レースとプリント柄


 「てってれてってってーて♪」  スタンダードな丸い網目模様に、花模様、淡い色の入ったもの、動物をかたどった変わり種。アンティークな質感のものから青みかかるまで漂白されたものまで、ずらっと並んだレースの布地を鼻歌交じりに物色するのは、童顔低身長だが決して女には見えない19歳男。真ん中分けの前髪の向こうで、黒い瞳がきらきら輝かく。  「ふんっふーふふんっふー♪」  花柄、水玉、リボン柄、美しく並べられたカラフルで可愛い布地たち。女心をくすぐるそれらを鼻歌交じりで物色するのは、眉の手入れは女子並だが、決して女子ではない25歳男。頭の天辺で結ばれた長い前髪が彼の動きに合わせてぴょこぴょこ跳ねる。  店内にいくつも並べられた棚の同じ列の逆方向から布を見て行く二人は、お互い鼻歌を歌っているのに気付かない。徐々に近づく二人はレースとプリント生地の境でついに肩をぶつけた。  それは運命だったと思う。二人は目が合った瞬間、「こいつだ」そう思った。  花畑のような庭から入る店内は、大きな入口の扉と、テラスに続くガラスの引き戸から入る光で満たされて、壁際と言わず店内の至る所に飾られた色とりどりの花たちで華やいだ。  花屋と勘違いして入ってくる人も居そうだ。現に、中央に花瓶の埋められたテーブルで花を眺めながらカップを口に運ぶ坂本優斗も、巧太郎との待ち合わせ場所がここで合っているのか不安になった。店先で花に埋もれるように飾られた、「本日のケーキセット」が書かれたブラックボードを見つけて喫茶店だと理解したが。 「この前来たマダムがね、庭のブーゲンビレアを指して『これはおいくら?』って聞くんですよ。本当に花屋だと勘違いしたみたいで。」  だから持ち帰り用のクッキーに、ブーゲンビレアを添えたのだと言って、くすくす笑う店長に優斗も笑った。    シャラシャラ…  入口の硝子暖簾が涼しげな音を奏でると、店内に降り注ぐ光が虹色に揺れた。太陽の光の中から太陽みたいな笑顔が顔を出す。 「あ、巧太郎君。」 「優斗さん、お待たせしました!」 「ぜんぜん待ってないよ〜。てゆうかすごいね巧太郎君時間ぴったり!」  他に客が居ないのを良いことに小走りで近づいて来た巧太郎に優斗は腕時計を見ながら言った。 「うわぁ!さすが俺!」 「「イエーィ」」  二人は両手を上げてお互いの手を打ち鳴らした。  驚くほどにノリが同じだ。この人とは確実に気が合うと、手芸屋で初めて会った時にビビビときた。 「でで、どうする?さっそく見せてもらいたいところだけど、ここじゃ何だよね?でも俺ここ初めてだからもうちょっと居たい。」 「え、初めてなんですか!?」  優斗の言葉に、巧太郎は先ほどまで彼と談笑していた店長の顔を見た。 「うん。ここオシャレだし、食べ物も飲み物も美味しいね。」 「わー、ありがとうございます〜」  ふわふわの髪を後ろで一つにまとめた店長が、手を叩いて花を飛ばす。巧太郎はそんな彼と優斗を交互に見た。 「初対面なの!?」 「気分が乗ってきたからピアノ弾いちゃおうかな。」 「店長自由!てか俺も注文しますから!」  奥に置かれたグランドピアノに向かおうとする店長を巧太郎が慌てて引き止める。 「じゃあ弾けないですね。何にします?」  気の抜けた笑顔で戻ってくる彼に、巧太郎はこんな接客で良いのかと苦笑いした。 「今日のケーキは何ですか?」 「チーズスフレと、カスタードレモンパイと、紅茶のシフォンケーキです。」  メニューを聞いてう〜んと唸る。店長手作りのケーキたちはきっとどれも美味しいだろう。外はさっくり中に向かうにつれてしっとり濃厚な味わいになるチーズスフレ、特性の濃厚なカスタードにレモンの酸味と爽やかな香りが加わるサクサクのパイ、アールグレイの香りを優しく包み込んだふわふわのシフォンケーキ。どれもホールで食べたくなるほど美味しいに違いない。 「俺は紅茶シフォンを頼んだよ。美味しかった。」  優斗の言葉に唸るのを止める。 「うー…、じゃあ俺もそれで。それとアールグレイ、ミルクも付けて。」 「かしこまりました。」  店長は鼻歌交じりに厨房に入って行った。 「ずいぶんおしゃれな店だけど、巧太郎君はいつも誰かと来るの?」 「最初は友達?に連れてこられたんですけど、最近は一人でも来ますね。」  巧太郎は友人と言って良いのか分からない、見た目だけは愛らしい樹海ガールの顔を思い浮かべる。 「女の子?女の子?」 「でた!彼女とかそういうんじゃないですからね!良いように使われてるだけというか…」 「あはははっ」 「何笑!?」 「巧太郎君のテンション楽しい〜」 「うわぁ」  テンションがおかしいのは貴方もだと、巧太郎も声を上げて笑った。  「そうそう、本題ですよ。優斗さんが作ったもの見せてください!」  巧太郎がシフォンケーキを食べ終わり、二人がサービスで出された失敗したシフォンで作ったラスクを齧りだすころ、彼が切り出した。  今日の目的は、二人が出会った時に選んでいた材料でつくった作品を見せ合うことだ。 「俺は良いけど、巧太郎君もここで見せるの?」 「どうせ他にお客さんいないから大丈夫ですよ。」  彼の発言に店長が大げさに肩を竦める。 「あーあぁ…今日も閑古鳥が鳴いちゃうなぁ。」  失言だったと巧太郎が苦笑いすると、優斗が 「今微妙な時間帯ですからね。」  とフォローを入れた。 「そうですね、お昼時と3時のおやつは満席でした。」 「おー」  にこにこ笑う店長に二人は拍手を送った。  「じゃーん。と、言うほどのものではないのだけど。」  優斗が足元に置かれた荷物置きの籠から取り出したのは、がまぐちのショルダーバック。片面はオフホワイトの生地に赤と青の大きな水玉が規則的に並び、もう片面はウルトラマリンの生地に小さな白いドットが並んでいる。  巧太郎はビニール加工のそれを手に取り瞳を輝かせた。 「がまぐちだ!」 「そうです!がまぐちなんです!その日の気分で外に向ける面を変えられる、バイカラーならぬバイ柄ー!」 「まさかの親父ギャグ。」 「ずっと作ってみたかったんだけど、型とるの面倒くさがちゃってて〜やっと作った。めっちゃ楽しかった。」  優斗は顎先のつんと尖ったすまし顔をお餅みたいに綻ばせて自慢した。 「内ポケットもある!ハイクオリティー!」 「「フー!!」」  二人は同時に手を大きく上げるとパンッと叩きあって感動を現した。 「巧太郎君のも見せて!」 「うん!今出します!――じゃーん!」  ごそごそと紙袋を漁って取り出したのはふりふりのメイド服だ。  優斗は赤メガネの奥の瞳を瞬かせた。 「ふぉぉおおお!?何これすごい!!すごいけど何でメイド服!?」 「文化祭で使うんです。」 「あ、でもこれサイズ小さいね。巧太郎君が着るわけじゃないんだ?」 「…」 「なぜ視線を逸らす。」 「それは、女の子用です。が…」 「男物も作るの?」 「違う!女用Lサイズを作るんだ!ただ…」 「ただ?」 「……それって俺も着れるんです…」  巧太郎はがくっと肩を落として項垂れた。 ******  「俺、こういう理不尽なのスゲー嫌い。」  昼休みのC棟空き教室で、左手で頬杖をついた円佳香清は、右手に持ったペラ紙を見て、しゅっと形の整った顎に皺を作った。  美術科は文化祭では研究室ごとの特別展示に加えて美術科全体で模擬店を出す。今年は「執事メイドたこ焼き」、メイドと執事がたこ焼きを売る。今年の一年に大阪出身の奴が居たことと、メイド服着たいなどと言い出した奴が居たというだけで特別な意味は無い。日本橋ではメイドさんがクレープを売っているというし、なくはないだろう。  一人に付きシフトに入るのは2回だが、大和はヤマトとヒロカズの二人分のシフトに入ることになる。大和のことは秘密だから、仕方のないことだが良い気持ちはしない。香清は不満げに印刷されたシフト表をぺらぺら振った。 「僕、お前のそういう潔癖なところ嫌いじゃないよ。」  ヤマトは香清のむっとつき出した下唇をふにっと指で押す。 「だいたいヤマトちゃんは雑用とかも引き受けすぎだよ!もっと適当で良いの!!」  彼はヤマトの行動に目元をほんのり赤く染めつつも苛立たしげに机を叩いた。 「え〜?」 「それで俺に構って!」 「そっちが本音か。」  圭斗が口をはさんだ。薫は相変わらず笑い死にそうになっている。 「構ってるだろ?」 「足りないの!」  ヤマトが首を傾げれば香清は頭を振って否定する。 「香清のシフト、ヤマトともヒロカズとも被ってるじゃん。」 「頼んだからな。」 「それ、不正じゃない?」  ヤマトは怒っているというより拗ねている彼の頬を鷲塚んだ。拗ねた顔も可愛いけど、ほっぺたを寄せられて所謂変顔になっても可愛い。 「仏頂面。」 「むぅ…」 「香清が一緒じゃないシフトでも、香清は僕を構ってくれるんじゃないの?」  頬杖をつく彼の下に潜り込むように体制を低くして上目遣いでそう言えば、香清はぼっと顔を朱に染めてこくこく頷いた。その反応を見てヤマトは満足げにふんわり笑うが、周りの生徒は菓子パンや甘いジュースをそっと机に置いて遠ざけた。 「衣装は巧太郎がつくるんだって。女物と男物どっちも着られたら楽しいだろうなぁ。香清の執事姿、恰好良いだろうなぁ。香清は僕のメイド姿見たくない?」 「見たいし!ヤマトちゃんがメイドとか絶対可愛いし!!ヒロカズが執事とか想像だけで鼻血出そうだし!!」  興奮気味にまくしたてる香清に「堂々と浮気してんなよ。」などとヤジが飛ぶ。香清がそれに「してない!!」と噛みつくと、ガラッと入口の引き戸を開けてハイテンションな元気っ子が跳ねるように登場した。 「できた!できた!!ヤマト!円佳!試着!!」 「うわ、煩っ」  普段から高くて大きい声を更に大きく響かせる巧太郎に、香清は両耳を塞いで訴える。 「俺がうざいのはもういいから!試着!」 「よくは無いだろ。」 「二人借りまーす。」  巧太郎は圭斗のつっこみを無視して二人を引きずって行った。  「おー、さすが美形。」  圭斗と薫が感嘆の声を漏らす。再び巧太郎と共に現れた香清は見事に執事服を着こなしていた。  襟の切り返し部分に金の飾りボタンの付いた黒い燕尾のジャケットに、細かいストライプのグレーのベスト。細身のズボンとネクタイが彼の華奢な体格にマッチする。  周囲から「爆発しろ」「死ね」などのからかい交じりの罵倒の声がかかった。 「まあ、俺が似合うのは当然でしょう。何しろ美形だから。」  いつものようにふわりとセットされた前髪を掻き上げて彼が言うと、教室がどっとわいた。 「うわぁ、そういうことを言う。」 「あっはははは」  ちなみに一番笑っているのは言わずもがな薫である。 「でも香清は顔が可愛い方に派手だからリボン帯の方が良いかもな。」 「華やかと言って下さい。」  巧太郎の言葉に香清が真顔で返す。それに薫がひーひーと苦しそうに笑うものだから、圭斗はその背を撫でながら香清に物申した。 「おい、面白いこと言うの止めろよ。羅門が呼吸困難で運ばれる事態になるだろ。こいつ、こと円佳に関して異様に笑いの沸点低いんだから。」 「べつに面白いことは言っていませんが。」 「は、話し方がいつもより執事――っ!!」  圭斗の気遣いは逆効果だったようだが。  「巧太郎、着方これで合ってる?」  騒がしくしていると、再び扉が開いて今度は可愛いメイドが現われた。  ふわっと肩に膨らみができるように切り替えの付いた萌え袖のメイド服は、スカートの丈も膝丈で露出は少ない。しかし、きゅっと大きなリボンを結んだエプロンは細い腰を強調し、胸の下まで大きく開いた黒いワンピースの襟から白いシャツを見せるデザインは、彼女のふくよかな胸を強調させた。高い襟もそこから続く胸を目立たせる。巨乳の子がタートルネックを着た時の破壊力を想像して欲しい、そういうことだ。留めにリボン帯が谷間に挟まっているを見たらもう… 「…これは、思った以上に……」 「胸でか…腰細…」  男も女もそわそわと落ち着かなくなると、香清はヤマトに抱き威嚇した。 「俺のだから!これ俺のだからぁ!!」 「か、香清!?」  ガルルルと背中に飼った狼が牙をむく。そんな彼に巧太郎が声をかける。 「円佳、円佳。」 「何ですか。」 「実はそれオーバーニー。」  黒い布に包まれたヤマトの足を指して言うと、香清は躊躇なく彼女のスカートの中に潜りこんだ。 「ぎゃー!!」  教室中から悲鳴がおこる。 「か、か、か、かす…っ!?」  ヤマトは一瞬何が起こったか分からなくて、ぐるぐる回る思考の中で彼の名前を呼ぶ。  スカートに潜った香清はごくりと喉を鳴らした。  ウエストまで続くと思われた伸縮性のある薄い布地は、太股の際どい部分で止まり、その上でむっちりした肉が盛り上がっている。彼女愛用の通気性抜群の綿パンツも隠れることなくそこにある。堪らず股座に顔を埋めて太股からお尻にかけてを撫でまわした。 「ひぁっ!?」  彼女が悲鳴を上げて引きはがそうと頭を鷲塚んで来るが止められない。ぐりぐりと鼻先を押し付けるとふわふわの太股がしっとり手に馴染んでひくひく震えた。 「…っ、ぅン!やめ、」 「やめろ!」  彼女の声に官能の響きが混ざりだすと、硬直していた圭斗が慌てて香清の頭を蹴り飛ばした。 「坂本さん、ありがとうございます…っ」  へにゃへにゃとその場に座り込んだヤマトが涙声でお礼を言う。 「痛い。」  香清は蹴られた右側頭部を押さえ、悶絶した。巧太郎はそんな彼にひょこひょこ近づき痛みに歪んだ顔を覗き込む。 「学際終わったらメイド服あげるよ。」 「…貴方が神か!」  瞬間、がばっと顔を上げて巧太郎にすがりつく香清の回復の速さに、またも薫の腹筋が試された。