一夏の恋


 「ぐおっ…」  左右からの攻撃で目を覚ます。青木隼人の腹は、山田唐草の足と、平助の腕で押しつぶされていた。  ヒノキの板の天井に、イグサの香る畳の床。艶のある文机にガラスのペン立に刺さったガラスの万年筆。アジアンテイストな脚付きの洋服箪笥に、クローゼット。自宅とも寮とも違うこの部屋で起きるのも三回目。四人で布団を並べて寝た初日の朝は、「おお」っと感動もしたが、もうそろそろ慣れてきた。  時刻は午前6時。早すぎるわけではないが、寝過ごしても文句を言われない夏休みの朝にしてはずいぶん健康的な時間だ。隼人は、二人の足と腕を腹の上から退けるとふうっ、と体を伸ばして布団から這い出した。  山田の三つ子の下二人は、白鳥家に来てから三日間、何故か毎日6時きっかりに寝相で攻撃を仕掛けてきた。ちなみに自分の家では二人で童葉をはさんで寝ているらしく、起こされるのは童葉であるらしい。お疲れ様。  部屋を囲む襖と障子をすべて開けて、文机の上の丸窓の障子も開けて、取り込めるだけの太陽光を取り込む。まだ夢の中に居る三つ子がそろって「うーん」と唸り声をあげた。毎度暴力的な起こし方をして来る二人への、ささやかな嫌がらせである。童葉は完全にとばっちりだが、そこは連帯責任ということで。二度寝すれば良いだろうと思うかもしれないが、二度寝はしない。それには理由がある。  みみっちい報復を果たした隼人は、鼻歌を歌いつつ、廊下に出てそこから続く急な階段を下りる。トトロが好きで、触発されたらしい。扉を開けて二階に出ると、そこはダイニングキッチン。三階とちがってフローリングの洋室だが、黒い鉄の骨組みの電灯と、キッチンとダイニングを分ける植物モチーフの透かし彫りの飾り窓は、大正ロマンを感じさせるし、ウォーターヒヤシンスがメインのテーブルセットはアジアンなリゾートを彷彿とさせている。  とてもとても綺麗なこの階はしかし、あまり使われた形跡がない。なぜなら家主である陽は自炊はできてもする必要のない環境に身を置くセレブであるし、食事は専ら社長である美千代宅か本館の城で摂る。ではなんのためにここがあるのか。今みたいに客が来た時にしか使われないし、それにしたって隼人たちは別の場所で用意されたものを温めるだけだ。完全に宝の道草れである。  二階をぺたぺたと横切って、一階に降りる階段は、居間と玄関を隔ててある。側面がガラス張りのショーケースになっていて、笊に入った金平糖でできたアジサイモチーフの飾りや、光をとおすシースルーの絹織物、小枝と花びらのモチーフのフランス製のガラスの花瓶などなどが飾られている。  居間の大きな窓から差し込んだ光が、小ケースとインテリアをとおして虹色の光を玄関まで運んでくれる。玄関の灰色の石の壁は、日中は光が当たって鮮やかに、日が落ちると、本来の厳かな印象にと表情を変えた。好きに使えと言われた藁草履をつっかけて外に出る。視界いっぱいに青竹の林が広がった。  初めて平助と唐草の二人からの攻撃によって起こされたその日、隼人は他人の家に居るというもの珍しさから、二度寝をしようとはせずに庭に出てみることにした。  竹林に出て、朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと、自然のエネルギーで体が満たされる感覚がする。じっとしているのがもったいなくて、青い光の中に歩き出した。  少し歩くと竹林は途切れ、広葉樹林に代わり、その中にオレンジの土壁の家が見えた。昼間すでに探索をしていたので大体地形は把握している。この家は美千代社長の家。もっと先に行くと博人の小屋と千晶の家があり、さらに奥には昇副社長の家が建っている。  どれも個性的なデザインの家なので、うろうろと外観の観察をしていると、本館の方向から、前日隼人たちを迎えてくれたGRELLのT603の模車がやってくるのが見えた。  千晶の家の前の、シトロエン2CVの模車に横付けして、運転席から降りてきたのは、白いレースの飾りのついたコバルトブルーのメイド服を着た女性。黒く長い髪をお下げに結んだ彼女は、おもむろに手鏡を取り出すと、深呼吸をして、鏡に向かってふわっと笑った。  その笑顔に心を奪われた。  彼女が「よしっ」と気合いを入れて千晶宅に入ってしまってからも、隼人はその場にしばらく立ちつくした。心がふわふわと宙に浮いている感覚がした。  二日目の朝も、同じ時間に同じ場所に行った。長い髪を下ろした彼女は、和柄のメイド服に身を包み、前日と同じように鏡に向かってほほ笑んだ。  そして三日目の今日。彼女は同じ時間にやって来た。今日の格好は白とオレンジのボーダーの生地に、デニムのフリルやワッペンの付いたアメカジ風メイド服で、長い髪は耳の下で二つに縛って、ゆるふわウェーブに巻いている。 「今日も可愛いなぁ…」  思わず呟くと、背後からポンと肩を叩かれた。 「うぎゃぁ!?」 「変な声~」 「変な顔~」  嫌な予感に、かっかっかと油の切れたブリキのおもちゃのように後ろを振り向くと、同じ顔をした三つ子がチュシャ猫みたいにニマニマ笑っていた。 ******  陽の家の一階は、洋室と和室に大きく別れている。  ウルトラマリンの壁に白い天井の洋室は、木枠の四角やアーチ形の大きな窓から、たくさんの光を取り込める。しかし、今は真夏。強すぎる光を抑えるために、薄くストライプの入った白いカーテンで光を調節してしる。人口の明かりは朝鮮薊のような形をしたPHアーティチョーク二つと梁照明。部屋の奥には大きな枯れ木のオブジェがあって、メモ紙やら、鍵やら帽子やらが無造作にかけられていた。壁にはミュシャの模写が飾られ、ストイックで個性的なドイツ家具が空間にゆとりを持って配置されている。  そして入口から見て左手には、丸障子付きの壁に襖という、純和風の一角が存在を主張していた。土間のように一段上がった畳の張りの部屋の天井は藁葺で、白い土壁には細いこげ茶の柱がアクセントになっている。皮付変木などの自然木を使って表現した「草」の床には、ウィリアム・モリスの「いちご泥棒」のコピーを掛け軸の形に整えたものが掛かり、すぐ下の蒼い球の形をした一輪挿しには、笹の葉が生けられている。  たった一人の為の家としては立派過ぎる建築だが、驚くことなかれ、実は離れに小花と小鳥の細かな柄の襖で囲まれた、可愛らしい茶会用の庵もある。  それはさておき、一階の茶室の、布団の無い掘りごたつに足を入れて、少年四人は顔を突き合わせていた。  ニマニマと笑う三つ子と向き合った隼人は、居心地の悪さに顔を歪める。 「あの女の人だけど、居るの今日までらしいよ。」  右側から、ずいっと身を乗り出した平助が言った。 「え!」 「さっき電話して、ピカリンに聞いた。」 「おま、まさか言ったのかよ!」 「青木が恋したって?言っちゃった!」 「おーいーっ、ふざけんなよ!」  アハッと笑う平助に毒気を抜かれる。ああ、あいつに知られるなんて、三つ子に知られただけでもたちが悪いのに、愉快犯がまた増えた。 「はぁ~…」  重い溜息をついて睨みつける。もともと目つきは悪いからきっと凶悪な面になっているはずだ。 「いやん!助けて唐草兄ちゃん!」  しかし、慣れている平助は、彼の右隣、隼人の向かいに座る兄にふざけてしなだれかかっただけだ。 「でもな、彼女が誰だか分からんかったら動きようがないじゃんか。ピカリンならなにか知ってると思ったんだよ。」  助けを求められた唐草は一応弟の弁護をしたが、両手がにゃんこ宜しく弟の頭やら喉やらを撫でているのでふざけているようにしか思えない。 「ちなみに彼女は千晶のお世話係兼ボディーガードで、社会見学中の榊原家のお嬢様を預かっている間だけ居るんだそうな。」 「別に、動かなくて良いんだよ。」 「動けよー。なに?見てるだけで幸せってやつ?さっむいわー」  隼人がそう言えば平助がこう言う。 「まじで?その寒さ俺にも分けて。夏に勝たせて。」  その上唐草が茶化すものだから、隼人の額に血管が浮き上がった。 「おまえら、青木をからかうのはその辺にしておけよ。」  のべっとした口調で童葉が弟たちをいさなめるが、お前も今まで面白がって見てただろう。 「でも、ドット兄ちゃんだって何もしないのは良くないと思うっしょ?」 「連絡先ぐらいは交換しないと今後会うことは無くなりますのん。」  どうやって、と視線を投げれば、それを受け止めた平助がにかっと笑う。 「ケータイ無くしたふりして、『すみません、ここら辺でケータイを無くしてしまったのですが、見つからなくて。宜しければ貴方のケータイで電話をかけてくれませんか?』って感じで番号ゲットしろ。」 「せこいなぁ。」  慣れてる感じが怖い。こいつ、この手で何人の番号ゲットしてるんだよ。 「とったもん勝ちやぁ。――ったぁ!」  ドヤ顔の末っ子を兄二人がベチンと叩いた。普段から、弟の女性問題に巻き込まれている二人からの制裁である。 「でもそれいつやるんだよ。」 「お、やる気だ!」  隼人がボソッと言うと、叩かれて頭を抱えていたはずの平助が一番に反応した。 「ピカリン速報で千晶が仲間になったそうだ。決行は今日の夕方。詳細は追って千晶から連絡がきまーす。」  続いて唐草が計画を発表する。ピコピコケータイを弄っていたのは、連絡を取っていたのか。 「ああ、どんどん大事になっていく…」  隼人は頭を抱えた。  あとどうでも良いが、さっきから連絡系のセリフは唐草が言っている気がする。平助と唐草でそろって煽り担当かと思っていたが、一応役割があるのか。 「ペイズリーが出落ち担当、俺が繋ぎで、ドット兄ちゃんがツッコみと見せかけた天然ボケ担当でーす。」 「深刻なツッコミ不足!!そして心を読むな!」 「もう後には引けないぞ!」  騒いでいると、童葉がタイミングのずれたガッツポーズを決めた。ああ、これが天然か。 ******  屋敷を探検したり、部屋でボードゲームをしたりして時間を潰して、当事者の隼人はそわそわと、三つ子はわくわくと落ち着かなくなり始めた夕方。唐草のケータイが着信を知らせた。 「よっしゃ、千晶!」  と威勢よく出た唐草は、そのまま三人を先導して林に入っていった。 「今彼女が外に出たって。こっちだ。」 「お、おい。」 「ここしかチャンスが無いんだから腹くくりなよ。ほらケータイ落として。」  いまだにおどおどしている隼人を、平助が叱咤する。ケータイは自分で落とす前に彼に奪われて放られた。 「いた!」  スライディングして草の影に隠れる。四人の視線の向こうで、例の彼女と知らない男が話していた。黒いスーツに身を包んだきちっとした印象の男性だ。 「あの男誰だろう。」 「何か雰囲気が…」  ほんのりと頬を染めて彼女に熱い視線を送ったり、かと思えば目が合いそうになると視線を逸らす。どう見ても彼は彼女に気があるように見えた。  そして、彼が意を決したようにきっと彼女を見つめ声を掛けた時、三つ子がまずいと思うと同時に隼人が立ち上がった。 「あ、あの!」 「「!?」」  突然の乱入者に二人の視線が突き刺さる。 「あ、あの…その……」  テンパった隼人はド直球にこう言った。 「す、好きです!」 (えーーーー!!?いきなり!?)  さすがの三つ子も困惑した。ケータイ作戦は何処に行ったのだ。 「ひ、博子さん!わ、私も博子さんのことをお慕いしております!」 (えーーーーーーーーーーー!?突然の修羅場!!) 「え、え!?高橋さんまで!?」  どうやら彼女は博子、一緒に居る男性は高橋というらしい。当たり前だが今知った。今知ったのに、この修羅場。 「あ、あの…。僕は……お二人のどちらが、大事かと言ったら、隼人が大事です。」 「え!?」 (((え!?)))  隼人が驚きの声を上げた。三つ子は声を上げそうになったのをお互いに口を塞いで耐えた。いきなり割り込んだ隼人が選ばれるなんて、彼女の名前すら今知ったというのに、どういうことだ。 「そんな」  当然辰巳も驚きの声を上げた。当然だ。そんな二人に彼女は驚きの理由を告げる。 「だって、僕は――隼人の兄貴だからぁ!」  ――だからぁ!――だからぁ!――だからぁ! 「「「「「え」」」」」  ぴしっと音を立てて場が凍りつき、光と千晶の場違いな笑い声が林に響き渡った。