男マネ ルーキー編


 

おはよう新生活

 アラーム音で目を覚ます。ロードワークに誘うついでに起こしてくれる兄は高校入学と同時に学校の寮に入ってしまった。  暦は春と言えど未だ肌寒い、5月に入りたての早朝。心瑛は冷たい水で顔を洗い、眠気を飛ばす。  心瑛には常に心のどこかに引っかかっている人物が二人いる。引っかかる? 居座る? とにかくふとした時に思い出したり考えたりする人だ。  一人は三歳年上の兄。  小学校入学と同時にサッカークラブに入り、活躍する兄に憧れて、心瑛も兄と同じようにクラブに入り、兄の通った中学に進学して兄が部長を務めたサッカー部に入部した。  洗面台に移るのは、兄の精悍な顔立ちとは違う童顔で、髪質だってなんだかふわふわしているし、兄のようにガタイもよくない。鍛えているのに細身のチビだ。  男として羨ましくはあるけどそれはそれ、兄の後をなぞって生きているように見えるかもしれないけれど、自分は自分さ。兄とはサッカーのポジションだって違うし、自分の生かし方だって違う。  兄のマネをしてくすぶっていた自分にそれを気づかせてくれたのはやっぱり兄だった。選手としての目標は兄ではないけど、やっぱり兄は憧れだ。  ロードワークを終え、ガッツリご飯を食べて学校に向かう。スクールバッグとスポーツバッグを両肩に掛けて部室へ走るその途中、グラウンド前の水道で大きな金だらいとそれについた水滴が、太陽を反射して煌めいた。  つい最近知り合った、もう一人の気になる人は、いつも洗濯洗剤と水の香りがする。 「えー、昨日で仮入部期間が終わり、今日から一年生は正式な部員となりました」 「部長硬いぞ~」 「もっとプリンス感を出していけ」 「もう、外野なんなの! 真面目にやってるのに! あー……、それで入部届を出してくれたのはここに居る四人です。みんなもう知ってると思うけど、一応改めて自己紹介お願いしまぁす」 「最後ちょっとプリンス感出てたぞ」 「だからプリンス感てなに!?」  三年の先輩たちのふざけた掛け合いの後、新入生が順に自己紹介をしていく。 「一年一組 宮本心瑛(みやもともとあき)! 友達にはモトモトって呼ばれてました! ポジションはキーパーです! ナリは小さいけど、ジャンプ力・瞬発力・握力・キック力、鍛えてきたし鍛えます! 身軽で素早く力持ち!! 最強のゴールキーパー目指して頑張ります!!」  元気よく挨拶をした心瑛に先輩たちは親しげに声かけ、お互いに懐かし気に言葉を交わす。 「良いぞモトモト頑張れ!」 「前部長に似てないなぁ、可愛いなぁ」 「あぁ! 先輩今、言外にチビだって言いました!?」 「自分で小さいって言っただろー」  そうだけど、と心瑛がむくれている間に、二、三年生の自己紹介が進んでいく。 「最後に、部長の王司遊馬でぇす」 「名前の響きと、甘いマスクと柔和な性格から学校中でプリンスって呼ばれてます!」 「ポジションはセンターフォワード! ふわふわ喋ってっけど動けます!」 「学力はそこそこ!」 「外野が紹介してくれたけどそういう感じでぇす。それじゃあ、早速練習始めようか」  どうやら部長の王司はいじられ役らしい。新入生が認識を新たにし、部員がバラバラと動き出す。その中、心瑛はハッと思いついて声を上げた。 「あっ!!」  思わず響いた声に心瑛はばっと口を手で押さえてみたが、すでに「どうした?」と視線が集まってしまった。 「え、あー、その……マネージャーの紹介は無いんですか……?」 「ああ、そっかぁ! うちの姫とフェアリーも紹介しないとねぇ、それはそうだ」  心瑛がおずおずと発言すると、部長の遊馬が逃げようとした男のマネージャーの腕を掴んで引きずり戻した。 「フェアリーが逃げたそうだから先にしようね! 自己紹介して!」 「……三年、源氏孝一。マネージャーは趣味でやってる。掃除洗濯はするけどサッカーはそんなに詳しくない」  腕を掴まれたまま地面に向かってぼそぼそと話す彼に、遊馬の時と同じように外から紹介が足されていく。 「慣れあわないけど、人見知りなだけで本当は仲良くしたいと思っているツンデレです。パーソナルスペースが広く、対人ストレスを感じやすい性格なので触れ合うときは距離感に気を使ってください」 「家庭科系統何でもできる! 料理はプロ級! マジうまい!」 「学校では氷の女王とか呼ばれてるけど、うちではフェアリーです!」 「やめろ!!」  顔を赤くした孝一が、遊馬の腕を振り払って駆け出すと、その背中に向かってみな口々に「フェアリー!」「フェアリーが逃げた!」と言葉を投げた。  朝練を終えて着替えると、すぐに教室へ向かう。一年一組は一階の、昇降口から一番近い場所にあるため、心瑛はいつも余裕をもって席に着くことができた。 「お前よく先輩に意見言えるよなぁ。マネージャーのこととか」  鞄を置いた心瑛に、サッカー部の仲間が話しかけてきた。 「マネージャーの紹介は無いんですか!? って」 「そんな勢いよく言ってねぇし! あれはだって、気になってたから……つい」  朝読書の前の僅かな時間、他クラスのサッカー部員はぎりぎりまで一組でたむろするのが、入学からの短い期間で習慣になっている。 「まあ確かに川島先輩可愛いもんな」 「でも彼氏いるらしいぞ」 「横恋慕か」 「違うよ! 源氏先輩の方!」  好き勝手に話す彼らに心瑛は慌てて否定した。 「え、そっちの人?」  手の甲を頬の横に滑らせるジェスチャーをする友人に、心瑛は大きく首を横に振る。 「そういう意味じゃないから! でもこんなに人のこと気になるの兄貴以外に居なかったんだよ、だって何かほら、あの人、構いたくなるって言うか……」 「先輩に向かって構いたくなるってお前……」 「でも実際先輩たちには構い倒されてそうだよね、あの人」 「見た目クールなのに家事得意だったり、普段すましてるのに今日みたいに弄られた時の反応が可愛かったりするのすげぇドキッとしたし……」  心なしか頬を染めてもじもじと話す心瑛に、他部員は確信を持って「やっぱりそっち系じゃないか」と呟く。 「だから違うってば!!」  心瑛が否定したが、彼らはそれを等閑にして各自の教室に向かってしまい、心瑛はすっきりしない気持ちのまま担任に本を開けと急かされた。  三年二組の教室は、三階の階段から一番に近い場所にある。窓際の陽の当たる席で、向かい合わせに座る孝一と遊馬の間には、二人分にしても大きな弁当がドンと存在感を放っていた。孝一お手製のそれは栄養バランスが良く色鮮やかで、もちろん味も一級品。毎日誰かしらにつまみ食いされるために、多く作らなければ足りなくなるのだ。 「一年が怖い。というか心瑛が怖い」  弁当を突きながら顰め面の孝一が呟いた。 「えぇ~、どうして? 何故だかすごく懐かれてるじゃない」  しかし遊馬は能天気に笑っている。 「だからだよ! 視線が痛いんだよ! いつか飛掛ってきそうだし! 懐かれた理由もわからなくて怖いし!」 「モトモト体力有り余ってるもんねぇ。源氏が早速一年生に気に入られて安心したよぉ」 「なにこいつ、話になんないんだけど」  孝一が握った拳で机を叩くと、箸を片手にクラスメイトが寄ってきた。 「なんだ夫婦喧嘩か?」 「夫婦じゃない!」 「夫婦じゃないよ!」  二人で声を上げて否定するが、そいつはそんなことには興味無さげに目当てのおかずを奪って帰った。  去年、毎日一緒に昼休みを過ごしていた孝一と遊馬の恋人は、高校に進学してしまってここにはいない。だから彼らが卒業してからの昼休みを孝一と遊馬はほとんど二人で過ごしているし、対人恐怖症気味の孝一に何かあれば遊馬が庇うので、夫婦だなんだとからかわれる。どちらも恋人一筋で浮気だってしようもないのだが。 「そういえば千尋先輩とは最近どうなんだ?」 「ほぼ毎日メールと電話してるし結構休日に会ってるよ。明後日からゴールデンウィークだし、いっぱい構ってもらうんだぁ。そっちは?」  孝一が遊馬に恋人のことを聞くと、彼はふにゃふにゃ笑顔で惚気てくれた。 「うちはメールはするけど、寮だから電話も掛けにくいみたいであんまり……。正宗さんが向こう行ってからは一回も会ってないし。だから、もう一か月以上か」 「俺だったら耐えられないよそれ、源氏生きてる?」 「死んでたら今ここに居る俺は何なんだよ」  対する孝一には惚気る程のネタが無かった。……昨日までは。 「幽霊か思念かなぁ。あれ、でも良い事あったんじゃないの? 今日ふわふわしてるよ」 「ふ、ふわふわしてねぇし! でも昨日、ゴールデンウィークに一日だけど帰って来られるって、連絡あって……」 「すぐじゃん! 良かったねぇ、楽しみだねぇ」  ぶすっとした表情のまま目元を染めて報告する孝一に、遊馬が喜色満面でそう言うと、面映ゆさで言わないでいた気持ちを、そのまま言葉に出された孝一は「うっさい」と呟き、彼の長い脚を蹴とばした。 ******  枯れ草色から若草色へと変わった芝生を生温い風が撫でた。  スポーツに力を入れる庭白百合学園高等学校のグラウンドは照明設備も整っており、日の入りの時間に関係なく最終下校時刻まで練習を続けることができる。  この日もサッカー部の練習が終わる頃にはすっかり日が落ちていた。  今年入学したばかりの望月景選は、自動販売機の商品ラインナップに気を落とす。月が替わって、ホットドリンクが無くなっていた。 「どうした? 望月も遠慮するなよ」  新入生に、ジュースをおごってくれると言った、三年の先輩が声を掛けてきたが、景選は腹が冷えるからと言って断った。 「先輩たち、優しくて良かった」  そう言って冷たくて甘いジュースを飲み下す幼馴染を見て、能天気な姿に嘆息する。 ――気味が悪い。何となく気持ちが悪い。  景選は何人かの先輩に不信感を抱いていた。  景選は誰かの為に無償で何かをしてやろうと思ったことが無い。それは自分が冷めた人間であるかもしれないし、それだから変に優しい先輩たちを気持ちが悪いと思ってしまうのかもしれないと思った。しかし、違うのだ。  彼らの行動は人を選ぶ。  すっと周囲を見渡して、やっぱりと思う。ここには推薦入学した生徒と相棒が居ない。 「あー、ちょっと冷えて来たな。早く帰ろうぜ」 「ちょっと待ってるからまだ帰らない」  先輩に続いて下校する部員を追おうと声を掛けてきた幼馴染に答える。 「誰を?」  彼の疑問に答えず、先輩たちの姿が見えなくなるまで見送った。 「……あの人たち、苦手なんだ」  だからできれば一緒になんて帰りたくない。  幼馴染は不思議そうにしながらも深く考えていなさそうに「ふーん」と隣に居座った。  少しして、推薦とその相棒らしいやつの声が聞こえてくる。確か、推薦が宮本で、相棒が李都とか言ったか。 「なぁ、宮本。連休中の買い出しのことだけど」 「買い出し?」 「おう、部活休みの日に一年で道具買いに行くやつ」 「聞いてないんだが」 「メールで送られてきてたぞ? 俺はしばらく前に練習中に3年生に言われたけど」 「メール来てないぞ」  景選は、ケータイ片手に話しながら歩いている二人に近づき、声を掛ける。 「送信先に、お前のアドレス入ってるか?」  メール画面を開いて見せると、李都が眉を寄せて「入ってねぇな」と呟いた。 「うわー、まじかよ! 源氏に帰るって言っちまったよ」 「これなんでお前だけ入ってなんだろう」 「ミスだろ~……あ~……」 「げ、元気出せよぉ」  項垂れる宮本の肩を幼馴染が叩いて励ますが、復活しない。 「元気出させたいなら源氏もってきて」  頭を抱える宮本に李都が気の毒気な視線を寄越す。 「源氏って誰?」  景選が訊ねると、李都が答えた。 「中学のマネ。こいつのお気に入り」 「へぇ、ご愁傷様」  本当に。多分おそらく絶対に、これはあの人達の嫌がらせだろう。


男マネ ルーキー編 <続く>