほどまでに近い距離。 「…テンテン」  鼻先が触れる距離でもう一度呼んで、唇を重ねた。触れるだけのキス――のはずだった、のだが……  瞬間的に高志の頭を抱えたテンテンがその手を離さない。  唇を熱い舌で舐められて、逃げようと後ずさった足が手すりに当たった。体はすでに仰け反ってる。ここが崖の上であることを思い出した高志はとっさに目の前の体にしがみついた。  唇の壁を抜けた舌がさらに奥に進もうと歯列をなぞる。くすぐったいような感触に瞼が震えた。  顎に手を添えられて、無理矢理口を開かされる。進入してきた舌がぬったりと咥内を舐めあげた。  強く、優しく犯される。  以前された時はまだ自分の気持ちを良く分かっていなかった。気持ちを理解した今、受けるこの行為は前にも増して幸福で、満たされる。感じすぎて怖いくらい。  すぐに力の抜けた高志が、手すりに背を擦りながらしゃがみ込むと、彼を抱き込んだテンテンも一緒にしゃがむ。 「…高志……」  やっと離された口元が銀の糸を引く。 「…高志…高志…高志…」  耳元で囁かれる。耳に、首筋に、キスを落とされ、何度も、何度も、囁かれる。  低く響く声が麻薬のように脳をとろけさせた。 「…テンテン……」  白に濃紺のチェックのシャツに、ベージュに赤と青のラインの入ったカーディガン。  薫に指示された服装は、そうか…脱がせやすいように……  高志は器用に口でボタンを外していくテンテンの頭を、ぎゅうっと腕に抱いた。 「ひぅぅ…っ」  わき腹を撫でられて、腹筋がヒクヒクと痙攣する。 「ぅン…、あ…っ」  胸の飾りを舌先で転がされる。もう片方も指先でくすぐられて、甘い吐息が漏れた。  怖い。感じすぎて怖い…。 「…やだ……っ」  テンテン手が下半身に伸びた。 「嫌だっ!!」  高志は思わず彼の股間を蹴り上げた。 ******  「で、悶絶する彼を置いて逃げてきたと。」 「……はい。」  高志の向かいで薫は大きく溜息をついた。  薫の自室のベッドに向かい合って座る二人。どうしてこのような状況にいるのかと言えば、件の公園が実は公園ではなく、なんと羅門家の私有地であり、電話で助けを求めてきた高志を彼が匿ったからだ。 「どうして?」 「……だって、感じすぎて、……怖くて………」  高志は顔を夕日より赤く染めて縮こまる。 「天使だからねぇ、くそみそテクなのかな…」  その顔でくそみそとか言われると…  そう思って微妙な顔をする高志を、薫がトンっとベッドに押し倒した。 「へ?」  間抜けな声を出す高志に薫が覆い被さる。 「ちょ、ちょっと!?」 「いや、とりあえず慣れるのが早いかと思って。」  彼の手が服を乱し、そっと脇腹を撫でた。 「え、ちょ、…やだ……っ」 「だめだめ、我慢して。」 「……っ」  高志はぎゅっと目を閉じた。  いくら高志が逃げようと、気配を探ればすぐに居場所は特定できる。まだそれほど離されていない。  テンテンは彼の元へ向かおうと羽を広げた。しかし、飛び立とうとする彼を阻むように、目の前に黒い影が現れた。 「…アクア?」 「あ、はい。そうです。」 「こんなところで会うなんて奇遇だな。でも、俺急いでるんで、また今度な。」   相手を確かめ、再び飛び立とうとする。しかし、今度は腕をつかまれ止められた。 「ここより先にあなたを行かせる訳にはいきません。」 「ああ?」  行く手を阻む悪魔に喧嘩上級者のメンチを切っても、いつもの情けない表情はそこに現れない。 「何でだよ。」 「薫さんの命令です。」  その言葉に天使の形相はさらに険しいものになる。 「なんでここに会長が出てくんだよ。」 「……。」 「あいつ、お前んところに居るのかよ。」 「……。」 「今日、あいつがおかしかったのも、お前んとこの差し金か。」 「……。」   何も言わなくても、その顔が全部を肯定している。  天使は悪魔の襟首をつかむと、額を打ち付け睨みつけた。 「で?お前に俺を遠ざけさせといて、二人は仲良くやってるわけか。」 「……。」 「何とか言えよ、おい。おまえ、会長が好きなんだろ!?」  その言葉に悪魔の瞳が一瞬揺れた。天使はその隙逃さない。  一瞬で、薫の部屋の前まで飛ぶと、わざわざ大きな音を立てて扉を開けた。  ダンッ  高志がぎゅっと目をつぶったその時、部屋の扉が大きく音を立てて開けられた。  驚いて振り向くと、白い影と黒い影が動いた。  ゴッ  今度は鈍い音がした。  目の前には拳を押さえるテンテンと薫を背に庇うように倒れたアクア。  二人を見て、やっとテンテンが薫を殴ろうとして、彼を庇ったアクアが殴られたのだと理解した。 「――アクアっ!?」  大丈夫か!?と薫が倒れた彼の長い前髪をかき分け、顔をのぞき込むと、真っ黒い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。 「!?」  今度驚いたのはテンテンの方である。 「え、俺。おまえが泣くほど強く殴ったか!?」  うろたえるテンテンに、アクアはぶんぶんと首を左右に振る。 「か、おる…さんが……っ」 「俺が?」 「……ぁ………」  名前を出されて聞き返す薫に、なぜか顔を赤く染めるアクア。  彼は薫を突き離し、逃げ出そうとした。 「アクア!!」  しかし、その手を掴んだ薫がそれを許さない。 「どうして逃げるんだ。」 「そ、れは……」  捕まった悪魔は情けなく眉を垂れ下げる。 「ああ、もう!イライラする!はっきりしろよ!!」 「――っ」  薫の恫喝を受け、アクアは一層涙の量を増やした。 「おい、いじめてやるなよ。そいつ、おまえのこと好きなのに、おまえと高志のこと応援してやろうとしてんだぜ?」 「な!?」 「はあ!?」 「えぇ!?」  思わず口を出してしまったテンテンに、ほか三人が声を上げる。 「なんで言っちゃうんですか!?」  秘密を暴露されてテンテンを避難するアクア。 「なんで俺と会長がそういうことになるわけ!?」  今日の頑張りが全然効いていなかったとわかり、ショックを隠せない高志。 「俺が好きなのはアクアだ!」  そして一番の問題発言は薫。 「「「ええ!?」」」  三人にハモられて、さすがの薫もやや眉根を寄せた。 「なんでそんなに驚くかな。結構態度にも出てたと思うけど?」 「え、え?だって、高志さんには優しいのに俺にはいつも優しくないじゃないですか!?」 「高志くんに優しいんじゃない。俺はみんなに優しいんだ。そして、おまえにだけ優しくないんだ。」 「え、それって……」  驚きを隠せないアクアの唇を薫はチュッと軽い音を立てて吸った。 「甘えてるんだよ。…言わせるな。」  薫は、ばつが悪そうにそっぽを向いてしまうが、アクアはそれでも感動で打ち震えていた。 「じゃあ、なんでさっき高志を襲ってたんだよ。」  とりあえずハッピーエンドを見守っていたが、それでもおかしいと思い、テンテンが疑問を投げる。 「あれは、だって。高志君が君と進展したいって言うから協力したのに、いざ触られると感じすぎて怖くなるって言うから、試しに触ってみただけだよ。」 「ちょ、会長!」 「ふ~ん?」  暴露する薫に、高志が慌てるがもう襲い。テンテンのジャイアンアイズがキラリと光った。 ******  場所は一瞬にして高志の部屋へと移動する。テンテンが高志を抱えて空間をジャンプしたのだ。  テンテンは高志をベッドに組み敷いて、あっと言う間に身ぐるみを剥がす。 「ちょ、やめろ!」 「やめない。」  耳の穴に舌を差し込んでぴちゃぴちゃと音をさせれば、かわいい彼が首を竦ませ、敏感に反応する。 「やだぁ…っ」 「いやじゃない。」  言葉と行動は自分を拒否していても、心は拒んでいないのが分かった今、強気で攻められる。 「あっ、あっ…ぅン、…こわい……っ」 「怖くてもダメ。」 「ひゃぁ…っ」   乳首をなぶって全身にキスの雨を降らす。骨盤を撫でると、きゅっと股に力が入るのが分かった。  ベルトを外そうと手をかければ彼はいっそう暴れだす。その抵抗をかいくぐってズボンとパンツを引き下ろした。  涙目で睨んでくるけどやめてなんかやらない。直に触れればすぐに甘い吐息が漏れ出す。 「やだ…っ、無理……っ、恥ずかしいぃ――っ」 「無理でもダメ、可愛いからダメ。」 「ぁ、ぅん…っ、…ダメならやめろよ…っ」 「いい加減に観念しろ。」 「――ふ、ぁぁああン…っっ!」  その日は、怖いなんて気持ちが分からなくなるくらい、どろっどろになるまで甘やかしてやった。





 

援交?隠し子?ストーカー!?

「ねえ、ちょっと聞いた高志キュン!?」  いつも通り、テンテンを背負いながら登校すると、綾坂まゆみが飛びついてきた。  頭の悪い呼び方は何度言っても直らない。そのことについては諦めた。だから高志がため息を吐くのは形だけの抵抗だ。 「…何をだよ。」  元からの釣り目をより目つきの悪いものにして渋々先を促す高志に、対する亜麻色の髪の乙女は野次馬根性丸出し、というよりは少し切羽詰っているようだ。 「石松先生が援助交際してるって!」 「はあ?なんだよそれ。」  高志が思わず叫んだのは、何も彼女の剣幕につられたからではない。言葉のとおり、言われたことが本当に信じられなかったのだ。  石松と言えば、女のような上品な顔をした俺様教師で。しかし、理不尽なことは言わないから、ストイックなところが良いと女子に人気の我らが担任、石松義人のことである。 「B組の娘が女子高生とホテルから出てくるところ見たって言うんだもん!」 「いやぁ、だって。…あの石松先生だぞ?」  たしかとても家族思いで、職員室の机には妻と息子と一緒に映った家族写真が立てられているらしい。そんなところも彼の人気の理由の一つだったはずだ。  しかも、彼の奥さんはやり手の弁護士だ。 「そうだよね。まゆみだって信じらんなんないよぉ…」  がっくりと肩を落とすまゆみも石松のファンだったらしい。その肩を、まだ鞄も下していない美樹が抱いた。 「というか信じたくないよ!何かの間違いに決まってるよね!」 「そうだよね美樹ちゃん!」 「まゆみちゃん!」  二人は両手を取り合って、宣言する。 「真相を究明します!」  そして高志は例のごとく巻き込まれるのだった。 ******  高志だって、石松の噂が気にならないわけはないし、何かの間違いだと思っている。だから、すこし後ろめたくはあったが、二人の計画に反対することは無かった。  そして、その日から石松の尾行が始まった。ちなみにテンテンと翡翠は天使のままである。尾行は人数が少ない方が良いに決まっている。  一日、二日と収穫は無かった。まあ、そんなにすぐに何かあると思っていたわけでもないが、少し面倒くさいとは感じてきていた。しかし、そんな三日目の金曜日、帰り道でセーラー服の女子高生が石松に話しかけてきた。  短いソバージュヘアの少女は、美少女と言って良い可憐な顔立ちをしている。  会話は聞こえないが、楽しそうに話しかける女子高生に、石松もまんざらではないようす。美男美女が肩を並べる様子は、とても自然だ。 「…なんで?」  綾坂の声はかすれていた。  現場を目撃してしまったのだ。ショックに違いない。自分だって信じられない気持ちでいっぱいだ。  まさか、あの石松が援交をしていたなんて… 「ねえ、あの子、先生に似てない?」  美樹の言葉が、暗くなりかける思考を中断させた。  よく見れば確かに、少女の顔は石松によく似ている。 「え、でも、先生確か息子が一人だけって言ってたよ。」 「……。」  綾坂の言うとおり、彼に娘は居ないことになっている。隠し子、とか?  まさか、まさかな。  でも、もしかしたら事情があるのかもしれない。ここで引き下がるのはダメだと思った。  しかし、その日は、その後すぐに二人を見失ってしまった。  翌週月曜日。  石松のことが学校中の噂になっているのに教師はまだ気が付かない。  まあ、噂の大半はそんなのウソだ!という意見なのだが。  高志達は、その日も石松を尾行しようとした。  カコン  高志の足もとで高い音が鳴る。やべえ、転がった空き缶を見て息を詰める。 「お前たち!?」  声をかけられたのと駆け出したのが同時だった。  「み、見つかっちまった。」 「でも、顔は見られてないと思うよ。」  色々な意味でどきどきが止まらない心臓を押さえながら、息を整える高志と美樹。そこでまゆみは二人と同じような言葉を、まったく違う意味にして叫んだ。 「見つかった!」  彼女の視線を追うと、そこに例の女子高生がいた。ハンサムな男子学生と仲よさげに歩いている。  四人は無言で視線を合わせ、頷いた。 「今どき、こんなアパートあるのね。」 「うちの団地より年季はいってるよ。」  少女を追ってやってきた住宅街に、古めかしい木造アパートがあった。日に焼けた壁に、トタンの屋根と雨どいは、修理痕で継接ぎのだらけ。周囲の家が文化的なだけに浮いている。赤錆の浮いた鉄の階段が、カンカンと音を立てた。 「て、まじかよ…」  少女と男は一緒に木造アパート一室に入っていってしまった。  次の日、同じ場所であの女子高生を見つけた。今度はきれいな男子学生と一緒にいる。つけていくと、やはりあのアパートに入っていった。  その次の日は大学生風の若い男二人と、またその次の日は私服の高校生くらいの男子三人と、入って行くのを目撃すれば、高志たちの怒りは抑えきれない。 「最低!」 「何て女なの!?」 「ただの阿婆擦れじゃねぇか!」  石松はこのことを知っているのか。知ったら、あの子と会うのを止めるはずだ!石松はあの女に騙されている!  可愛いからって何しても許されると思うなよ!高志は拳を握りしめた。  金曜日、登校してすぐ、昇降口から、周囲の空気がおかしいことに気が付いた。みんなが深刻な顔つきで何かを話している。断片しか聞き取れないが、石松のことのようだ。彼の噂が広がったのは昨日今日のことではない。しかし、昨日までは多くの生徒が、冗談のように言っていたはず。何かがおかしかった。  その疑問はすぐに解決した。教室に入ってすぐに、まゆみが大慌てでプリントした紙を見せてきたのだ。 「これが、学校の生徒用のチャットに流れてたのよ!」  例の女子高生が石松先生と腕を組んでいる写真だ。隠し撮りだが、顔もはっきり写っている。 「私嫌だよ!?こんな女のせいで先生が…、先生が…っ」  まゆみの顔が泣きそうに歪む。高志も限界だった。 「…とりあえず、今日彼女に接触しよう。」 ******  その日、彼女はまた違う男と歩いていた。今度は精悍な顔つきをした好青年風の男だ。  今回はいつもと違い、直接アパートに向かうのではなく、途中、公園に入って行った。  日の暮れ始めた公園で、薄汚れた街灯が曇ったガラスから光を滲ませる。  人気のないそこで、男は少女の腰に腕を回し、少女は男の首に腕回す。  その光景に高志は、カッと頭に血が上り、植木の影から飛び出した。 「おまえ、いい加減にしろよ!?」、 「かかったな、ストーカー!」 「はあ!?」  勢いよく掴みかかろうとした高志だが、男の言葉に呆けてしまった。  男は逆に、そんな高志の襟首をつかむと、ぐらぐらと揺さぶってくる。 「とぼけるな!」  男に凄まれて、脳が揺れて、状況が理解できない。 「高志キュン!」 「タカ!」  駆け寄ってきた二人に少女が気づいて、 「待って、熊!なんか様子がおかしい!」  男はその声でやっと我に返ったのか、美木とまゆみを見て動きを止めた。  「息子!?」  例の木造アパートの一室で、叫んだ声は薄い壁を抜けてどこまで響いたか、近所迷惑以外の何物でもない。しかし、セーラー美少女の告げた真実は、高志たちがこの行動をとってしまうのも頷ける、驚愕するものだったのだ。 「そう。石松成人です。」 「だって、セーラー服…」 「趣味。」 「趣味~!?」 「似合うでしょ?」  プリーツスカートの裾を持って、軽やかに笑う成人は、言われても男だなんて信じられない。 「でも、良かったじゃない。援交じゃなかったし、隠し子じゃなかったし、ストーカーでもなかったし。」  そう、彼の言う真実とは、セーラー美少女が美少女でなく、美少年であり、石松の息子だということだ。しかも、高志たちのことをストーカーと勘違いして、男友達にさっき熊と呼ばれた彼(本当は態という名前)の家であるこのアパートまで一緒に帰ってもらっていたのだという。  援助交際じゃない、息子だから。隠し子じゃない、息子だから。  阿婆擦れだとか言って、女でもなかったなんて… 「それは、すみませんでした。」 「良いよー。パパのためなんでしょ?」  謝る高志たちに少女はカラッと気持ちのいい笑顔で返した。 「そうですけど…。」  自分たちがあれだけさんざん言っていた人が、実はこんな感じの良い人だったなんて。 「じゃあ良いよ。一件落着だね。」  誤解が解けて和やかな空気が流れかけた。しかし、 「ううん!まだ終わってないよ!」  綾坂がバンッと床に手をついた。 「?」 「これを見てください。」  キョトンとする成人に、綾坂はチャットに流された写真を突き付け、学校で今噂になっていることを話した。 「そんな大事になっちゃってるんだ…。」 「…はい。」  深刻な表情で考え込む成人に、深刻な表情で返す高志たち。  やがて成人は何か決死した様子で、顔を上げた。 「ねえ、一緒にパパに説明してくれる?」 ******  『緊急の集会を始めます。生徒の皆さんは、体育館に集まってください。』  カリスマ生徒会長直々の放送に女子生徒が浮き立った。  持つべきものは、教師からの信頼厚い会長か。この日、羅門薫は石松の噂について学校側に説明をし、一限目を集会にしてもらった。  何も知らない生徒たちは。壇上に石松が上がると一気にざわめいた。 「私の浮名を晴らしたいと思う。」  石松の凛とした声がそう告げると、スクリーンに例の写真が映し出される。 「これは生徒用のチャットに上げられた写真です。この写真と一緒に、私が援助交際をしているという噂が流れました。」  生徒たちは固唾を飲んで見守っている。噂が間違いだったら良い、とみんな思っている。真実を知りたいと思っている。 「成人。」  彼が呼ぶと。セーラー服の美少女が壇上に上がった。生徒の何人かが「あ」と声を漏らした。 「私と一緒に映っているのはこの子ですね?」  生徒たちは驚愕に息を呑んだ。石松の言葉に驚いたのではない。石松が紹介したのと同時に、美少女がおもむろに上を脱ぎだしたのだ。  止めに入る間もなく、少女はあっという間に半裸になってしまった。 「え」 「マジで」  そこかしこで上がる声。少女には、そこにあるはずの柔らかな膨らみが無かったのだ。 「彼は石松成人。女装趣味の私の息子です。」  「まさか、脱ぐとは思いませんでした。」  高志は、壇上から降りた成人に声をかける。  石松にこの件を説明に彼の家に行ったとき、成人は、「援助交際の浮名が流れるのと、息子が女装趣味だと知られるの、どっちが都合が悪い?」と彼に尋ねたのだ。  それに対して、石松は、「お前の女装趣味はとっくの昔に認めたものだ。援助交際の浮名の方が都合が悪いに決まっている。しかし、疑惑を晴らすためにお前が犠牲になることなんて無いんだ。根も葉もない噂など放っておけばいい。」と返した。  でも、成人は、自分が父の疑惑を晴らすと譲らなかった。 「ナルさん、かっこよかったです。」 「ありがとう。」  微笑む彼はとても満足そうだ。 「ぼく、嬉しかったんだ。パパが僕の趣味を認めてくれたことが。だからね、このことでパパに迷惑がかかるなんて嫌だったんだ。」 「でも、これで本当に一件落着ですよ。」 「そうだね。」  石松はこれからしばらく、成人のことで質問攻めにあうだろう。でも、これからも彼の人気は変わらない。とりあえず今は、いつものメンバーで成人を取り囲んで、笑いあった。 ******  「先生、息子さん美人ですね!」 「あれだけ可愛かったら、女装してても問題ないですよ!」  堅物そうなのに、そういうことに偏見もってない先生って素敵!とか、逆に株が上がったりしてな。  うん、問題なし!





 

電撃天婚!

 昼休み、屋上にいつものメンバーで集まると、薫とアクアの距離が縮まっていた。  正座をして姿勢良く弁当を食べる薫に、彼を後ろから抱き込むように座るアクア。  先日までは彼らは隣同士で座っていたはずなのに。  こうなったのも、アクアが「俺もテンテンさんと高志さんみたいに、もっと薫さんに触りたいです!」なんて言い出したから。  あの公式バカップルと同じことがしたいだなんてね。まあ、それを受け入れる俺も俺だけど。  薫は、うれしそうにくっついているアクアの頭をぽんぽんっと叩いた。  そんな二人の変化に美樹とまゆみ気づかないはずはなく、目を爛々と輝かせる。  しかも、彼らだけではなく、もう一組。高志とテンテンの変化にも美樹は気づいていた。  二人の間に流れる空気が、何というか甘い。甘ったるい。砂糖多過。糖尿病になりそうだ。  まゆみに話して二人でキャーッと叫んで、にへへと笑った。 「なんだい、気味が悪いな。」  そう言った薫を見てまたも、にへへと笑う。 「2組とも進展したんだね!よかったね!」 「ぶーっ!!」  二人の台詞に高志がお茶を吹き出す。 「な、なんで!?」 「そんな、幸せオーラをまき散らしておいて、気づかないとお思いで?」 「会長達はともかくなんで俺らまで!」 「ともかくって、ひどいなぁ。」 「あ、あの、すみませんっ」  自分のせいでばれてしまったと慌てるアクアを落ち着かせようとその頬を後ろ手になでる。途端にアクアがびくっと固まって触れた頬が熱を帯びた。 「良いよ、アクア。別に隠してるわけじゃない。」 「なんでだ、なんでだ。」  そんなにあからさまだったかとショックを隠せない高志に美樹は追い打ちをかけていく。 「テンテンとタカの進展なんて、もう最後までいくしかないよね?」  真っ赤になって口をパクパクさせる高志。もう肯定したのと同じだ。 「ああ、高志ヤられちゃったんだ。」 「おまえは、黙れよーーっ!!」  診に確認されて憤死する勢いの高志。 「会長も?」 「そうだね。」  一方会長は涼しげな表情を崩さない。いっそアクアの方が悲惨なぐらいに動揺している。   美樹はポンッと話を変えた。 「ところでさ、私達。結婚しようと思うんだ。」  一同呆然。  にこにこ笑顔の美樹の隣にはこれまたにこにこ笑顔の翡翠が行儀よく座っている。 「は、早すぎないか!?」 「私は17年待ったよ。」 「私は彼女の前世から待ってるよ。」 「それにしたって…、親は?美樹の親にはどう説明するんだよ。」 「そうなんだよ。それで、」  美樹は改めて一人一人の顔を見て言った。 「みんなに協力して欲しいんだ。」 ******  ブオー  自分達の体のすぐ近くを時速40キロの車がかけていく。  歩道も車道も狭いこのあたりでは、バスが通れば自転車が居場所を失う有様だ。  率先して車道側を歩くテンテンは、彼氏はこうやって恋人を守るものだろう、と得意げだが、絶対一列になった方がいい。 「なあ、おばさん達にはどこまで話したんだ?」 「え?なに!?聞こえない!」  高志の質問は車の音でかき消されて、大きめの声で聞き返された。こちらも大きめの声で聞き直す。 「おばさん達にはどこまで話したんだ!?」 「結婚したい人がいるから連れてくるって言った!!」 「単刀直入だな…」 「え!?なに!?」 「何でもない!!」  少しして、美樹を先頭にわき道に入るとすぐに住宅街で、車もなくて、すごく静かになった。 「もしかして、美樹ちゃん家って戸建てなの?」  表通りのままの声量で話してしまい、声が反響した。まゆみは、おっとと息を飲む。 「うん。でも、ここら辺は田舎だし、駅も近くに無いから。」 「でも、安アパートの薄い壁で隣の部屋に気を使ったりしなくて良いじゃん!」 「まゆみちゃん家ってそうなの?」 「うん。家は団地だけど。」  話の途中だが、美樹はすっと前方を指さした。 「ほら、あそこ。」  美樹が指したのは薄いピンクの壁の家だ。小さな花壇には花の合間に小人の置物が置いてあって、すてきにメルヘンな雰囲気だ。 「すごーい!可愛いー!」 「うち、子供は女一人だから、お母さんが遠慮無しに趣味を押し出しちゃってるの。」 「そうなんだ。じゃあ、早く中も見たい!」 「ちょっと待って。」  そう言ってきょろきょろと周囲を確認する美樹。それを何をしているのかと高志が最後尾で見ていると、その肩をたたく手があった。  振り向くと、美人。 「あ、明様!?」  驚く高志に明はひらっと手を振って答える。  彼女の隣では、ツインテールを揺らした女の子がちょこんと控えていた。 「まゆちゃんも一緒よ。」  久しぶりの娘との再会に翡翠が抱きつくと、まゆは鬱陶しげに顔をしかめた。  明はそれを微笑ましげに見て、挨拶を続ける。 「久しぶり。高志、テンテン、美樹、まゆみ。始めましては薫とアクア?」 「俺は無視?」 「あら、気づかなかったわ。ごめんなさい。」  絶対わざとだ。診は軽く肩を竦めた。 「じゃあ、役者もそろったし、行こうか。ただいまー。」  美樹がこれまたメルヘンチックなカーブを描くノブの玄関扉を開けると、少女のようなギンガムチェックのワンピースを身にまとった女の人が出迎えてくれた。 「お帰り、ミキティ!で、あなたのお相手はどなた?」  レースの小物や、ぬいぐるみなどが散りばめられた、ザ・ガーリーなリビングに通される。お茶を入れてくれた美樹ママも、そこで待っていた美樹パパも、団体でやってきたことになにやらホッとしているようだ。 「いやぁ、ね。この子がいきなり、結婚相手を紹介するだなんて言い出すから、どうしようかとドキドキしてたんだけどね。」 「大勢で押し掛けてすみません…。」 「ああ、気にしないで!もう、一対一とかで話さなきゃとかだったらどうしようかと思ってたんだから!」  胸の前で両手を振る美樹パパは気弱で優しげ。 「で、美樹ちゃんの相手は、どの子かな?高志君?それともロン毛?優男?」  かと思ったらそうでもないかも。 「やだなぁ、お父さん。誰でもないよ。二人には見えないの。」 「はあ?」 「私の彼は、天使なの。」 「美樹ちゃん、まさか。俺の嫁ハアハアのノリで俺の天使なんて言い出すんじゃないよね?」  美樹パパオタク疑惑浮上。 「言わないよー。ちゃんと説明するから。ね、テンテン、まゆちゃん。」  美樹が三人に笑顔を向けると、閃光が走ってテンテンとまゆちゃんが人型を解いた。 「き、消えた!?」 「消えてないよ。人型を解いて見えなくなったのよ。テンテンとまゆちゃんは半分天使、半分人間の半天で、人型をとることができるの。」  美樹の説明に、美樹ママと美樹パパが笑い出す。 「何を言ってるんだ。騙そうったってそうはいかないぞ?大方、強い光で目くらまししてどこかに隠れたんだろ?」 「違うよー。しょうがないな。アクアお願い。」  続いて辺りが闇に包まれ、アクアが人型を解いた。 「アクアは半分悪魔で半分人間なの。光は作れるかもしれないけど、今のは無理でしょ?」  娘の屈託の無い笑顔を前に美樹ママ、美樹パパの笑顔がひきつった。 「分かった。じゃあ、天使は居るとしよう。でも、天使と結婚なんて…」  「良かったー。とりあえず信じてもらえて。だって、天使だよ?説明するのに参考として本物の天使、それもふつうの人にも見える半天のテンテンとまゆちゃんがいたら、やりやすいと思って協力してもらったんだ。ありがとう、ホント助かったよ。」 「ミキティ!」  美樹ママが叫んだ。 「大丈夫だよ。だって、タカはテンテンとつき合ってるし、会長はアクアとつき合ってるもん。」  ピンクのマグでココアを飲む美樹に、こんどこそ開いた口がふさがらない。  美樹ママ美樹パパの口も塞がらないが、高志の口も塞がらない。 「美樹!お前、何を…っ」 「許せタカ!私と翡翠さんのこれからがかかってるんだ!!」  だからって、ばらすことないだろ! 「で、でも。じゃあ、なんでミキティの相手はここにいないの?」 「居るよ。ずっと私の隣に。でも、翡翠さんは純血の天使だから、人型をとれないの。」 「で、でも。姿も見えない人に娘を嫁にやるわけには…」 「うん。だからね、二人を天界に招待しようって思って!」 ******  例の騒ぎから四か月。季節は冬を超えて春。  会長とアクアと、まゆみと診と、明莉様と、まゆちゃんと、テンテンと俺は、美樹と翡翠さんの結婚式に招待された。  この数ヶ月の間によくもまあ、美樹ママ美樹パパを丸め込めたと思ったが、実際そう難しいことじゃなかったらしい。  だって、翡翠さんは美人で優しくて、頼りがいがあって、おまけにお金持ちで、幸運を運んでくれるのだから。結婚を反対する理由なんて、可愛い娘を手放したくないという気持ちのみで、結婚するけど家は出ないなんて言ったら、案外あっさり了承してくれたそうだ。  初めて上がった天界は、ふわふわで、キラキラ。おまけに、テンテンとアクア、まゆちゃん、翡翠さんの真の姿を初めて見たまゆみはずっと興奮状態でもうぶっ倒れそうだ。(診はそうでもない)  美樹の前世が住んでいた家を参考に作ったという翡翠の家は何故か五十の塔で、しかもピンク色で。 「あれ?ちょっと違かったかなー。」  って、明らかに間違っている。  そんなおかしな家の隣に作られた簡易教会で、リンゴーンと鐘が鳴る。  花嫁がブーケを投げた。  皆が一斉に手を伸ばす。まゆみも、診も、アクアも、もちろん俺も。そして、ブーケは吸い込まれるように俺の手の中に落ちてきた。  テンテンがブーケごと俺を抱きしめる。  見たことも無い花でできたブーケはとっても綺麗で、アクアが残念そうにこちらを見てきたが、すぐにその頭にはぐれた花がコツンと一輪落ちてきた。それを取って、満面の笑みで会長に抱きつくアクア。俺たちもそれを見て笑った。  天使と人間と悪魔が集った結婚式で、種族を超えた愛を確かめて、目に映るものが全部綺麗で、涙が出るほど綺麗で、世界中が幸せなんじゃないかと錯覚するくらい、夢のように心を満たした。


天使=死神の定理<完>