たこ焼き屋は盛況です


 第一シフトの香清とヤマトは開店前のたこ焼き屋台で待機していた。  毎年11月の頭に開かれる山百合大学の学祭は、残暑で熱い年もあれば手がかじかむほどに寒い年もある。今年は残暑といかないまでも、ぽかぽかと暖かい日差しの注ぐ陽気の中、鉄板からの熱気も加わって、香清はゴテゴテした執事服の下でしっとり汗を滲ませていた。 「あ、ハンカチ忘れた。」  隣から聞こえる声に視線を下げる。小柄なヤマトは距離が近すぎると、ふわふわの団子頭とふんわり迫り出した胸しか見えない。しかし意識して覗き込めばエプロンの肩ひもに花柄のフェイスタオルが挟んであるのを見つけた。 「それじゃダメなのか?」  タオルを手に取って項を叩いて汗を取る彼女に聞いた。 「これと別にハンカチが欲しい。」  香清は、困ったように眉を下げる彼女を見ると、ポケットに雑にツッコんでいたハンカチを差し出した。くしゃっと変な皺の寄った面白味のない無地の水色のそれを見て、こんなことならもっとオシャレなハンカチを、それもぴしっとアイロンをかけて持って来れば良かったと思う。 「俺、タオルあれば良いから貸すけど。」 「香清!ありがとう!これで快適に過ごせるよ!」  それでも彼女は嬉しそうにそれを受け取って、そのままどこかに行ってしまった。  「ただいま♪」  すぐに帰って来たヤマトは先ほどより晴れやかな笑顔をしている。 「何してたの?」 「ハンカチ胸に挟んできた。」 「ぶっ」  さらっと問題発言をする彼女は、男と女を行き来しているためにこういった方面の配慮が足りないというか、自覚が無い。 「だ、だってこれないと夏は蒸れるんだよ!汗疹できちゃう!!」  思わず噴き出した香清に、やっとおかしいことに気が付いたヤマトは、途端に慌てて言い訳をした。 「や、ヤマトちゃん…!」 「え、ごめんダメだった…?あれだったら新しいの買って返すし…」 「それ、外すとき俺に引っ張らせてください。」 「へ?」  しかし香清の返事はハンカチをそんなことに使われたのが不快だとかそんなものではなく。 「ブラ付けたままの谷間に指を入れて、ハンカチを引っ張ってマシュマロみたいな胸の間からから抜かせてください!」 「へ、変態!」  まさに香清だった。 ******  開店早々、混みあう前の屋台の並びに顔を出したのは金髪碧眼の美少年。 「やっほー、ヤマト!香清!たこ焼き3つくださいな。」 「光は朝から元気だね。」 「巧太郎の居ない時間に来ようと思って。」 「三反田さん泣きますよ。」 「だってこの後僕ファッションショーだよ?ずっと巧太郎と一緒だもん。飽きる。」  あのハイテンションと飽きるほど一緒に居ないといけないだなんて、相当疲れることだろうと香清は思う。が、不憫だ。 「僕と、照と、診と、巧太郎だから…櫛四本入れてね。」  と思ったらただのツンデレだったようだ。 「はい、お待たせしました。」 「ありがとう!」  三つのパックを袋に入れて手渡すと、光は早速一つを開けてその場で頬張った。 「おいしー!」  桃色のほっぺたを押さえてふにゃんと笑う彼に、たこ焼きの屋の裏方男性陣がぽーっと頬を染めて見とれる。それにしても、焼きたてのたこ焼きは舌が爛れるほどに熱いはずなのだが彼は平気なようだ。 「光。」  そこに、彼の彼女の太陽が現れ声をかける。 「あ、太陽ちゃん、おはよう!」  光は、彼女の登場にパッと笑顔を輝かせると、たこ焼きのパックを彼女に手渡し自分の口を指して言った。 「食べさせて!あーんして!」  いちゃつき始めた性別が反対に見えるカップルに、裏方の生徒はせっかくうちのバカップル(香清とヤマト)が今のところ大人しいのにまさか敵兵が外からやって来るなんて…と目を伏せる。  太陽ははぁ…と呆れたように小さく息を漏らして希望に応えてたこ焼きを彼の口の前に差し出した。しかし、あきれた態度をとっていても耳がほんのり赤く染まっているので本当は照れていることが分かる。ごちそう様です。 「あふい〜っ!!」  たこ焼きを頬張った光ははふはふと空気を口に送り込み、涙目で訴える。濡れた瞳と赤く染まった目じりはとても色っぽい。もはや凶器じみたそれを目の当たりにして周囲は二重の意味で「うわぁ…」と顔を引き攣らせた。  ――あんた、さっきは平気で食べてたじゃないか! 「……」  ターゲットである太陽は、光の反応にぶわっと頬を染めて無言で彼に手を挙げる。  ペチッ  可愛らしい音を立てて額を叩かれると、悪戯がばれた光は「てへっ☆」と舌を出した。  ここまでがワンセットかこの野郎。ただただカップルに惚気られたたこ焼き屋は「リア充爆発」とぼそぼそ呟いた。  「ハロー、お二人さん!ご機嫌いかが?」  ふわふわロングヘアーの絶世の美女・明がペアルックの少女二人を伴ってやって来た。  連れられたふりふりふわふわのワンピースを来た少女のうち、ツインテールの方であるまゆは無表情でしずしずと、天パのショートカットの方である千晶は半泣きのどす黒い表情で手を引かれて引きずられるようにやって来た。 「僕たちのご機嫌より千晶のご機嫌が心配です。」  憐れむ声音でヤマトが答えた。つまりヤマトと香清の二人の機嫌は悪くないということだ。しかし、裏方の美術科生はそうではない。  着飾った美男子と男の理想の詰まった体型の女子の呼び込みにより、たこ焼き屋は午前中から盛況であった。つまりそれは二人を目当てにやってくる客が多いということだ。  男性客がヤマトの胸に視線をやれば香清が牽制し、女性客が香清に声をかければ香清は不自然にヤマトに話を振った。  一番のイベント(笑)は女性客の一人が香清にメールアドレスの書かれた紙を代金と一緒に渡したことである。香清は隣で接客するヤマトの腰を引きよせて 「すみません、俺彼女いるんですよ。」  とふわふわの頬にキスをしてみせた。  そんな胸焼けする光景を散々見せられた後である。裏方の美術科生は労働によるものではない疲れにみまわれていた。  美少女を侍らせた美女が去り、香清とヤマトの交代の時間が迫ると、裏方はやっと解放されると息をつく。しかし、そんな時にそいつらはやって来た。 「ヤマト、香清!」 「ヤマト、こんにちは。」  香清とよく似た顔のアイドル照と、その双子の兄の陽だ。 「俺には?」  ヤマトのみに柔らかい笑顔を向ける照に、当然香清は噛みついた。 「ああ、居たんですか。」  それに答える声は冷たい。  ヤマトを挟んで火花を散らす二人に裏方の体力はどんどん削られる。 「二人は仲良しだなぁ。」  そんな二人を微笑ましいものを見る様に呟く陽とヤマトは目が腐っているのかもしれない。 ******  翌日。香清とヒロカズとシフトの被った裏方は、またも体力を削られていた。  ヤマトの時には男女だからと自重していたところを、今日は男同士だから良いだろうとべたべたくっつきながらの接客になっている。昨日以上に恋人らしい二人の姿に、事情を知らない友人たちは「香清って恋人はモウエさんで良いんだよな?」「浮気だ、浮気。」などと囁きあった。  「私はヒロカズに頼んでんのよ!!」 「あんたがヒロカズって呼ぶんじゃねぇよ!!」  モデル体型の女性と美男子が、三白眼のとぼけた顔の大男を挟んで醜い争いを繰り広げる。 「年上に向かって何て口きいてんのよ!」 「もう、香清も斉藤さんもいい加減しなよ!」 「はいはい、すみませんでしたオバサマ〜」 「なんですって!?私がおばさんなら坂本圭斗なんかもっとおじさんなんだからね!!」  ヒロカズの制止もむなしく罵り合いはヒートアップする。 「巻き込み事故だ…」  哀れな圭斗のために誰かがつぶやいた。  問題児たちのシフトが終わり、穏やかな時間を過ごすも束の間、それは思わぬ伏兵を伴って現われた。 「お待たせ!」  見慣れない顔のメイドを連れた執事巧太郎である。 「誰、その人。」 「ここのOBの優斗さんでっす!」 「巧太郎君の代わりに女装してきました。」  その言葉に裏方一同は「あぁ」と納得する。  『折角だから、三反田君もメイドやりなよ!』  一週間前、そう言った女子の言葉に巧太郎は青い顔で首を振った。普段はノリの良いはずの彼は、女装をすることを頑なに嫌がったのだ。「いや、ムリ…ネタにされる、ネタにされるから…」と怯える様子の彼に男性陣も面白がって着ろよ着ろよと囃した。  結果、一度は渋々了承した彼は、数日後「身代わりを見つけた!」と嬉々として報告してくれたのだ。  そして彼がその身代わり。  長い前髪を編み込みにして、後ろ髪にふわりとボリュームを持たせたショートヘアと、ナチュラルながらも華やかな化粧は巧太郎がしたのだろう、可愛らしく、男には見えない。 「アイシャドウ何色にしてるの?」 「なんか、全体的に小さくて可愛い!」 「アイシャドウは、上が緑系で下はピンク系だよ。でも、川島さんはオレンジか青のほうが似合いそう。」 「うわぁ、三反田君便利!今度化粧品選んで!」  女性陣が二人を囲んではしゃぎだす。それにしても川島さん、便利って…  「いらっしゃいませー!!たこ焼き美味しいよー!!」  薫と学際を周っていた坂本圭斗は、聞き覚えの有りすぎる声に振り返る。しかし、そこにはうざい後輩の巧太郎と彼の学科の友人であろう女生徒しか見えない。  勘違いかと納得して、巧太郎を構うついでにたこ焼きを買ってやろうと近づくと、 「あ、お兄さん!いくつ包みます?」  可愛いメイドに声をかけられて飲んでいたお茶を噴出した。 「うわ、大丈夫か!?」  やはり聞きなれた声のメイドが心配してくれるが、大丈夫じゃない。でもたこ焼きにかからなくて良かった。 「ゆ、優斗ぉお!?」  濡れた口元を乱暴に拭ってメイドに詰め寄る。 「うん、圭斗!今朝ぶり!」 「お前何やってんだよ!!」 「巧太郎君と変わってもらった〜」 「三反田――!!」 「はいぃ!?」  圭斗の剣幕に巧太郎の返事が裏返る。薫は突然のことにキョトンと成り行きを見守った。 「お前、優斗に何させてんだよ!?」 「え、何って女装に抵抗のある俺の代わりにメイド服を…」 「コスプレ楽しいよ。それに俺学科OBだし。」 「OBは参加しないの!」  かみ合わない優斗と圭斗の会話に薫はふふふと他人のように笑った。 「あ、あの…優斗さんってもしかして坂本さんとアレな関係の優ちゃん…?」  巧太郎は恐る恐る言った。  かつて圭斗のケータイを奪った川島が「優ちゃん」に彼の合コン参加の許可をとろうとした場面を思い出す。  C棟に伝説を残したという、コミュ力カンストの優ちゃん。圭斗とのラブラブぶりは香清と大和に匹敵すると言われたあの優ちゃん…それが彼か。 「てか、なんで俺関係ないのに知り合ってるんだよ!」 「俺だから?」  圭斗のもっともな疑問に優斗はこともなげにそう言った。 「優斗〜!」 「うん?」  気持のやり場なく指をわなわなさせた圭斗は、ぎゅっとその手を握り込んで恨めし気に呟いた。 「…お前がメイド服脱ぐまで俺もここに居るから。」 「…うん?」  その言葉に優斗は何も分かっていなそうな声で生返事をするが、他のみんなはその意味が分かった。だってそれは昨日今日、我らが香清がヤマトとヒロカズとシフトが被らなかった時間帯、まさにやっていた行動だから。 「嫉妬ですか。」  言わなくても良いこと言う巧太郎に、圭斗はきっと視線をやって罵った。 「うっぜ、三反田うざ太郎。」 「坂本さん酷い!そんなんじゃこのメイド服あげませんから!」 「え、要らないけど。」  巧太郎の反撃に、優斗の方はそう答えるが、きっと彼の声は誰の耳にも届いていない、なぜなら圭斗が彼の台詞に被せて「要ります!」と叫んだから。 「え」 「要ります!」  思わぬ言葉に優斗が彼の顔を見ればもう一度叫ばれる。その理由を数拍置いてやっと理解すると、優斗はぶわっと頬を染めて 「うえぇ!?」  スカートの裾をぎゅっと握って情けなく声を裏返した。  思わぬ伏兵カップルに周囲が胸焼けを覚える中 「坂本さんも結構面白いな。」  薫一人があははと軽やかに笑った。