夏休み!藤本家編


 夏休みを三日後に控えた放課後、寮に戻った青木隼人は、三人共同の居間スペースで、配布されたプリントを前に呆れた声を出した。 「夏休みの計画表って、小学生かよ。」  毎日の予定の欄と一日の円グラフ。何を書けと言うんだ、勉強時間?睡眠時間? 「計画倒れが目に見えるよね。」  兎の座椅子に腰かけて藤本光が言った。一日5時間勉強とか書いて、結局できないあれか。そこも問題だが、一日のタームスケジュールより、日ごとの計画が思いつかない。どうせ、ずっと寮に居るのだろうし… 「あ、でも千晶はちゃんと計画通りにやってたな。」 「…あいつの計画がどんなのか知りたいとこだけどな…」 「千晶の計画は双子の姉から逃げるための口実に使うために密に立てられてたよ。そしてそれを正確にロボットのように実行してたよ。」 「……。」  あの千晶を困らせるとか、どんな姉だよ、と思ったが、先日の若返り薬の件を思い出して納得する。隼人の呆れ顔が、同情する表情にかわった。  そんな中、堂前大樹がぼそりとドスの効いた声で呟く。 「夏休中は寮の冷房は使えないぞ。」  て、何それ聞いてない。 「え、マジかよ。」 「俺は実家に帰る。」  お前らはどうするんだと、その瞳が問いかけてきた。体が大きく、声も低く、目つきも鋭い彼はその上言葉まで足りないから、初対面では怖がられてしまうが、中身は存外に良い奴で、今もこうして俺達を気遣ってくれる。言ったことは無いが、何となく、俺の家族に問題のあることを感じているのかもしれない。 「あー、俺は…」  当然家には帰れないし、しかしだからと言って、この暑い夏を冷房なしで乗り切れるとは思えない。そんなことを考えていると、光が当然のように口を開いた。 「隼人はお兄さんのところに行くんだよ。」 「兄弟…」 (その兄弟とは仲が良いのか?) 「うん。仲良し兄弟だよ。」 「へぇ」 (じゃあ、ここに居なくていいんだな。良かったじゃないか。今年は猛暑らしいから。) 「うん。あとね、僕の家にも遊びに来るんだ。」  光と大樹の間でどんどん話が進んでいるが、と言うかカッコ内も含め会話が成立している気がするが、 「ちょっと待て、全部初耳なんだけど。」  隼人は慌てて会話に割り込んだ。 「うん。今初めて言ったもの。」 「俺の意見は?」 「聞く必要ある?」 「お前、そんな奴だっけ?」 「うん。」 「…はぁ……」  なんだよ、その良い笑顔。隼人はため息を隠すこともしなかった。まあ、行くあてができて助かったから良いんだけども。 ******  最寄駅からタクシーに乗る際に光が、行先を「藤本家」と伝えた時に、予感はしていた。え?何それ、それで伝わるの?  そうしてしばらく行くと、長い長い塀が見えて来て、長い長い塀沿いにタクシーは走り、長い長い塀は本当に長くて、何だこれ、城か?観光名所か?とか思っていたら、タクシーは、長い長い塀についている門の前で止まった。何故か「東四足門」と書かれている。東ってなんだ、西とか南もあるのか。そしてその隣の立派な表札には「藤本」の文字。すごく…達筆です。 「え、何これ…」  絞り出した隼人の声は少し震えていたかもしれない。 「何って、僕の家だよ。」 「お前って金持ちだったの!?」  何それ聞いてない。 「?」  キョトンとした顔で首を傾げる光は、その仕草がやけに様になっている。しかし、誤魔化されないからな。 「なんで俺のボディーガードなんてしてんだよ!?」 「気分?」 「うわぁ…」  何だこれ、つっこみきれねぇ…。もう疲れたよ、パトラッシュ…。  光について門をくぐると、時代劇で見るような木造平屋がそこにあった。自分が立っている空間を囲むようにして建物がある。ここ自体一般家庭の庭としては十分すぎる空間があるわけだが、あの塀の長さを考えると、ここはまだ敷地のほんの一部なのだろう。 「スゲー…、似合わねぇ…」  茫然と立ちすくむ隼人は、無意識にそう呟いていた。 「…他にいくらでも感想あると思うんだけど?」  隣からじっとりした声で返事が返って来た。でもなぁ、だって金髪青眼の光に純和風の家が結びつかなかったのだからしょうがない。ああ、ほんと、平安時代にタイムスリップしたかと思わせておいて家の主は明らかに外国の血が入っているのだから、異世界に迷い込んだ気分になった。 「まぁ良いや暑いから中入ろう。ただいまー。」  そう言って光が適当な引き戸を開けると、これまた綺麗な金髪が待っていた。 「お帰り。」  そう言ってほほ笑むその人は紛うこと無きイケメン。体つきはシュッとしていて爽やかだし、顔も切れ長の瞳に筋の通った鼻、と正統派で、健康的な肌はつるんと滑らか。髪が幾分長いが、後ろで綺麗にまとめてバレッダで留めているため、気にならない。 「太陽ちゃんただいまーっ!」 「うわぁっ、いきなり飛びつくな!」  彼を見た光が、ぱぁっと顔を輝かせて飛びついた。  そこで隼人は首をひねる。今光は彼を太陽と呼んだが、確か太陽は光の嫁であり山田の三つ子の姉ではなかったか、つまり女性ではなかったか。 「え、…え?」 「あ、隼人!この人が僕の奥さんで三つ子のお姉さんの太陽ちゃんだよ。」 「え、このイケメンが?」  思わず指を指してしまった。すみません。 「ああ、これでも女なんだ。ややこしくて悪いな。まあ、上がって適当に寛いでくれ。」 「あ、いやすみません。でも光とお似合いだと思います。」 「ぶふ…っ、それってフォロー?」 「光!」  隼人のフォローにならないフォローに光が噴出して、太陽がいさなめる。しかし、光は気にしない。 「あはは、太陽ちゃんかっこいいもんね。僕可愛いもんね。」 「…お宅の旦那、昔からああなんですか?」 「いや、昔はもっと可愛かった。」 「えー、ひどーい。」  右は太陽と、左は隼人と腕を組んで、両手に花とばかりに上機嫌な光は、何を言われても嬉しそうににこにこと笑顔を絶やさなかった。  本物の平安時代のそれとは違い、ガラス戸でもって外界と区切られた廊下は、区切れば部屋として充分使えるであろう、贅沢な広さを持っている。  ちらっと、横を見れば、眼前に広がる大庭園。なぜ池がある、なぜ橋がある、松林がある。どういうことだ。しかし、俺はこの造りを知っている。分かりやすく言うと、寝殿造りだ。こんな景色は便覧でしかお目にかかったことは無い。眩暈がする。  案内されたのは、東対という場所で、案外入口から近かった。広い家をすべて使っているわけではないらしく、大体は、東側で生活しているそうだ。 「もったいねぇことするなぁ。」 「ママが趣味で作った家だからね。作っただけで満足してたというか。でも、見た目とか大体は寝殿造りだけど、細部はそうでもないし、実はフローリングの部屋もあったりするよ。キッチンはシステムキッチンだしね。たまに探検すると楽しけど。」  建物は広いが、襖で仕切られた一つの部屋は十畳ほどの和室だ。冷房も効いているし、やっと落ち着ける。太陽さんは飲み物をとって来ると言って一度部屋を出て行った。  光からイグサの座布団を渡されたので、荷物を置いて、それを敷いて掘り炬燵(もちろん夏場なので布団は無い)に足を入れる。  部屋を見渡すと、家具は階段箪笥や桐箪笥、蛍光灯の傘は障子張りで、時計は大きなノッポの古時計だ。木の温もりと畳の香りに包まれてなんだかほっこりした。 「お前のママ何者だよ。」 「日本オタクのオーストラリア人。」  そう言う光のお尻の下には、メッシュ地の兎の座布団が敷かれていた。歪みない。 「なんかそんなモデルいたよな。」  確か藤本オリビアって…あれ、この人も藤本?  ん?と隼人が思っていると麦茶の入ったグラスと茶菓子を持って太陽が帰って来た。 「あー、十円饅頭だ。千晶の好物。」 「あいつも来ると思ってたからな。苺大福じゃなくて悪いな。」 「ううん。ありがとう。太陽ちゃん大好きぃ!」 「お前は…、そういうのよく恥ずかしくないな…。」  目の前でいちゃつかないでくれ。あれでもこれデジャブ。もしかして学校では俺と光が周りにこんな気まずい思いさせてるのかな、嫌だな。断じて俺のせいじゃないけど。 「そんなことより、今日は千晶が居ないわけですが。」  唐突に光が決め顔をした。イケメンは爆発すれば良いと思った。 「そうだな。」  それに答える太陽さんはちょっと頬を赤らめていて、トキメいたんですね。分かります。 「その理由を隼人は知りません。」 「言ってなかったのか。」 「なんだよ。」 「旦那とイチャイチャしてるからです。」 「……はぁ。」  隼人は気の抜けた返事をした。だって、それがどうしたと言うのだ。千晶が新婚だと言うことは知っている。 「あの千晶ちゃんが旦那とイチャついているところを想像できますか?あのぐるぐるメガネの千晶ちゃんが!あの男らしいTが!」 「酷い言い草だな。」  太陽が呆れた声を出した。しかし、光の意見には同意する。 「想像できますか!?」 「できないけど。」  再度問うてきた光にそう答えると、光は箪笥から何かを取り出してきた。少女趣味の可愛らしい本のようなそれ。 「そんなあなたに僕たちのアルバム。」  開けばそこに、学生服の彼らが居た。 「うわぁ…、Tだ。」 「うん。」 「なんで男子の制服?」  アルバムの中の千晶はなぜか学生服を着ている。 「千晶は男として生活してたので。」 「よく彼氏できたな。」 「ショタコンだったので。」  あれぇ?御曹司ぃ?  白財閥副社長の趣向が少しずれていることを知ってしまった。  それはさておき、どんどんページを捲っていく。クッキーと紅茶でお茶会をしている写真や、光と千晶ともう一人小さいのが兎のぬいぐるみに埋もれて眠っている写真。光が嫌がる千晶を無理やり肩車している写真に、ちっこい誰かが光にだいしゅきホールドしているのを千晶が腹を抱えて笑っている写真。 「お前らホント仲良いな。」 「えへへー。」  そうして写真を見ていると、すごく見覚えがある顔が写っているのに気が付いた。見覚えがあると言っても、知り合いとかじゃない。…有名人だ。 「……なあ、」 「ん?」 「これ」 「ああ、照だよ。かっこいいでしょ?」  なんでこいつはこんなにしれっとしているんだ。俺にとってこれは一大事だ。 「なんでNGのTELが一緒にいんだよ!?」 「えー、照にだって青春時代はあったんだよー。」 「そうじゃねぇよ。おまえ、知り合いだったのかよって言うか、聞いてねぇ!」 「今言ったもの。」 「おーまーえーはーっ!」  これは食って掛かるしかないだろう。隼人は、光の肩を掴んで揺さぶった。 「じゃ、じゃあ!ヒカリ!ヒカリとも知り合いじゃねぇの!?」  TELはヒカリの兄である。隼人にとっての一大事とはそこだ。だって隼人はヒカリの大ファンなのだから。 「知ってるけど、紹介はしないー。」 「俺がファンだって知ってるくせに!」 「あははは」 「笑ってごまかすな!」 「きゃー」 「隼人。」  光を問い詰めていると、不意に太陽から声がかかった。写真の衝撃で彼女の存在を一瞬忘れていたことに気が付く。 「!はい。」 「ヒカリは今、誰にも会いたくないそうだ。」 「あ…」  そうなのだ。彼女は今、スキャンダルのショックで芸能界から姿を消している。でも、だからこそ気になるという気持ちは、やはり迷惑なのだろうか。  しゅんと一気にしおらしくなった隼人に、太陽が続ける。 「でも、もしヒカリが外に出る気になったら…」 「なったら?」  その続きを発したのは目の前の光だった。さっきまでの楽しげな笑いを引っ込めて、ふっと優しい笑みを浮かべる。 「ヒカリから君に会いに行くよ。」  ブー  映画の開幕のブザーのような音が響いた。 「あ、巧ちゃんかな?」 「ああ、そう言えば来るって言ってたな。」 「ええ?なに?太陽ちゃんってば、すっかり巧ちゃんと仲良しなわけ?浮気はダメだよ?」 「馬鹿言ってないでさっさと出ろ。」 「はーい。」  とか言っていたら、勝手に上がってきたその人が、 「光ぅ!会いたかった…っ!!」  と言いながら、襖を開け放ち、そのまま立ち上がりかけていた光の胸にダイブした。 「あーはいはい。」 「ああん、そっけない!だけど、悔しい感じちゃう…っ!」 「うざいわー。」  二人の様子を観察して太陽が一言。 「…どっちが浮気だか。」  もっともだ。 「断じて浮気じゃない。」 「ええー…?」  光はそう言うが、客はコアラのように両手両足を使って光に抱きついている。座った状態のだいしゅきホールドだ。隼人が変な声を出してしまっても仕方ない。その体勢で浮気じゃないとか言われても。  「光の大親友の三反田巧太郎です!」 「僕の親友は千晶だもん。」 「酷い!」 「うざい。」  嵐様にやって来た客は、先ほどまで見ていたアルバムに写っていたちびっこ三反田巧太郎だった。写真からも分かるハイテンションっぷりは実際目にすると正直うざい。絡まれている光は尚更だろう。しかし、なぜだ。うんざりしつつもそこはかとなく楽しそうだ。ツンデレにしか見えない。 「奥さん、実際どうなんですか?」  考えていても仕方ないので、太陽さんに聞いてみることにする。 「女の親友が千晶で、男の親友が巧太郎。千晶にはデレデレで、巧太郎にはツンデレ。」 「ほう。」 「千晶は対等な戦友であり、好敵手であり、仲間。巧太郎は、ペットあるいは便利屋、そして守るべきもの、愛玩物。」 「後半違う!」  光が否定してきた。 「これがツン!?」  巧太郎が瞳を輝かせる。 「巧太郎は黙れ!」 「巧ちゃん!」  もうじゃれているようにしか見えなかった。  「ところで、今日光が来るって言うから、たくさんお土産持ってきたんだ!」  そう言って巧太郎が太陽に差し出したのは、手作りのお惣菜やらお菓子やら。まさかの女子力である。 「ああ、助かる。」 「わぁ、巧ちゃんのごはん久しぶり。でも太陽ちゃんのご飯も食べたかった。」 「私も作るよ。」 「本当?やったー!」  光は大喜びだ。 「うまそうだな。」 「美味しいよ。」  隼人が呟くと、光が何故か自慢げに言った。やっぱりツンデレじゃないか。  そんな話をしていると、庭の方から、何かの鳴き声が聞こえてきた。 「わふぅっ!」  って、なんだか気の抜けた声に、襖を開けると、 「え、う、ぎゃぁぁぁぁああああアアアッッッ!!」  ガラスの向こうにそれはそれは大きな動物がいた。太陽がガラス戸を開けると、何故かその動物は、隼人の元に歩み寄ってくる。 「なんだこれ、デカい!うわぁぁぁぁあああ!!?」  別に飛びつかれたわけではないが、デカいから怖い。 「モッフン!ステイ!」 「わふんっ」  光の声でその動物は大人しくその場でお座りをした。 「よーし、いい子いい子。」 「えー…?えー…?」  毛の長い真っ白な体長三メートルはあるだろう大きな生き物を光が撫で繰り回す。光の容姿が美少女なだけに、よりシュールだ。 「悪いな、驚いただろう。でも、大人しい犬だから大丈夫だ。」 「え、犬?」  太陽の説明に戸惑う。三メートル越えの犬? 「ああ、光の両親が仕事先で頂いてきた珍種だそうだ。」 「モッフンて言うんだよ。可愛いでしょ!」 「わふわふっ!」 「モッフンは大人しいんだが、本当は遊びたいんだ。でも、本気のモッフンと遊べるのは光と千晶位だから、久々に思い切り遊べると思って嬉しいんだろう。」 「モッフン!今日は一緒に遊ぼうね。」 「わふわふっ!」 「すげーなぁ…」  犬もだけど、何よりこの犬を貰ってくる両親が。いったいどんな人たちなんだ。しかし、そんなことを考えている間にも、目の前では遊びと言う名の曲芸が繰り広げられていた。 「僕はモッフンだって持ち上げられる。」 「わふわふっ!」 「投げれれる。」 「わふーっ!」 「競争ができる!」 「わふわふーっ!」 「遊んでる?」 「楽しそうだねぇ。」  隼人の疑問に巧太郎がのほほんと返事をした。ああ、これって日常なのか。そうなのか。  この日一日で隼人は光のいろんなことを知ることができた。別に知りたくなかったけど。