兄とは


 隼人とその兄、博人は仲が良い。15歳年の離れた兄は、実の母のように隼人を可愛がってくれた。母親は隼人が生まれてすぐに産後の肥立ちが悪くて亡くなってしまい、社長である父親はいつも忙しく、兄弟はいつも二人きりだった。けれど、隼人には博人がいた。記憶には無いが、隼人のおしめを取り換えたのも、ミルクを与えたのも、お手伝いさんではなく博人であったらしい。博人が隼人の兄だから、と譲らなかったらしい。  授業参観、運動会、合唱祭、文化祭には自分の学校を休んでまで来てくれた。どうしてそこまでするのかと聞いたことがある。「僕がサボる口実だよ、隼人のためだって言えば、先生も許してくれるんだ。」なんて、バカじゃないのか。  隼人を甘やかすもの、叱るのも、博人だった。博人は隼人の兄であり、母であり、父だった。 「スゲーな、博人さんって。」 「俺達も父さん、母さんより姉ちゃんに育てられた感あるけどな。」 「でも俺らの場合姉ちゃんがただ面倒見良かっただけで両親そろってたし、姉ちゃんの友達も俺らのこと弟みたいに扱ってたから全然違うけどな。」  三つ子が口々に言った。そして、ははは、と笑った後の沈黙。  夏休みを明けて数日たった日曜日。駅から近いファミレスで、隼人と千晶と三つ子は、博人を待っていて、「博人さんってどんな人?」と平助の言葉がきっかけでこの話になった。 「…博人さんは、誰の子供だったんだ?」  童葉が、真面目な声で言う。 「15歳で兄であり、母であり、父だった博人さんは、誰の子供だったんだ?」  それを、隼人も考えていた。  人の第二次成長期は、一般に反抗期と呼ばれるらしい。しかし、隼人の場合は違かった。隼人が自立すべきだとしたら、それは兄からだ。でも、その方法は反抗ではなく、兄の立場への疑問として現れた。  隼人は今17歳。博人が隼人の両親の役割をし始めた年齢をもう超えている。でも、自分が誰かのために身を費やすことなんて考えられない。自分の中でまだ自分は子供のままだ。  考え込んでしまった隼人に千晶が言う。 「博人はもう子供じゃなくなったんだろうな。子供なのに、大人の役目をしなくちゃいけなくなったんだ。しかも、お前の目標であるために、完璧であろうともした。」  千晶の言う通りだ。博人は、隼人の目標で、隼人は、博人に全信頼を預けていた。お兄ちゃんはすごい。大人だ。何でもできる。何でも知っている。15歳の子供が大人なわけがないのに。 「…兄貴…」 「でも、隼人がいたおかげで、博人は真直ぐ育ったんだろうな。しっかりしなきゃって、思い続けて。それが良い事かは分からいけど、お前が目標にできるような人になろうとしたんだろ。だからあんなに真直ぐなんだ。――まあ、あいつもお前に支えられてたんじゃねぇの?」  冷たいコーラの入ったグラスを持つ手に力が入った。千晶の言葉に目頭が熱くなる。自分は兄のお荷物だとばかり思っていたが、そうでもなっかのかもしれない。 「なーんて。元からの気質だろ。ぐれる奴はぐれるわなぁ。」  しんみりした空気を、ニヒルな笑みで笑い飛ばす。 「おい、千晶。」  シリアスブレーカーか。まあ、良いけど。 「気にすんなよ、兄貴が勝手にやったんだろ。そんでお前も兄貴も今不幸じゃないんだからOK.OK。――と、噂をすれば。」 「隼人!」  席に歩み寄りながら声を掛けてきたのは、三十路を超えたとは思えない童顔の彼。待ち人、博人が来ればボディーガードの必要はない。千晶は博人と役割を交代すると、店の外へ出て行った。今日はデートの筈だったのに、急遽仕事が入って、鬱に入っている旦那様の秘書役に徹するらしい。「昇はね、千晶がいれば休日出勤でも結構大丈夫なんだよ。一目を盗んじゃ充電してるからね。」とは光の言う所である。 「久しぶり!変なことされてない?」 「久しぶりって、先週も会っただろう。」  博人と隼人は、元から三日に一遍のペースで電話をするほど仲の良い兄弟だったのだが、夏休みの一件以来、都合の付く日には直接会うようにもなっていた。  兄弟離れできていないと言うだろうか、しかし事情が事情だから許してほしい。だってほら、保護者から命を狙われる弟を心配しない兄なんていないし、唯一頼れる肉親に甘えたくなる弟の気持ちも分かるだろう。  隼人の隣に座った博人は、幼い子供にするようにその頭を撫でる。隼人は、いつもなら「やめろよ」と振り払う所だが、今はできなかった。童顔すぎて、最近では兄弟で並ぶと隼人の方が年上に見られてしまうほどの彼、今では隼人より背も低く、華奢で、幼く見える彼がずっと隼人を守っている。  ばっと赤くなった顔を上げた隼人は、腕の中にすっぽり収まる彼を思い切り抱きしめた。 「え、ちょちょちょっと隼人!?」 「「「あらー。」」」  それを見た三つ子が間の抜けた声を出す。 「感極まっちゃったんだねぇ。」  と、平助。 「甘えたいんだねぇ。」  唐草。 「いや、甘えさせたいんだろう。」  童葉。 「え、え、何々?何の話ですか?」  事情をに見込めず、?を飛ばす博人に、三つ子はにやにや笑って言った。 「「「隼人は博人さんが大好きだって話ですよ。」」」  「「隼人君と~、博人君の~ちょっと良いとこ見てみたい!」」  隼人が落ち着くと、平助は二人にポッキーバンダを差し出した。パンダのパッケージがまぁ可愛い、じゃねぇ。 「何でだよ!?」 「仲良しだから。」 「愛を確かめて。」 「いつやるの?」 「今でしょ!」 「ふりぃよ!」  平助と唐草のテンポの良い煽り。隼人はすかさずツッコんだが、博人はすでにポッキーの端を咥えて待機していた。 「いや、何でだよ!?」 「あ、あー。そうか、慣れって怖いな。」  キョトンとした後、ははは、と笑って頬を掻く博人に隼人は慌てる。 「!?な、なななな慣れって…?」 「ああ、いや。職場がリア充だらけだからこういうのの感覚がマヒしてるみたいで。ポッキーゲームくらい別に、って。」 「あ、ああ…。そういう慣れか。」  ほっとしたのも束の間、煽りーズ二人がぐいぐい寄ってきた。 「なになに?隼人ったらお兄ちゃんが大人の階段登っちゃったんじゃ、て心配しちゃったの?」 「それじゃあ立派なブラコンだね!」 「今こそ二人で大人の階段を登る時!」 「「レッツ、ポッキーゲーム!!」」  隼人の隣に滑り込んだ平助が、隼人頭を持って、無理やり博人の咥えるポッキーの端を咥えさせる。強制的なポッキーゲームの始まり。そして終わり。隼人はすぐにそれを折った。 「隼人顔真っ赤やん。」 「ゆでだこやん。」 「~~っうっせ。」 「いやー、なんかこれ、恥ずかしいね。」 「博人さん余裕やん。」 「大人の余裕やん。」  おかしいだろ、ポッキーゲーム、顔近すぎるだろ。知ってるか?ポッキーの長さって13.5cmなんだぜ。それを二人が咥えるところからスタートなんだぜ。一人3cm必要として、残り7.5㎝。た・え・ら・れ・る・か!! 「否、耐えられない!大体俺はブラコンじゃねぇし。」 「「ブラコンやん。」」  隼人の心の叫びは煽りーズに一蹴された。 「お前らの方がブラコンだろうが!」  そして次の反撃は思わぬ方向に。 「「それは否定できないなぁ。」」  平助は元の席に戻る。机を挟んで、青木兄弟の向かいに座る三つ子の並びは、向かって右から唐草、童葉、平助の順だ。  簡単に納得した煽りーズは、ポッキーを一本ずつ手に取ると、端を咥えて童葉に迫った。 「「じゃあ兄ちゃん、いざ。」」 「は、俺!?」 「俺は平助より兄ちゃんが好きだ。」 「唐草兄ちゃん酷い!でも俺も!」 「待て待て、落ち着け。」  童葉が動揺する。思わぬ展開に現実逃避したくなったのか、隼人の頭にそんな寒いダジャレが浮かんだ。 「落ち着いた。落ち着いて考えたら二人一遍は無理だった。」  落ち着いたと言いつつ、実行に向けて確実に進んでいるから怖い。 「どっちが先か。」 「「ここは兄ちゃんに決めてもらおう。」」 「俺には明様という心に決めた人が居てだなぁ!」 「何を言ってるんだい、これはただのゲームだよ。」 「そうだよ貞操の危機でも何でも無いんだよ。」 「しかし、兄弟でやるものではないだろう。」 「おい、ちょっと待て。」  隼人が割り込む。聞き捨てならない。確かに童葉は煽らなかったが、唯一二人を止められたかもしれないお前が何もしなかったせいで、俺は実の兄とポッキーゲームをするはめになったと言うに。 「すみません。」  騒いでいると、店員に声を掛けられた。まずい、うるさくし過ぎたか。 「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、お黙り下さいませ。」  やっぱりな、すみません。って、え?  ――お黙り下さいませ?  妙な敬語に青木兄弟が仲良く首を傾げると、 「「「姉ちゃん?!」」」  三つ子が振り向き、 「あお姉助けて!」  童葉が縋った。  三つ子、前らまだ兄弟がいたのか。これで少なくとも5人兄弟になったわけだが、実際何人兄弟なんだ?1ダースか? 「すみません。ただいま仕事中ですので、このようなナンパまがいのことは困ります。」 「姉ちゃん、今からポッキーゲームするから写真撮って!」 「OK唐草。」 「何故だ!」  この姉にしてこの弟ありか。いや、太陽さんはまともだったな。  両手を拘束されて、無理やり二本のポッキーを咥えさせられた童葉を二人が襲う。二人一遍は無理だって話はどうした。童葉がどうしたら良いか分からなくてフリーズしてるじゃないか。  デジタルカメラの連写音は、煽りーズの唇が童葉の唇の端に到達するまで鳴り響いた。兄弟の所業に隼人はドン引きし、童葉には優しくしようと決めた。  その夜。寮に帰った隼人は、にまにま笑った光に、隼人と博人のポッキーゲームの写真を見せられた。いつの間に撮ったんだよ、唐草。許さない。