芸術奇行 おまけ


 

レースとプリント柄

「てってれてってってーて♪」  スタンダードな丸い網目模様に、花模様、淡い色の入ったもの、動物をかたどった変わり種。アンティークな質感のものから青みかかるまで漂白されたものまで、ずらっと並んだレースの布地を鼻歌交じりに物色するのは、童顔低身長だが決して女には見えない19歳男。真ん中分けの前髪の向こうで、黒い瞳がきらきら輝かく。  「ふんっふーふふんっふー♪」  花柄、水玉、リボン柄、美しく並べられたカラフルで可愛い布地たち。女心をくすぐるそれらを鼻歌交じりで物色するのは、眉の手入れは女子並だが、決して女子ではない25歳男。頭の天辺で結ばれた長い前髪が彼の動きに合わせてぴょこぴょこ跳ねる。  店内にいくつも並べられた棚の同じ列の逆方向から布を見て行く二人は、お互い鼻歌を歌っているのに気付かない。徐々に近づく二人はレースとプリント生地の境でついに肩をぶつけた。  それは運命だったと思う。二人は目が合った瞬間、「こいつだ」そう思った。  花畑のような庭から入る店内は、大きな入口の扉と、テラスに続くガラスの引き戸から入る光で満たされて、壁際と言わず店内の至る所に飾られた色とりどりの花たちで華やいだ。  花屋と勘違いして入ってくる人も居そうだ。現に、中央に花瓶の埋められたテーブルで花を眺めながらカップを口に運ぶ坂本優斗も、巧太郎との待ち合わせ場所がここで合っているのか不安になった。店先で花に埋もれるように飾られた、「本日のケーキセット」が書かれたブラックボードを見つけて喫茶店だと理解したが。 「この前来たマダムがね、庭のブーゲンビレアを指して『これはおいくら?』って聞くんですよ。本当に花屋だと勘違いしたみたいで。」  だから持ち帰り用のクッキーに、ブーゲンビレアを添えたのだと言って、くすくす笑う店長に優斗も笑った。    シャラシャラ…  入口の硝子暖簾が涼しげな音を奏でると、店内に降り注ぐ光が虹色に揺れた。太陽の光の中から太陽みたいな笑顔が顔を出す。 「あ、巧太郎君。」 「優斗さん、お待たせしました!」 「ぜんぜん待ってないよ~。てゆうかすごいね巧太郎君時間ぴったり!」  他に客が居ないのを良いことに小走りで近づいて来た巧太郎に優斗は腕時計を見ながら言った。 「うわぁ!さすが俺!」 「「イエーィ」」  二人は両手を上げてお互いの手を打ち鳴らした。  驚くほどにノリが同じだ。この人とは確実に気が合うと、手芸屋で初めて会った時にビビビときた。 「でで、どうする?さっそく見せてもらいたいところだけど、ここじゃ何だよね?でも俺ここ初めてだからもうちょっと居たい。」 「え、初めてなんですか!?」  優斗の言葉に、巧太郎は先ほどまで彼と談笑していた店長の顔を見た。 「うん。ここオシャレだし、食べ物も飲み物も美味しいね。」 「わー、ありがとうございます~」  ふわふわの髪を後ろで一つにまとめた店長が、手を叩いて花を飛ばす。巧太郎はそんな彼と優斗を交互に見た。 「初対面なの!?」 「気分が乗ってきたからピアノ弾いちゃおうかな。」 「店長自由!てか俺も注文しますから!」  奥に置かれたグランドピアノに向かおうとする店長を巧太郎が慌てて引き止める。 「じゃあ弾けないですね。何にします?」  気の抜けた笑顔で戻ってくる彼に、巧太郎はこんな接客で良いのかと苦笑いした。 「今日のケーキは何ですか?」 「チーズスフレと、カスタードレモンパイと、紅茶のシフォンケーキです。」  メニューを聞いてう~んと唸る。店長手作りのケーキたちはきっとどれも美味しいだろう。外はさっくり中に向かうにつれてしっとり濃厚な味わいになるチーズスフレ、特性の濃厚なカスタードにレモンの酸味と爽やかな香りが加わるサクサクのパイ、アールグレイの香りを優しく包み込んだふわふわのシフォンケーキ。どれもホールで食べたくなるほど美味しいに違いない。 「俺は紅茶シフォンを頼んだよ。美味しかった。」  優斗の言葉に唸るのを止める。 「うー…、じゃあ俺もそれで。それとアールグレイ、ミルクも付けて。」 「かしこまりました。」  店長は鼻歌交じりに厨房に入って行った。 「ずいぶんおしゃれな店だけど、巧太郎君はいつも誰かと来るの?」 「最初は友達?に連れてこられたんですけど、最近は一人でも来ますね。」  巧太郎は友人と言って良いのか分からない、見た目だけは愛らしい樹海ガールの顔を思い浮かべる。 「女の子?女の子?」 「でた!彼女とかそういうんじゃないですからね!良いように使われてるだけというか…」 「あはははっ」 「何笑!?」 「巧太郎君のテンション楽しい~」 「うわぁ」  テンションがおかしいのは貴方もだと、巧太郎も声を上げて笑った。 「そうそう、本題ですよ。優斗さんが作ったもの見せてください!」  巧太郎がシフォンケーキを食べ終わり、二人がサービスで出された失敗したシフォンで作ったラスクを齧りだすころ、彼が切り出した。  今日の目的は、二人が出会った時に選んでいた材料でつくった作品を見せ合うことだ。 「俺は良いけど、巧太郎君もここで見せるの?」 「どうせ他にお客さんいないから大丈夫ですよ。」  彼の発言に店長が大げさに肩を竦める。 「あーあぁ…今日も閑古鳥が鳴いちゃうなぁ。」  失言だったと巧太郎が苦笑いすると、優斗が 「今微妙な時間帯ですからね。」  とフォローを入れた。 「そうですね、お昼時と3時のおやつは満席でした。」 「おー」  にこにこ笑う店長に二人は拍手を送った。 「じゃーん。と、言うほどのものではないのだけど。」  優斗が足元に置かれた荷物置きの籠から取り出したのは、がまぐちのショルダーバック。片面はオフホワイトの生地に赤と青の大きな水玉が規則的に並び、もう片面はウルトラマリンの生地に小さな白いドットが並んでいる。  巧太郎はビニール加工のそれを手に取り瞳を輝かせた。 「がまぐちだ!」 「そうです!がまぐちなんです!その日の気分で外に向ける面を変えられる、バイカラーならぬバイ柄ー!」 「まさかの親父ギャグ。」 「ずっと作ってみたかったんだけど、型とるの面倒くさがちゃってて~やっと作った。めっちゃ楽しかった。」  優斗は顎先のつんと尖ったすまし顔をお餅みたいに綻ばせて自慢した。 「内ポケットもある!ハイクオリティー!」 「「フー!!」」  二人は同時に手を大きく上げるとパンッと叩きあって感動を現した。 「巧太郎君のも見せて!」 「うん!今出します!――じゃーん!」  ごそごそと紙袋を漁って取り出したのはふりふりのメイド服だ。  優斗は赤メガネの奥の瞳を瞬かせた。 「ふぉぉおおお!?何これすごい!!すごいけど何でメイド服!?」 「文化祭で使うんです。」 「あ、でもこれサイズ小さいね。巧太郎君が着るわけじゃないんだ?」 「…」 「なぜ視線を逸らす。」 「それは、女の子用です。が…」 「男物も作るの?」 「違う!女用Lサイズを作るんだ!ただ…」 「ただ?」 「……それって俺も着れるんです…」  巧太郎はがくっと肩を落として項垂れた。 ****** 「俺、こういう理不尽なのスゲー嫌い。」  昼休みのC棟空き教室で、左手で頬杖をついた円佳香清は、右手に持ったペラ紙を見て、しゅっと形の整った顎に皺を作った。  美術科は文化祭では研究室ごとの特別展示に加えて美術科全体で模擬店を出す。今年は「執事メイドたこ焼き」、メイドと執事がたこ焼きを売る。今年の一年に大阪出身の奴が居たことと、メイド服着たいなどと言い出した奴が居たというだけで特別な意味は無い。日本橋ではメイドさんがクレープを売っているというし、なくはないだろう。  一人に付きシフトに入るのは2回だが、大和はヤマトとヒロカズの二人分のシフトに入ることになる。大和のことは秘密だから、仕方のないことだが良い気持ちはしない。香清は不満げに印刷されたシフト表をぺらぺら振った。 「僕、お前のそういう潔癖なところ嫌いじゃないよ。」  ヤマトは香清のむっとつき出した下唇をふにっと指で押す。 「だいたいヤマトちゃんは雑用とかも引き受けすぎだよ!もっと適当で良いの!!」  彼はヤマトの行動に目元をほんのり赤く染めつつも苛立たしげに机を叩いた。 「え~?」 「それで俺に構って!」 「そっちが本音か。」  圭斗が口をはさんだ。薫は相変わらず笑い死にそうになっている。 「構ってるだろ?」 「足りないの!」  ヤマトが首を傾げれば香清は頭を振って否定する。 「香清のシフト、ヤマトともヒロカズとも被ってるじゃん。」 「頼んだからな。」 「それ、不正じゃない?」  ヤマトは怒っているというより拗ねている彼の頬を鷲塚んだ。拗ねた顔も可愛いけど、ほっぺたを寄せられて所謂変顔になっても可愛い。 「仏頂面。」 「むぅ…」 「香清が一緒じゃないシフトでも、香清は僕を構ってくれるんじゃないの?」  頬杖をつく彼の下に潜り込むように体制を低くして上目遣いでそう言えば、香清はぼっと顔を朱に染めてこくこく頷いた。その反応を見てヤマトは満足げにふんわり笑うが、周りの生徒は菓子パンや甘いジュースをそっと机に置いて遠ざけた。 「衣装は巧太郎がつくるんだって。女物と男物どっちも着られたら楽しいだろうなぁ。香清の執事姿、恰好良いだろうなぁ。香清は僕のメイド姿見たくない?」 「見たいし!ヤマトちゃんがメイドとか絶対可愛いし!!ヒロカズが執事とか想像だけで鼻血出そうだし!!」  興奮気味にまくしたてる香清に「堂々と浮気してんなよ。」などとヤジが飛ぶ。香清がそれに「してない!!」と噛みつくと、ガラッと入口の引き戸を開けてハイテンションな元気っ子が跳ねるように登場した。 「できた!できた!!ヤマト!円佳!試着!!」 「うわ、煩っ」  普段から高くて大きい声を更に大きく響かせる巧太郎に、香清は両耳を塞いで訴える。 「俺がうざいのはもういいから!試着!」 「よくは無いだろ。」 「二人借りまーす。」  巧太郎は圭斗のつっこみを無視して二人を引きずって行った。 「おー、さすが美形。」  圭斗と薫が感嘆の声を漏らす。再び巧太郎と共に現れた香清は見事に執事服を着こなしていた。  襟の切り返し部分に金の飾りボタンの付いた黒い燕尾のジャケットに、細かいストライプのグレーのベスト。細身のズボンとネクタイが彼の華奢な体格にマッチする。  周囲から「爆発しろ」「死ね」などのからかい交じりの罵倒の声がかかった。 「まあ、俺が似合うのは当然でしょう。何しろ美形だから。」  いつものようにふわりとセットされた前髪を掻き上げて彼が言うと、教室がどっとわいた。 「うわぁ、そういうことを言う。」 「あっはははは」  ちなみに一番笑っているのは言わずもがな薫である。 「でも香清は顔が可愛い方に派手だからリボン帯の方が良いかもな。」 「華やかと言って下さい。」  巧太郎の言葉に香清が真顔で返す。それに薫がひーひーと苦しそうに笑うものだから、圭斗はその背を撫でながら香清に物申した。 「おい、面白いこと言うの止めろよ。羅門が呼吸困難で運ばれる事態になるだろ。こいつ、こと円佳に関して異様に笑いの沸点低いんだから。」 「べつに面白いことは言っていませんが。」 「は、話し方がいつもより執事――っ!!」  圭斗の気遣いは逆効果だったようだが。 「巧太郎、着方これで合ってる?」  騒がしくしていると、再び扉が開いて今度は可愛いメイドが現われた。  ふわっと肩に膨らみができるように切り替えの付いた萌え袖のメイド服は、スカートの丈も膝丈で露出は少ない。しかし、きゅっと大きなリボンを結んだエプロンは細い腰を強調し、胸の下まで大きく開いた黒いワンピースの襟から白いシャツを見せるデザインは、彼女のふくよかな胸を強調させた。高い襟もそこから続く胸を目立たせる。巨乳の子がタートルネックを着た時の破壊力を想像して欲しい、そういうことだ。留めにリボン帯が谷間に挟まっているを見たらもう… 「…これは、思った以上に……」 「胸でか…腰細…」  男も女もそわそわと落ち着かなくなると、香清はヤマトに抱き威嚇した。 「俺のだから!これ俺のだからぁ!!」 「か、香清!?」  ガルルルと背中に飼った狼が牙をむく。そんな彼に巧太郎が声をかける。 「円佳、円佳。」 「何ですか。」 「実はそれオーバーニー。」  黒い布に包まれたヤマトの足を指して言うと、香清は躊躇なく彼女のスカートの中に潜りこんだ。 「ぎゃー!!」  教室中から悲鳴がおこる。 「か、か、か、かす…っ!?」  ヤマトは一瞬何が起こったか分からなくて、ぐるぐる回る思考の中で彼の名前を呼ぶ。  スカートに潜った香清はごくりと喉を鳴らした。  ウエストまで続くと思われた伸縮性のある薄い布地は、太股の際どい部分で止まり、その上でむっちりした肉が盛り上がっている。彼女愛用の通気性抜群の綿パンツも隠れることなくそこにある。堪らず股座に顔を埋めて太股からお尻にかけてを撫でまわした。 「ひぁっ!?」  彼女が悲鳴を上げて引きはがそうと頭を鷲塚んで来るが止められない。ぐりぐりと鼻先を押し付けるとふわふわの太股がしっとり手に馴染んでひくひく震えた。 「…っ、ぅン!やめ、」 「やめろ!」  彼女の声に官能の響きが混ざりだすと、硬直していた圭斗が慌てて香清の頭を蹴り飛ばした。 「坂本さん、ありがとうございます…っ」  へにゃへにゃとその場に座り込んだヤマトが涙声でお礼を言う。 「痛い。」  香清は蹴られた右側頭部を押さえ、悶絶した。巧太郎はそんな彼にひょこひょこ近づき痛みに歪んだ顔を覗き込む。 「学際終わったらメイド服あげるよ。」 「…貴方が神か!」  瞬間、がばっと顔を上げて巧太郎にすがりつく香清の回復の速さに、またも薫の腹筋が試された。





 

たこ焼き屋は盛況です

 第一シフトの香清とヤマトは開店前のたこ焼き屋台で待機していた。  毎年11月の頭に開かれる山百合大学の学祭は、残暑で熱い年もあれば手がかじかむほどに寒い年もある。今年は残暑といかないまでも、ぽかぽかと暖かい日差しの注ぐ陽気の中、鉄板からの熱気も加わって、香清はゴテゴテした執事服の下でしっとり汗を滲ませていた。 「あ、ハンカチ忘れた。」  隣から聞こえる声に視線を下げる。小柄なヤマトは距離が近すぎると、ふわふわの団子頭とふんわり迫り出した胸しか見えない。しかし意識して覗き込めばエプロンの肩ひもに花柄のフェイスタオルが挟んであるのを見つけた。 「それじゃダメなのか?」  タオルを手に取って項を叩いて汗を取る彼女に聞いた。 「これと別にハンカチが欲しい。」  香清は、困ったように眉を下げる彼女を見ると、ポケットに雑にツッコんでいたハンカチを差し出した。くしゃっと変な皺の寄った面白味のない無地の水色のそれを見て、こんなことならもっとオシャレなハンカチを、それもぴしっとアイロンをかけて持って来れば良かったと思う。 「俺、タオルあれば良いから貸すけど。」 「香清!ありがとう!これで快適に過ごせるよ!」  それでも彼女は嬉しそうにそれを受け取って、そのままどこかに行ってしまった。 「ただいま♪」  すぐに帰って来たヤマトは先ほどより晴れやかな笑顔をしている。 「何してたの?」 「ハンカチ胸に挟んできた。」 「ぶっ」  さらっと問題発言をする彼女は、男と女を行き来しているためにこういった方面の配慮が足りないというか、自覚が無い。 「だ、だってこれないと夏は蒸れるんだよ!汗疹できちゃう!!」  思わず噴き出した香清に、やっとおかしいことに気が付いたヤマトは、途端に慌てて言い訳をした。 「や、ヤマトちゃん…!」 「え、ごめんダメだった…?あれだったら新しいの買って返すし…」 「それ、外すとき俺に引っ張らせてください。」 「へ?」  しかし香清の返事はハンカチをそんなことに使われたのが不快だとかそんなものではなく。 「ブラ付けたままの谷間に指を入れて、ハンカチを引っ張ってマシュマロみたいな胸の間からから抜かせてください!」 「へ、変態!」  まさに香清だった。 ******  開店早々、混みあう前の屋台の並びに顔を出したのは金髪碧眼の美少年。 「やっほー、ヤマト!香清!たこ焼き3つくださいな。」 「光は朝から元気だね。」 「巧太郎の居ない時間に来ようと思って。」 「三反田さん泣きますよ。」 「だってこの後僕ファッションショーだよ?ずっと巧太郎と一緒だもん。飽きる。」  あのハイテンションと飽きるほど一緒に居ないといけないだなんて、相当疲れることだろうと香清は思う。が、不憫だ。 「僕と、照と、診と、巧太郎だから…櫛四本入れてね。」  と思ったらただのツンデレだったようだ。 「はい、お待たせしました。」 「ありがとう!」  三つのパックを袋に入れて手渡すと、光は早速一つを開けてその場で頬張った。 「おいしー!」  桃色のほっぺたを押さえてふにゃんと笑う彼に、たこ焼きの屋の裏方男性陣がぽーっと頬を染めて見とれる。それにしても、焼きたてのたこ焼きは舌が爛れるほどに熱いはずなのだが彼は平気なようだ。 「光。」  そこに、彼の彼女の太陽が現れ声をかける。 「あ、太陽ちゃん、おはよう!」  光は、彼女の登場にパッと笑顔を輝かせると、たこ焼きのパックを彼女に手渡し自分の口を指して言った。 「食べさせて!あーんして!」  いちゃつき始めた性別が反対に見えるカップルに、裏方の生徒はせっかくうちのバカップル(香清とヤマト)が今のところ大人しいのにまさか敵兵が外からやって来るなんて…と目を伏せる。  太陽ははぁ…と呆れたように小さく息を漏らして希望に応えてたこ焼きを彼の口の前に差し出した。しかし、あきれた態度をとっていても耳がほんのり赤く染まっているので本当は照れていることが分かる。ごちそう様です。 「あふい~っ!!」  たこ焼きを頬張った光ははふはふと空気を口に送り込み、涙目で訴える。濡れた瞳と赤く染まった目じりはとても色っぽい。もはや凶器じみたそれを目の当たりにして周囲は二重の意味で「うわぁ…」と顔を引き攣らせた。 ――あんた、さっきは平気で食べてたじゃないか! 「……」  ターゲットである太陽は、光の反応にぶわっと頬を染めて無言で彼に手を挙げる。  ペチッ  可愛らしい音を立てて額を叩かれると、悪戯がばれた光は「てへっ☆」と舌を出した。  ここまでがワンセットかこの野郎。ただただカップルに惚気られたたこ焼き屋は「リア充爆発」とぼそぼそ呟いた。 「ハロー、お二人さん!ご機嫌いかが?」  ふわふわロングヘアーの絶世の美女・明がペアルックの少女二人を伴ってやって来た。  連れられたふりふりふわふわのワンピースを来た少女のうち、ツインテールの方であるまゆは無表情でしずしずと、天パのショートカットの方である千晶は半泣きのどす黒い表情で手を引かれて引きずられるようにやって来た。 「僕たちのご機嫌より千晶のご機嫌が心配です。」  憐れむ声音でヤマトが答えた。つまりヤマトと香清の二人の機嫌は悪くないということだ。しかし、裏方の美術科生はそうではない。  着飾った美男子と男の理想の詰まった体型の女子の呼び込みにより、たこ焼き屋は午前中から盛況であった。つまりそれは二人を目当てにやってくる客が多いということだ。  男性客がヤマトの胸に視線をやれば香清が牽制し、女性客が香清に声をかければ香清は不自然にヤマトに話を振った。  一番のイベント(笑)は女性客の一人が香清にメールアドレスの書かれた紙を代金と一緒に渡したことである。香清は隣で接客するヤマトの腰を引きよせて 「すみません、俺彼女いるんですよ。」  とふわふわの頬にキスをしてみせた。  そんな胸焼けする光景を散々見せられた後である。裏方の美術科生は労働によるものではない疲れにみまわれていた。  美少女を侍らせた美女が去り、香清とヤマトの交代の時間が迫ると、裏方はやっと解放されると息をつく。しかし、そんな時にそいつらはやって来た。 「ヤマト、香清!」 「ヤマト、こんにちは。」  香清とよく似た顔のアイドル照と、その双子の兄の陽だ。 「俺には?」  ヤマトのみに柔らかい笑顔を向ける照に、当然香清は噛みついた。 「ああ、居たんですか。」  それに答える声は冷たい。  ヤマトを挟んで火花を散らす二人に裏方の体力はどんどん削られる。 「二人は仲良しだなぁ。」  そんな二人を微笑ましいものを見る様に呟く陽とヤマトは目が腐っているのかもしれない。 ******  翌日。香清とヒロカズとシフトの被った裏方は、またも体力を削られていた。  ヤマトの時には男女だからと自重していたところを、今日は男同士だから良いだろうとべたべたくっつきながらの接客になっている。昨日以上に恋人らしい二人の姿に、事情を知らない友人たちは「香清って恋人はモウエさんで良いんだよな?」「浮気だ、浮気。」などと囁きあった。  「私はヒロカズに頼んでんのよ!!」 「あんたがヒロカズって呼ぶんじゃねぇよ!!」  モデル体型の女性と美男子が、三白眼のとぼけた顔の大男を挟んで醜い争いを繰り広げる。 「年上に向かって何て口きいてんのよ!」 「もう、香清も斉藤さんもいい加減しなよ!」 「はいはい、すみませんでしたオバサマ~」 「なんですって!?私がおばさんなら坂本圭斗なんかもっとおじさんなんだからね!!」  ヒロカズの制止もむなしく罵り合いはヒートアップする。 「巻き込み事故だ…」  哀れな圭斗のために誰かがつぶやいた。  問題児たちのシフトが終わり、穏やかな時間を過ごすも束の間、それは思わぬ伏兵を伴って現われた。 「お待たせ!」  見慣れない顔のメイドを連れた執事巧太郎である。 「誰、その人。」 「ここのOBの優斗さんでっす!」 「巧太郎君の代わりに女装してきました。」  その言葉に裏方一同は「あぁ」と納得する。  『折角だから、三反田君もメイドやりなよ!』  一週間前、そう言った女子の言葉に巧太郎は青い顔で首を振った。普段はノリの良いはずの彼は、女装をすることを頑なに嫌がったのだ。「いや、ムリ…ネタにされる、ネタにされるから…」と怯える様子の彼に男性陣も面白がって着ろよ着ろよと囃した。  結果、一度は渋々了承した彼は、数日後「身代わりを見つけた!」と嬉々として報告してくれたのだ。  そして彼がその身代わり。  長い前髪を編み込みにして、後ろ髪にふわりとボリュームを持たせたショートヘアと、ナチュラルながらも華やかな化粧は巧太郎がしたのだろう、可愛らしく、男には見えない。 「アイシャドウ何色にしてるの?」 「なんか、全体的に小さくて可愛い!」 「アイシャドウは、上が緑系で下はピンク系だよ。でも、川島さんはオレンジか青のほうが似合いそう。」 「うわぁ、三反田君便利!今度化粧品選んで!」  女性陣が二人を囲んではしゃぎだす。それにしても川島さん、便利って… 「いらっしゃいませー!!たこ焼き美味しいよー!!」  薫と学際を周っていた坂本圭斗は、聞き覚えの有りすぎる声に振り返る。しかし、そこにはうざい後輩の巧太郎と彼の学科の友人であろう女生徒しか見えない。  勘違いかと納得して、巧太郎を構うついでにたこ焼きを買ってやろうと近づくと、 「あ、お兄さん!いくつ包みます?」  可愛いメイドに声をかけられて飲んでいたお茶を噴出した。 「うわ、大丈夫か!?」  やはり聞きなれた声のメイドが心配してくれるが、大丈夫じゃない。でもたこ焼きにかからなくて良かった。 「ゆ、優斗ぉお!?」  濡れた口元を乱暴に拭ってメイドに詰め寄る。 「うん、圭斗!今朝ぶり!」 「お前何やってんだよ!!」 「巧太郎君と変わってもらった~」 「三反田――!!」 「はいぃ!?」  圭斗の剣幕に巧太郎の返事が裏返る。薫は突然のことにキョトンと成り行きを見守った。 「お前、優斗に何させてんだよ!?」 「え、何って女装に抵抗のある俺の代わりにメイド服を…」 「コスプレ楽しいよ。それに俺学科OBだし。」 「OBは参加しないの!」  かみ合わない優斗と圭斗の会話に薫はふふふと他人のように笑った。 「あ、あの…優斗さんってもしかして坂本さんとアレな関係の優ちゃん…?」  巧太郎は恐る恐る言った。  かつて圭斗のケータイを奪った川島が「優ちゃん」に彼の合コン参加の許可をとろうとした場面を思い出す。  C棟に伝説を残したという、コミュ力カンストの優ちゃん。圭斗とのラブラブぶりは香清と大和に匹敵すると言われたあの優ちゃん…それが彼か。 「てか、なんで俺関係ないのに知り合ってるんだよ!」 「俺だから?」  圭斗のもっともな疑問に優斗はこともなげにそう言った。 「優斗~!」 「うん?」  気持のやり場なく指をわなわなさせた圭斗は、ぎゅっとその手を握り込んで恨めし気に呟いた。 「…お前がメイド服脱ぐまで俺もここに居るから。」 「…うん?」  その言葉に優斗は何も分かっていなそうな声で生返事をするが、他のみんなはその意味が分かった。だってそれは昨日今日、我らが香清がヤマトとヒロカズとシフトが被らなかった時間帯、まさにやっていた行動だから。 「嫉妬ですか。」  言わなくても良いこと言う巧太郎に、圭斗はきっと視線をやって罵った。 「うっぜ、三反田うざ太郎。」 「坂本さん酷い!そんなんじゃこのメイド服あげませんから!」 「え、要らないけど。」  巧太郎の反撃に、優斗の方はそう答えるが、きっと彼の声は誰の耳にも届いていない、なぜなら圭斗が彼の台詞に被せて「要ります!」と叫んだから。 「え」 「要ります!」  思わぬ言葉に優斗が彼の顔を見ればもう一度叫ばれる。その理由を数拍置いてやっと理解すると、優斗はぶわっと頬を染めて 「うえぇ!?」  スカートの裾をぎゅっと握って情けなく声を裏返した。  思わぬ伏兵カップルに周囲が胸焼けを覚える中 「坂本さんも結構面白いな。」  薫一人があははと軽やかに笑った。





 

モデルさん

 圭斗は文化祭の最中、H2Oサークルに後輩二人を冷やかしに来ると、目的の後輩である香清とヒロカズ、プラスで何故か巧太郎と、本当なんでここに居るんだよ、な優斗がおかっぱの美少女をモデルにデッサンをしていた。 「こんにちは、ここでは部誌の販売をしています。サンプルはこちらのパソコンで見られるようになっていますので、自由にご覧になってください。」 「ちなみに、今はデッサンの実演中です。こちらも自由に覗いてください。今モデルになっているは我が部の部長の影木幻十郎君です!」  受け付けの生徒の言葉にモデルに目を戻す。美少女だと思ったが、男だったらしい。光しかり太陽しかり、最近男だか女だか判断しにくいやつが多すぎる。 「あ、圭斗だ!」 「おう。」  にこにこ楽しげに手を動かしていた優斗が、こちらに気づいて、それまで以上にぱっと顔を輝かせる。 「坂本さん、来てくれたんですね!」 「お前が居たのは予想外だよ。」 「またまたぁ、俺が居て嬉しいくせにぃ!」 「三反田うぜぇ。」  巧太郎を弄っていると、受付の二人のうちふわふわロングヘアーの方が、紙の束を持ってきた。 「身内だったんですねぇ。これ、学際中のデッサンです。」  モデルは交代制らしく、大和や香清を描いたものもあり、それぞれモデルと作者の名前が右下にメモされていた。  一番枚数が多いのは、香清の水彩絵の具で描かれた瑞々しいタッチの絵と、大和の柔らかいタッチの鉛筆画だ。そのうち巧太郎の平面的な絵も出てきた。平面的ながらも書き込みが丁寧で特徴をとらえたこれのモデルは優斗だ。 「優斗、モデルもやったのかよ。」 「……」  返事が無い。作業に集中しているらしい。目と手がひたすら動き続けている。  仕方なく、彼の後ろに回って覗き込むと、色を重ねて重ねて、取って擦って、苛め抜かれた紙があった。 「なんか、お前の絵、すげーな。」  カラフルな土木のようなそれを指して言うと、近距離だったのでさすがに気づいた優斗が 「色鉛筆で描き込みしまくるのめっちゃ楽しい!」  と本当に楽しそうに答えた。 「坂本さん、優斗さんの邪魔したらダメですよ。」 「うるせー円佳。」 「これ終わったら圭斗と遊ぶ!」  香清の言葉に不貞腐れるが、優斗の無邪気さに癒された。うちの子マジ天使。 「あ、次のモデル俺なんですよ。代わりに坂本さんやりません?」  内心悶えていると巧太郎に提案される。 「お前じっとしていられなさそうだもんな。」 「失礼な!」  その誘いに乗ったのは、にこにこ笑いながらデッサンをする優斗の視線が俺に向いたら良い、なんて思ったからかもしれない。 ******  モデルを終えた圭斗と、優斗・ヒロカズ・香清・巧太郎の五人はそろって、芸術館で行われている美術科の作品展示を見に行くことにした。 「あー、疲れた。」  道すがら、腕を回す圭斗に優斗が跳びつく。 「お疲れ様~。」  そのまま肩を揉まれるのは気持ち良いし嬉しいのだが、歩きづらい。 「優斗くんはこっち。」 「やばい、ホモップルに挟まれた!光、俺の光はいずこ!?」  優斗の手を引いて隣に並ばせ脇に抱え込めば、通常運転な香清とヒロカズと、圭斗と優斗を交互に見た巧太郎が騒いだ。 「うわぁ…」 「うげぇ…」 「えげつねぇ…」  優斗、巧太郎、圭斗がそれぞれ二つの絵を見て呟いた。ちなみに五人の隣では薫が蹲って震えている。五人が来る前からこの状態だった。  誰が意図したのか、ヒロカズと香清の絵は隣同士に展示されていた。もちろんお互いがモデルである。  ヒロカズの絵は背景に花を散らした香清の顔のアップであり、彼の持ち味である現実と空想の融合した構成と描き味で、幻想的かつ神秘的な作品に仕上がっている。作品名は「美」。 「僕の香清は美しいでしょう!」  得意げに放たれたその言葉に、浮上しかけた薫がまた沈む。ちらりとのぞいた顔が危ない。   香清の絵は風の吹き込むどこかの部屋を背景に、ヒロカズの背中を描いた油絵だ。作品名は「慾」。 「この絵は…ド変態だね。」  触れたら温度を感じられそうな、写真以上のリアリティ。描き込みが過ぎていっそ生々しいそれを見て優斗が言った。 「お前、さっきのデッサン、あんなじゃなかったじゃんか。」 「ヒロカズですから!」  巧太郎の言葉を受けて、香清はヒロカズを抱きしめる。 「まずこの肌!白い!触るとましゅまろ肌なんです。こんなの、触んなければ分からないし描けません。」  そう言ってシャツを捲って背中に手を這わせる。 「ちょ、止め…っ」 「それに、触った時の反応も、」 「…ひぅぅ…っ」 「味も」  二の腕に口つける。 「ちょ、バカっ!」 「他のモデルでは確かめられません。」 「~~~っ」  きりっと言い放つ香清の前で、ヒロカズは耳まで赤く染め、拳を握って打ち震える。 「香清の馬鹿やろう!!」  振り向きざま得意げに笑うそいつの腹に一発決めた。 「…あいつ、本当に彼女いるんだよな?」 「…さぁ?」  遠目で様子を見ていた受付係の美術科生が首を傾げた。


芸術奇行 おまけ<完>