男マネ マネージャー編
サッカー部男子マネージャー
低い位置に広がる明るく弾けるような青空の下、じりじりと肌を焼く陽射しを背に受けると、額だけと言わず全身に汗が滲んだ。たらいに溜まった水に手を浸ける。炎天下に焼かれた肌には温い水でも気持ちが良い。布を絞ると、跳ねた水滴が光を反射してキラキラと散っていった。 車百合中学校サッカー部マネージャー、源氏孝一(げんじこういち)は、タライに張った水でタオルやユニフォームの汚れを丁寧に落としていく。柔らかい生地の感触が指に馴染み、じわじわと汚れが落ちていく様に心が落ち着き、満たされていくのを感じた。 「げーんじ君」 弾んた声が掛かると共に孝一の視界に影が差す。 「なんすか」 「ん? 日よけ」 孝一より一回り大きいその人、宮本正宗(みやもとまさむね)は、部員に馴染まない孝一をよく構いに来る、サッカー部の部長だ。 正宗は目の前の汗で湿ったうなじを、つーっと指でなぞる。孝一はぞわっと身を震わせて、うなじを押さえて振り向いた。 「なんすか!」 「日焼け止め塗ってっか?」 「男がそんなん気にしませんよ」 「男とか関係ないだろ。赤くなってるし、痛くないか?」 「余計なお世話です」 孝一は再び伸びてきた手を払って洗濯に戻った。払った手は、孝一の脇を潜ってタライの淵を掴む。背中から被さる影は離れない。 「今休憩中なんだけど」 「行かない」 孝一は彼の誘いを皆まで聞かずに断った。 「手伝おうか」 「要らない」 要らないというのに手が伸びてくる。孝一はその手を払って叫ぶ。 「邪魔すんな! こっちはこのシミを落とすっちゅうミッションをコンプしようってところなんだよ!」 「みんなのところに来ないか」 「行きません! 麻子(まこ)さんが居るでしょう?」 「何、お前川島さんのこと名前で呼んでんの?」 「……」 「源氏~?」 正宗は急に大人しくなった彼を覗き込み、押し黙った。切なげに眉を寄せる彼にもやっとする。 正宗は気持ちを誤魔化すように、彼の左耳をピアスの上から摘まんだ。 「ひぁ……っ!」 「えっ」 途端に彼から鼻を抜けるような高い声があがる。 「俺に触んな!!」 彼は顔を赤く染めて、正宗を突き飛ばした。 「一遍死んだら良いと違いますか」 冷たい視線が正宗を睨みつける。 「わ、悪い」 「……」 「おーい、源氏―……?」 正宗の途方に暮れたような声に、孝一は何も答えなかった。 ****** 朝練の時間は、前日に集めたユニフォームを洗って干すまでが孝一の仕事だ。それが終わればマネージャーの孝一は他の部員を待たずに教室に向かった。 「源氏、おはよう」 爽やかな空気を纏って教室に入って来たハンサムに、孝一は視線だけで返す。 「同じ部活の筈なのにね」 このハンサム、王司遊馬(おうじゆうま)は、センターフォワードを務めるサッカー部のエースだ。 人当たりの良い彼の台詞には、お前も来れば良いのに、という希望は含まれていても、嫌味な感じはしない。 「あの人、本当にどうにかして欲しいんだけど」 孝一は毎度自分を連れ出そうとする正宗を思って言った。 あの人は軽率な行動で俺の心をかき乱す。いちいち距離が近いし、スキンシップは激しいし。あの人の気配を、体温を、触れそうな至近距離で感じて、俺がどう思っているかなんて考えもしない。触れられる度に鼓動が跳ねるのを、次に期待してしまう浅はかな心を知らない。麻子さんの名前を出した時もそうだ。あんな、嫉妬みたいな…… 孝一はそっとピアスに触れる。ここには孝一にとって一番苦くて弱い記憶が埋まっていた。 「何だよ、もう……」 今朝、彼に触られた時の甘痒い感触を思い出して、唇を引き結ぶ。彼はどうしようもうなく孝一の心臓に悪い存在だった。 放課後の練習中、正宗は水道の方に視線をやって、ため息を吐いた。 孝一は正宗が部長になってすぐの冬に、遊馬が連れてきた季節外れの転入生だ。マネージャーになりたいと言う彼は、サッカーに興味があるわけではなく、ただ掃除と洗濯がしたいだけだと言った。ユニフォームの洗い心地について語る彼は変わってはいるが、マネージャーとして採用するのに問題は無いと正宗は思った。 彼は、毎朝部員と変わらない時間に登校し、ウォータージャグに薄いポカリを作って、黙々と洗濯をする。放課後はまた薄いポカリを作って、朝干した洗濯物を取り込んで、部室を片づけ、掃除をして、汚れ物を回収するための籠を出して帰ってしまう。 彼のおかげで、泥にまみれたユニフォームや、汗を吸い込んだタオルを持ち帰る必要はなくなって、そのうえ自宅で洗うより綺麗に、柔らく仕上がって返って来た。男ばかりで暑苦しく、埃や汗の混ざった異臭を放つ部室は、片づけられて広々と、塵一つ無く清潔に、消臭剤でも撒いているのか、石鹸の香りがするようになった。 しかし彼の存在は目に見えて感じるのに、彼自身は部員に絡もうとはしなかった。 寒い冬の日、彼は洗濯をする際に、冷水に家庭科室で沸かした湯を混ぜていたが、それでも寒空の下ではすぐに冷めてしまい、彼の節だった指は真っ赤に染まっていた。短い休憩の時間にそれを見つけた正宗は、彼の指先を両手で包んで温めた。それから彼を構うのは正宗の日課になった。 初めのうちは警戒していた彼が、徐々にほだされていく様子が、猫みたいで可愛いと思い、心を許されていると思うと嬉しかった。だから時間をかけて可愛がっていた彼に無視されるのは結構堪えていた。 洗濯物を取り込んだ孝一は、籠を持って部室に戻る途中、グラウンド脇で正宗と遊馬が話している声を拾った。 「王司、お前源氏と同じクラスだったよな」 「はい。前後席ですけど」 「マジで? あいつ今日どうだった?」 「どうって、別にいつも通りでしたけど。あ、でもやたらと左耳を気にしてたような……」 正宗は両手で顔を覆って天を仰ぐ。 「嫌われた、完全に嫌われた……」 「何かあったんですか?」 「はぁ……」 正宗が重い溜息を吐いた。 孝一はその会話が、今朝のやり取りをさしているのだとすぐに気が付いた。 俺のことなんかを気にして、バカだな、と思う。別にもう怒ってなんていないのに。 でも、分かっている。俺はあまり表情豊かな方ではないし、人見知り故にぶっきらぼうで、言動が冷たい。目つきだって良くは無いから、性格まできついと思われがちだ。いや、実際きつい自覚はある。今朝のことだって、相手が彼でなかったら許さなかった。 誰しも触れて欲しくないことはある。孝一にとってのそれが左耳に直結していた。だから、不意に彼に触られて、嫌だと思ったし、驚いた。でも彼だから許した。 孝一は籠を置くと、正宗の後ろから近付いた。遊馬が気づいてこちらを向いたので、人差し指を唇に当てて、しーっとジェスチャーをする。そうして落ち込む正宗のすぐ後ろで屈み、そのひざ裏を擽った。 「うひゃぁっ!?」 「ぶはっ、うひゃぁっって!」 奇声を上げた彼に笑いが込み上げる。 「源氏!?」 「部長、ダサいっす」 振り向いた正宗は、座り込んで腹を抱える孝一を見て破顔した。 ****** 「孝一先輩、お早うございます! 今日も早いですね」 「はよ」 朝一、麻子が挨拶をすると、孝一は仄かに頬を綻ばせて答えてくれる。いつも他人を寄せ付けない雰囲気を纏う彼の気配が柔らかくなるのは、好きな掃除洗濯をしている時と、正宗と一緒に居る時だけだと麻子は把握している。今、彼の表情が柔らかいのも、洗濯物を手にしているからだ。 初対面では、目つきの厳しい、怖そうな先輩だと思った。実際、仕事についても訊けば答えてくれるが、自分から教えてくれようとはせず、こちらからのアプローチ無しには関わりを持てなかっただろう。だから麻子は仕事を教えてもらおうと、彼の後ろをちょこちょこと付いて回った。 彼の印象が変わったのは、すぐだ。汗と泥で盛大に汚れたユニフォームを洗うのを手伝おうとしたとき、彼が叫んだ。 「俺の嫁(洗濯物)に手を出すなぁ!!」 聞いたこともない大声でそんなことを言われて、驚いた後に噴出した。「嫁って何ですかぁ!?」と。 それから、二人の分担が決まった。孝一は掃除や洗濯をしたいがためにここに居る。麻子はサッカーが好きだからここに居る。だから雑用は孝一が、選手のメンタル面のサポートや、データ収集、部長・監督の補助などは麻子がすることになった。 「あ、そうだ。麻子さん」 「はい?」 彼は麻子を下の名前で呼ぶ。麻子が彼と直接関わる時間はあまりないが、それでも他の人よりは心を開かれていると思う。 「部室の机の上に置いてあるクーラーボックス、差し入れだから。みんなで食べて」 「ありがとうございます!」 彼の目元が恥ずかしそうに歪んだのは、きっと差し入れを受け取るみんなのことを考えたからだ。 素直じゃないのはもったいないと思うが、そんな彼を自分だけが知っているのも悪くない。 麻子は彼の好きなものリストに料理を追加した。
きっと気持ちが悪い
「川島さん、このボックス何?」 「差し入れです! みんなで食べましょう!」 ****** 昼休み、差し入れたゼリーの容器を回収しに来た孝一は、部室の鍵が開いていることに気が付き、そっと中を覗いた。 誰かいるなら会いたくはないが、閉め忘れならば鍵を借りてきて閉めなければ不用心だと思ったのだ。 「誰だ?」 中から声を掛けられて、慌てて扉を閉める。しかし、すぐに出てきた声の主に捕まってしまった。 「源氏か」 「……ぁ、部長……」 相手が正宗だと認めて、肩から力が抜ける。正宗はそんな孝一の手を引いて部室に連れ込んだ。 「どうした? 何か用事か?」 「いえ、鍵が開いているのに気が付いたから覗いただけっす。部長は?」 「昨日の分の部誌書いてんの。本当は放課後に書くものなんだけど、今日小テストがあったから、昨日は早く帰りたくて後回しにした」 言いながら、正宗は作業に戻る。 孝一は何故自分が連れ込まれたのか分からなかったが、居ても良いなら、と机を挟んだ彼の正面の椅子に座ろうとした。しかし背もたれの無い丸いパイプイスを音を立てて引くと、声が掛かる。 「なんでそっちだよ、こっち」 正宗が彼の左隣の席を叩いていた。 「むしろ何でそっちなんすか」 「そっちじゃ構いにくいだろ」 「作業に集中してくださいよ」 文句を言いながらも移動すると、彼は孝一の手をノートの端に置かせて自身の手を重ね、二人分の手で紙を押さえて部誌を書き始める。 孝一はぶわっと毛を逆立てて、頬を赤く染めた。 「え、ちょっと!?」 「ん?」 「なんすかこれ!?」 「こうしないとお前帰りそう」 (帰りませんよ……) 思った言葉は口にしたら手を離される気がして、黙った。 正宗が何も言わない孝一の手を表に反して、指を絡めてぎゅっと握る。 「ひ、ぁ……っ!?」 孝一は喉の奥で悲鳴を上げた。 心臓がバクバク煩い。戯れに触れるのはやめて欲しい。 「きしょい!」 「はいはい」 罵倒はしても抵抗はしなかった。だって本当はもっと触れていたい。 孝一は彼の男前な横顔をじっと見つめる。ハーフアップの髪から晒された形の良い耳、くっきり出た顎の線。孝一の視線に気が付いた彼が、視線だけよこして笑う。本当、心臓に悪い。 「おーわり」 「お疲れ様です」 彼がペンを置いたのに、もう終わりかとがっかりする。もう少し、触れていたかった。 「部長」 「ん?」 「爪」 「ああ、そう言えばそろそろ切らないとな」 「俺切りますよ」 「え、やってくれんの?」 孝一は一度席を立つと、救急箱から爪切りを出して戻った。 「おー、そこに爪切りあったのか」 「備品ですよ。把握しといてくださいよ」 自分よりも幾分大きく逞しい彼の手に手を添えて、爪に刃を当てる。 ――パチン、パチン 薄い壁に囲まれた狭い部室に、乾いた音が響いた。 「楽しいか?」 「まあ」 自由な片手で頬杖をついた彼に、孝一はおざなりに答えた。 綺麗な手だ。大きくてごつごつした男の手だ。今この手に触れていられることが嬉しくて、愛おしくて、指先に添える手にきゅっと力を入れる。 「なんかこれ、恥ずかしいな」 正宗が横を向いて自由な手で顔を隠しすと、孝一はそんな彼の反応に眉を顰めた。 (止めてくれ、あんたが恥ずかしがるとこっちまで恥ずかしくなる) 「散々恥ずかしいことしておいて何を今更。身を持って知れ」 「これ、そういう事なの!?」 「煩い、指切んぞ」 彼の指を人質にとって脅した。殺伐とした会話をむず痒い空気が包む。 正宗はそんな空気を変えようと話題を探した。 「そう言えば、差し入れ食べたか?」 「? はい」 一応味見はしたので、変な質問だな、と思いつつも孝一が答える。 「一緒に食べれば良いのに」 「……」 孝一は言葉を詰まらせ、目を泳がせた。 「どうした?」 自分を気にかけてくれる彼になら、言っても良いんじゃないかと思った。 「――部長、俺ね。男が苦手なんですよ」 孝一の恋愛対象は男だ。孝一はそれをアブノーマルな事だと分かっていたから、口に出すことは無かった。 孝一は女子に好かれる容姿をしているのか、よく告白を受けた。性格は自分で良いと思わないから、本当に顔目当てだろう。 あの日も女子に呼び出され告白を受け、いつものように断った。その時彼女は言った。 「源氏君って、ホモなの?」 それは幼い彼女の身勝手な八つ当たりだった。でも、孝一はそれを否定できなかった。 それからすぐに孝一がホモであると噂が立った。それはもう良い、事実だ。それから、当時好きだった相手に呼び出された。ホモだと広まった上で呼び出されたのだ。だから少しの期待を胸にその場所へ向かった。 しかし、待っていたのは彼を含めた数人の男で……そこで思い出したくもないような辱めをうけ、その上その様子を撮った写真で脅された。 彼らは皆、孝一が振った女子達に好意をもっていた人たちで、孝一が好きだった彼は、噂の元になった彼女のことが好きだったらしい。 父親に、自分の性癖と自分が遭ったことを告白した。もう嫌だ、と。学校に行けない、と。 覚悟していた罵倒の言葉なかった。もう大丈夫だと励まされて、肩を叩かれて涙がこぼれた。 その後彼がどう動いたかは知らないが、孝一はすぐに転校することになり、仕事のある母と兄弟を残して父と二人で引っ越した。 「丁度、会社で新しいプロジェクトに誘われていたから、引っ越すのは都合が良かった」 彼はそう言ったが、きっと孝一のことが無ければ家族を優先した。 今まで家族皆で住んでいた家は、片づけても片づけても散らかって、いつも賑やかで、弟たちはいつも服をどろどろに汚して帰ってきて…… (みんな無くなったのは俺のせいだ。俺が男を好きになんてなるから) 孝一は今でも男が好きだ。でも、それ以上に男が怖い。 「――部長、俺ね。男が苦手なんですよ」 苦しそうに呟いた孝一に、正宗は眉を顰めた。 これまでの彼の様子を振り返る。彼は正宗が何度誘っても、頑なに部員と触れ合おうとしなかった。ついさっきも、扉を薄く開けて覗いてきた彼は、正宗に声を掛けられて、怯えたように身を竦ませていた。 「俺も?」 そういえば俺が触れた時、彼はいつも身を縮めていた。本当は怖かったのかもしれない。今だって無理をしているかもしれない。 「源氏……?」 神妙な顔つきで見つめる正宗の視線を受けて、孝一の胸がぎゅっと悲鳴を上げた。 孝一はかぶりを振って、視線を彼の爪に戻すと、やすりをかけ終えたそこにフッと息を吹きかけた。彼の表情が情けなく崩れるのを見て、鼻で笑う。 「あんたはちょろいから平気っす」 「お、お前は大概失礼だな!?」 「どうでしたか、差し入れ」 「話逸らすのヘタか!」 「ど・う・で・し・た・か」 「美味かったよ!」 その言葉を聞いて孝一はふにゃっと表情を緩めて言った。 「次、逆の手」 ****** 「やっちまった……」 正宗は白いものが跳ねたユニフォームを抱えて青ざめた。 部活終了後、正宗は一人残って今日の分の部誌を書いていた。しかし、思い出すのは昼休みに触れた彼の手の感触ばかり。 無意識に、熱を持った自身の中心に触れていた。着替えを後回しにして、活動中から着たままだったシャツを脱いで、ズボンの上から当てる。どちらも孝一がその手で洗ったもの、そして翌朝洗うものだ。それを思って股間に擦り付けた。 ――で、気がついたら、熱を放っていたわけで…… (俺は、あいつ相手に何てことを……) 罪悪感でいっぱいになる。と、同時に焦る。 ズボンは良い。皆同じだから。一枚減っても誰の分が無いのかは分からない。ノーパンで帰るのももう良い。自業自得だ。多少スースーするだろうが止むを得ない。問題は背番号入りのシャツだった。慌てて処理をしようとしたものだから、白いものが少し付いてしまっている。正直ばれるかばれないか微妙な線だ。 「宮本?」 悩んでいた正宗は、不意に掛けられた声に反射で答える。 「は、はい!」 「まだ残ってたのか。見回りだぞ。さっさと出てけ」 「もう帰ります!」 日直の教師に急かされて、慌ててシャツをロッカーにつっこんだ。 「1まーい、2まーい、3まーい――1枚たりなーい……」 孝一は、回収したユニフォームを数えて首を傾げる。背番号十番、正宗のが足りなかった。 運ぶ途中で籠から落ちたのかと思い、来た道を戻る。しかし見つからない。結局部室まで来てしまって、あの人なら良いかと勝手にロッカーを開けた。 ――見つけた。 それを手に取ってほっとする。しかし、広げて良く見て首をかしげた。 「何だこれ、ヨーグルト?」 ****** 「源氏」 一日の仕事を終えて、帰ろうとする孝一を、がさついた声が呼び止めた。部室を背にした孝一を、一回りも体の大きい男三人が取り囲む。 「お前さ、どういうつもり?」 「何がっすか?」 孝一は怯えを悟られないように尖った声で返した。 ユニフォームを着た彼らは顔も名前も知らないが、同じサッカー部の誰かのようだ。 「仕事が終わったらさっさと帰るの、おかしくないか?」 「川島さんが洗濯もするって言っても断ってるんだって? 男のものに触りたいだけだろ。気持ち悪いんだよ、おまえ。」 孝一は言われた言葉に硬直した。 「あれ? 図星かよ」 「だから言っただろ、こいつが転入してきた理由、マジだって。」 (なんで、どうして、なんで) 「男の好きの癖に川島さんまで誑してんの?」 (あの時と同じだ、また) 三人は顔を見合わせてにやりと口を歪ませる。 「俺さ、お前の顔見るのほとんど初めてなんだけど、結構綺麗な顔してるよな」 「ホモだから良いだろ?」 「男に掘られたいんだろ?」 嫌だ、怖い。男が好きだからって、男なら誰でも良いわけあるか。女だって恋愛対象は男だけど、襲ったら強姦なんだ。何で男が男を好きだと言うだけで誰でも良いなんて話になる。俺は、だから、あの人だけが―― その時、地面が無くなった。いや、無くなるような感覚に陥った。 あの白いものは、ヨーグルトなんかじゃない。あれは―― 「―っ、ふざけるな!!」 ――あの人も、こいつらと一緒なんだ。 「あれ? 部長、李都先輩たちがいません」 グラウンドで汗を散らして駆け回る部員を見て麻子が言った。 「え、本当だ。根岸と野島もいないな……。今までサボったことなんて無かったけどなぁ。ちょっとそこら辺探してくる」 「私が行きますよ」 「いいよ。川島さんはいつも通り皆のサポートお願い」 正宗が居なくなった三人を探しに行くと、すぐに部室の前で団子になっているのを見つけた。 「おい、お前ら……?」 声を掛けようとすると、目の前で一人が腹を押さえてよろめいた。 「ふざけるな!!」 三人の中心で孝一が大声を上げて暴れている。正宗は手足を無闇に振り回す彼を、慌てて怒鳴りつけた。 「何やってんだ! こいつらは選手だぞ!」 はっと暴れるのを止めた彼は、正宗を認めて眦を吊り上げて睨みつけてきた。 「……めてやる……」 「は?」 声がこもって聞き取れない。 「こんな部活辞めてやる!」 「源氏、何言ってんだ!」 「俺なんて、居たって居なくたって同じでしょうが! 男が好きな俺がマネージャーなんて、気持ち悪くてしょうがないんでしょう!?」 彼を引きとめようと伸ばした腕が、弾かれる。 「触るな!!」 悲痛な叫びと、高い破裂音が湿った空気に消えていく。 「――もう、裏切られるのはこりごりだ……」 彼の切れ長の瞳から、透明な雫が零れ落ちた。
少しずつ生まれたズレ
走り去る孝一の背中が見えなくなると、熱くなった頭がすーっと冷めていった。 (なんであいつが、泣いて……) 「何かあったんですか?」 茫然と立ち尽くす正宗を、麻子の声が現実に引き戻した。 帰ってこない自分たちを心配して来てくれたのだろう、いつの間にか近くにいた彼女に、正宗は返事をすることが出来ない。代わりに、孝一を囲んでいた三人の内の一人、李都が冷めた声で答えた。 「源氏が、部活辞めるって」 「え!? どうして!?」 声を荒げる彼女と、正宗も同じことを思った。 そうだ、あいつは部活を辞めると言った。毎日あんなに楽しそうにしていたのに? 昨日だって、昼休みまで部室に顔を出していたのに? 「お前ら、何をしてたんだ?」 正宗が問えば、三人は言い辛そうにまごついた。 「俺らは別に……」 正宗は言いよどむ彼らを視線で促す。 「ちょっと突いただけで……だって、あいつがしてるのは掃除と洗濯だけだぞ?」 「俺たちのことを避けてるやつに部室や大事なユニフォームを任せたくないと思うじゃないか」 「去年の冬までマネージャーなんて居なかったんだ。居ても居なくても良いなら、不安要素は無い方が良いだろう?」 「それを、あいつに言ったのか」 正宗の口から、自分でも驚くほど酷く冷たい声が出た。 「それだけか?」 それだけで、あいつがあんなにも取り乱すものか。三人の要領の得ない話し方は、都合の悪いことを隠そうとしているようにしか聞こえなかった。 「……言い方は、きつかったかもしれない」 「……『きつかったかもしれない』?」 目を泳がせる李都に麻子が詰め寄った。 「孝一先輩が、ちょっときつく言われたくらいで、辞めるなんて言うと思えません! それも、部長の制止を振り切ってまで……」 彼女に糾弾されて、李都は拳を強く握り、睫毛を震わせる。 「ちょっと待てよ、川島さんだって、洗濯するって言ったの、断られたって言ったじゃないか!」 「それに川島さんだって、美味しいゼリーを差し入れてくれたじゃないか。家事もできるんだろ?」 根岸と野島が慌てて二人の間に入る。これではあまりにも李都が報われない。 「あ、あれは、孝一先輩が差し入れたんです! 孝一先輩が皆さんのことを思って作ったんです! 洗濯を断られたのだって、そんなつもりで言ったんじゃなかった……」 二人の言葉に麻子は顔を蒼白にさせる。 「私、私は……」 そう言えば、私はゼリーを差し入れたのが彼だと誰にも言わなかった。私の行動がみんなを誤解させた……? 「私がちゃんと伝えていれば良かったんですか……?」 「川島さん……」 目を見開いてわなわなと唇を震わせる麻子に、李都は思わず声を掛けた。 「私、辞めます」 「え」 「マネージャーが要らないなら、私だって要りません!」 「川島さん。やけにならないで」 李都は焦った。彼女を糾弾するつもりなんて無かったのだ。自分はただ―― 「どうしてですか? 私のせいだって言ったじゃないですか!」 彼女の言葉に、李都は愕然とした。 違う、自分達は、彼女が悪いだなんて言ったつもりはないのに。 「孝一先輩が辞めるのに、私だけ平気な顔して続けるなんてできません!」 「あいつはホモだぞ!」 彼女が泣いているのも、マネージャーを辞めると言うのも、それが全部あいつの為だと思うと、黙っていられなくて、ついそう口走った。 「……は?」 「川島さんがあいつを好きでも、あいつは男が好きなんだぞ!」 「今、それは関係ないじゃない!!」 パンッと破裂音が響くと共に、頭が揺さぶられる感覚がして、李都は一瞬何が起きたか分からなかった。頬が熱く、じんと痺れて、やっと彼女に張り手を貰ったのだと理解する。 肩で息をして涙を噛みしめる彼女の前で、李都は頬を押さえて俯いた。 「――源氏は」 一瞬の沈黙を縫って正宗は語りかける。 「あいつはサッカーに興味が無い。家事をしたいがためにここに居た。でも、お前たちに興味が無いわけじゃないんだ。――あいつは男が苦手で、それでも、間接的にでも部員と関わろうとしていた。それに、俺達はあいつのおかげで活動がしやすくなっただろう? それはあいつが自分の為だけじゃなく、俺達のために動いているからだ。入口の扉に備品の大まかな位置を書いた紙が貼ってあるのも、引き出しにラベルを貼って中身が一目で分かるのも、俺達が使いやすいように考えてくれたからだ。 ホモだ何だと言うけどな、川島さんだって恋愛対象は男だろうが。男だって女だってホモだって真面目に恋愛すんだよ! 勝手にあいつで気持ちの悪い妄想をするな、自惚れるんじゃねぇ! ――あいつは大事な仲間だろうが!!」 ****** 「源氏、サッカー部に戻って来てよ」 朝練を終えた遊馬は、後ろの席を振り返って言った。 「無理」 しかし、言われた孝一は不愉快そうに顔を顰める。 「誰も源氏が必要ないなんて思ってないよ。今朝話し合って、源氏も仲間だって、皆も分かってくれたんだ」 「そういう問題じゃない」 「じゃあどういう」 ホームルームの直前だというのに、孝一は無言で席を立つ。 「源氏!」 「それ以上言うなら!……もう、学校だって来ない」 彼は冷たい視線を投げて、教室から出て行った。 「臭っ!」 部室の扉を開けた途端、鼻を突いた臭気に、遊馬は思わず鼻を摘まんだ。埃とカビが汗で発酵したような刺激臭だ。 じめじめと湿度の高い夏、密閉されていた薄暗い部室の空気は淀んで見えた。少し前まで塵一つ落ちていなかった机の上は、物でごった返して、どれが私物でどれが備品かの区別もつかない。個人のロッカーにはよく分からない汚れが付いている有様だ。 あれから結局麻子も来なくなり、雑多なことをしてくれる者は居なくなった。彼らが来る以前のここはこんなものだったろうか。 「あいつが居なくなってどれくらいだ?」 「一週間」 「まだ一週間か? 随分経ってる気がするぞ?」 「そりゃ、この惨状を見ればなぁ」 部員たちは口々に言って部室を見回し、ため息を吐こうとしたが、正宗を見て飲み込んだ。 いつも出来過ぎるくらいにチームをまとめ、導いていた部長は、弱音を口にしない。しかし、二人が居なくなってから、日増しに彼の表情は厳しくなっていた。毎日構いに行っていた孝一と、正宗の補佐をしていた麻子。二人を一番身近に感じていたのは彼だ。 「王司~! お前、源氏と同じクラスだろ? どうしてる?」 先輩に訊かれ、遊馬は肩を竦めた。 「避けられてますよぉ。始業ぎりぎりに駆け込んで来て、終わるとすぐに出て行っちゃう。あ、でも最近放課後は学校の掃除をしてるらしくて、昨日は三年一組の掃除をしてたって、千尋さんが」 ――バンッ 正宗がロッカーを締める音が大きく響いた。 廊下と教室の窓を開け放てば、室内の空気が外の空気の一部になるのを感じた。 孝一はきつく絞った雑巾で棚を拭く。古い木の日に焼けたそれは、ニスが剥げて、所々薄い板が剥がれて棘が立っている。今度、板や鑢を持って来て修理するのも良いかもしれない。用務員さんに言ったら揃えてくれるだろうか。 生徒の個人の荷物が入った棚も拭く。上に置かれた荷物を、部室の様に捌けないことに少しもやっとした。 ある棚の前で、孝一はふと手を止める。あの人の荷物を見つけた。ポケットサイズの世界史の年号表。見つけたそれを手に取り、そっとその名前を指でなぞる。 「……宮本正宗」 彼は、孝一にとっての光だった。 チームから距離を取る孝一に、話しかけに来てくれた。構われて怖がって跳ね除ける孝一を、見捨てないでいてくれた。ユニフォームの汚れを落とすみたいに、傷ついて汚れた心を癒してくれて、綺麗になったそこには、じわじわ染み込むように彼がいた。 それが、いつから違ったのだろう。彼はいつ自分に見切りをつけて、いつからが演技だったのだろう。 ジージー、ミーンミーン…… 感傷に浸る孝一を夏の虫が嘲笑った。 「ほんと、うざい……」 孝一は吐き捨て自嘲する。 まんまと騙された。まんまとノせられた。心を許したところで突き落とすなんて…… 彼はあれから、休み時間の度に孝一を探しているらしい。だから孝一は、見つからないように息を殺して逃げ続けた。休日には、部員名簿で住所を確認したのか、家にまで訪ねてきて。やっぱり息を殺して居ない振りを決め込んだ。 あの人は俺を裏切ったのに、俺はあの人せいで教室にもいられない。学校では逃げ隠れて、家に帰っても怯えて、それなのに…… 孝一はぎゅっと左胸を掴んだ。 (それなのに、あの人を思うと切なくなるなんて、馬鹿げている) 「ほんと、うざい……、ださい……」 じわっと視界が滲んだ。 (放っておいて欲しいのに……) 「あ、源氏君だ」 孝一は、廊下から掛けられた声にはっとして、慌てて年号表をズボンのポケットに突っ込んだ。 「今日はサッカー部見ないの?」 「『今日は』も何も、昨日だって見てませんでした」 開け放しのドアから教室に入って来たのは、昨日も一組で会った先輩、山瀬千尋(やませちひろ)だ。 「そう? 今日は二組なんだね。掃除ありがとう」 「先輩は一組ですよね?」 「え、僕はこのクラスだよ。昨日は千春――妹の忘れ物を取りに行ったんだ。あ、そうそう。双子の妹がいるからわざわざ千尋って、下の名前で自己紹介したんだよね」 言いながら彼は六列に並んだ席のうち、右から三番目、一番後ろの席に座った。 「ここが僕の席。で、隣は宮本正宗君。知ってるでしょ?」 彼は含みのある笑みを浮かべて、教室後ろの棚の前に立つ孝一を振り返った。 孝一は、その名前を聞いて、何も言えなくなる。何かが閊えたように喉が動かない。息が苦しい。 ジージー、ミーンミーン…… うるさい、分かってる。再び滲みそうになる涙を、唇を噛んで堪えた。 「源氏!」 再び、廊下から掛けられた声に、体が硬直する。沈黙の中、突然乱入してきたその人は、孝一の腕を取って胸に引き寄せた。 「部、長……」 「――やっと見つけた」 ぎゅっと抱き締められて、彼の体温に、匂いに包まれて、鼓動が跳ねる。頭が蕩けそうになる。 (でも、だめだ。このまま引き込まれたら、だめだ) 孝一は腕を突っ張って彼を突き放した。 「源氏、俺達にはお前が必要なんだ」 (どうしてあんたがそんな表情をするんだ、意味が分からない) 悲しそうに目を顰める彼から目を逸らし、孝一は態と軽い声音でを作る。 「俺には必要ないっす。あそこは俺にとって都合が良かっただけっすから。良く考えたらあそこじゃなくても良いんすよ。最近は学校の掃除をしてるんです。先生からの評判も良いですよ……」 「お前はもう俺達のチームの一員なんだ」 「どの面提げて……」 込み上げるものをぐっと奥歯を噛みしめて耐える。しつこい彼を睨みつけた。もう、期待して裏切られるのは、嫌だった。 「俺が居ないと不便ですか? 部員は困っていますか? あのまま良いように使っていれば良かったものを。追い出してから気づいて、じゃあ連れ戻せば良いと」 「源氏!」 「いい加減にしてください! 迷惑です! 俺はサッカー部には戻らない!」 孝一は、引き止める彼に、雑巾を投げつけて逃げた。 ****** 朝、孝一がホームルームの始まるぎりぎりの時間に登校すると、上履きに手紙が刺さっていた。 コピー用紙を畳んだだけの手紙には、「先週のことで話がある。昼休みに部室の前で待っている」と右上がりの無骨な文字が並んでいる。 差出人は三人。名前を見ても顔は浮かばないが、正宗との会話の中で聞いたことがあった。サッカー部の、李都と根岸と野島。自分を呼び出すような三人組には、一つしか心当たりがなかった。 全身を包んでいた不快な汗が引いていく。寒くもないのに体が震える。孝一は冷たい手でその手紙を握り潰した。 『それ以上言うなら!……もう、学校だって来ない』 遊馬は事件の翌日、孝一に投げられた言葉を思い出す。 今日、彼は学校を無断で休んだ。 昨日、部長が彼の説得に失敗したと、千尋に聞いた。もしかして、彼は学校に来れなくなってしまったのだろうか。 ホームルームが終わると、遊馬は正宗の教室に駆け込んだ。 「部長!」 「王司?」 血色の悪い顔がこちらを向く。彼の顔色が、孝一に拒否された衝撃の重さを物語っていた。力にあふれていた彼の、そんな表情は見たことがなくて、動揺して声が上ずる。 「源氏がサボりました」 「来てないのか?」 「ただの風邪かもしれないし、学校に連絡するのが遅れただけかもしれないんですけど、でも俺、前にあいつを連れ戻そうとしたとき、あいつ、それ以上言ったら学校来ないって、それで」 正宗は皆まで聞かずに、教室を飛び出した。 孝一は、父親と二人で2LDKのアパートに住んでいる。築の浅いそこは、壁にも床にも沁み一つ無い。家には寝に帰っているような父と、几帳面な孝一しか使わない部屋は、散らかりようもなく、いつも整然としていた。 どうやって帰って来たのか覚えていない。ふらふらとした足取りでここまで来た。 綺麗な部屋、 何もない部屋、 貸家、 「がぁぁぁあああ!!」 孝一は雄叫びを上げて、靴棚の上の花を投げる。花瓶を投げる。大きな音を立ててガラスの破片と水が飛び散る。靴を投げる。靴と一緒に砂埃が舞って、床を汚す。怒りに視界が真っ赤に染まっていく。 前に住んでいた家はこうではなかった。誰も居なくても誰かの気配がした。家の匂いがした。 棚も椅子も引き倒す。 俺が男を好きになんてなるから無くなった。俺がいるから、全部俺のせいで……次はどうする? また学校に行けなくなるのか? そしたら今度はどうなる? 「もう俺なんて……居なくなれば良いのに……」 ぐちゃぐちゃになった部屋で、ぽつんと呟いた。
ピアスに死体を埋めた
――バチン 耳元の大きな音に驚いて、また一粒涙がこぼれた。慌ててそれを拭って、開いた穴にそれまでの自分を閉じ込めて蓋をした。 中学一年の冬。孝一は一度死んだ。 当時好きだった彼に呼び出されたその日、薄暗い倉庫で無理やり犯されたから、死んだことにした。 五人がかりで押さえつけられて、ビニール紐で手足を縛られ自由を奪われた。狭い空間、密閉された逃げ場のない空間で、自分より体格の良い上級生に囲まれて、荒い吐息がそこかしこで聞こえた。 衣服をはぎ取られて、体を弄られて、屈辱的な姿をビデオに収められる。叫んだら裸のお前を残して逃げるのだと、お前の性癖がばれるだけだと、好きだった人に脅された。 倉庫に鼻にかかった声が響く。 「ぅ、ぅん……っ、ふ……っ」 好きだった人に背中から抱かれて、知らない男に馬乗りにされて、そいつの指が、胸の突起を弄った。 「おまえ、気持ち良さそうに喘ぐなぁ。普段から胸弄ってんの?」 孝一は、自慰の仕方を呪って唸る。どうして、こんな風に感じてしまうのか、どうしてこんな屈辱を感じなければいけないのか。 「ん、ン……っ」 「息殺しきれてないぜ?」 「……っ」 「気持ち良いんだろ? 良いなら言えよ、なぁ?」 「ふ、ぅ……っ」 孝一が言わなくても、そいつは孝一の気持ち良いと感じた場所、感じた触り方を繰り返した。正面から反応を見て、触り方を変えてくる。 触られている、見られている、その事実を与えられる快感で意識させられる。それが悲しくて、悔しくて…… 「んっ!」 撫でるように、擦るように柔く弄られて、ピンと勃ったそこを、親指で押し潰される。 「あ、ひ……っや、ぁあ……っ」 じくじくした、涙腺を刺激するような快感に、身を捩る。上がってしまう声に死にたくなった。 「なに? 芯までこりこりされると声出ちゃう?」 大好きだった声に、耳元で囁かれる。好きだったのに、大好きだったのに…… 「ン、あぁ、もう……っ、やめ、ぁんっ」 悔しいのに気持ち良くて、気持ち良いことが気持悪い。 「やだ……やめろっ!」 「やめろ? こんなにぐちょぐちょに濡らして何言ってんの?」 「なあ?」 「全部撮ってんぜ? あとで確認してみ? お前のここ、全然嫌がってねぇから」 カメラ係の男が、カメラを孝一の股間に近づける。孝一は必死で足を閉じようとするのに、背後の男に膝を入れられ割り開かれた。 「御開帳~」 触れられてもいないそこが、びくびくと脈打っているのを感じる。 「何? 撮られて興奮してんの? 気持ちわりぃなぁ」 「そんな……っ」 見られてる、反応を見られてる。前後の二人だけじゃない。いくつもの目が、孝一の醜態を見下ろして嘲笑った。 「おい、あれ使おうぜ」 「何を……っ」 「はい、飲んで飲んで。毒じゃないからねぇ」 「~~っ」 口に手を突っ込まれて、無理やり錠剤を流し込まれる。 「これ速効?」 「そう書いてある」 「……っ、ぁ何……」 すぐに体が熱くなって、どくどく鼓動が早くなる。下半身が疼いた。どこも触られていないのに、全身が刺激を欲して、肌がぴりぴりじくじく痺れる。体の中から擽られるみたいな感覚に、体がぴくぴく動いて、その筋肉の動きにまた反応して大きく肩が跳ねる。快感の連鎖に困惑した。 「ひ、やだ……っ!? なに……っ!?」 先走りで濡れた先端をくちゅっと一撫でされて、電流が走ったかのような刺激が、股間から脳を突き抜けた。 「ひぁぁああんっ!」 男たちが息を飲む。 「自分で、できるよな?」 「~~っ」 手の紐を外されて、刺激が欲しいと訴えるそこに宛がわれる。さっきの刺激でより貪欲に、敏感になったそこに触れれば、快感を追わないという選択肢は無かった。 「ぅっ、……ひっ」 「うっわ、ほんとにやった」 酷い。悔しい。そんなことを思っても、手を止めることができない。止めたら苦しいのに、止めなくても苦しい。 「泣てんじゃん、可哀そう~」 「両手でそこ弄ったら、胸が弄れないねぇ? 手伝ってやろうか?」 再び胸を弄られる。一人でするときには感じることのできない三か所からの快感に、目の前がちかちかした。 「いぁっ、あ、ぁあ……っ」 「泣いてんの? 悔しいの? 気持ち良いの?」 「やめ、ぃやぁ……っ」 男の声は勘に触るのに、気持ち悪いのに、声が止まらない。 股間をぬく手は、快感を追いたいのに、男たちの目を気にしてあと一歩が踏み出せずにじりじりとじれったい快感ばかりを生んだ。 「なぁ、これ。入れても良いじゃん?」 「や、ぇ、うそ……」 尻の割れ目を撫でられて怖気が立つ。 「いや、いやだ! 離せ!!」 数人がかりで押さえつけられたうえ、薬の所為で力が入らないものだから、簡単に抵抗を封じられてしまう。男の熱くてヌルヌルしたそれを、そこに宛がわれてぞっとする。 「いやだ、やめろ!!」 「俺に入れられるんだ。本望だろ?」 本望なんかじゃない。お前なんかもう好きでも何でもない。気持ち悪い。生理的に受け付けない。 「あ、が……っ!」 狭い入口に無理やり入れられて、痛くて、熱くて、壊れるんだって、死ぬんだって思った。 「どう?」 「きっつい、けど……っ、結構……」 「あ、ぁ、あ」 四つん這いにさせられて、動物みたいに後ろを突かれる。腸が避けるように痛くて熱い、気持ち悪い。 こんなのってない。酷い裏切りだ。心の柔らかいところを、なんて騒ぎじゃなく、心臓を丸ごと叩きつけられて、磨り潰されて、壊された。 酷い、酷い、酷過ぎる……! 「ががぁぁぁああ!!」 身体的な痛みとか、快感からでなく、ただショックで、辛くて雄叫びを上げた。 「黙れ!」 俯いていた顔を無理やり上げさせられて、目の前にグロテスクなそれを突き付けられた。後ろに気を取られて、目の前の男がベルトを外す音にも気が付かなかったらしい。 「んぐっ!?」 青臭い、籠った臭いのするそれを問答無用で口内に押し込まれる。 臭いが口から鼻に抜ける。グロテスクな形を粘膜で感じる。叫びたいほどに気持ち悪い。こんなものを口に入れられるなら、ミミズを押し込まれる方がましだ。 首を振って振り払いたいのに、後ろをがんがん突かれてそんな余裕が無い。それどころか、つかれる衝撃で目の前の男が善がってそこをぷるぷる震わせるから、余計に気持ちが悪い。得体のしれない生き物に口内を犯されている気分になった。 「あ~そのままやって。気持ち良い」 「どうせなら精液まみれにしようぜ」 カメラ係以外の男が、孝一の体に股間を擦りつけてくる。 「~~っ!!」 気持ち悪いのに、どこもかしこも全ての刺激を快感として受け取ってしまう。脇腹を擦られれば、そこがひくつき、背骨をなぞられれば突っ張っていた腕の力が抜けて、口内のそれを深く銜え込んだ。 「お、もう俺いきそ、うっ!」 頭を股間に押し付けられる。唇を陰毛が擦り、じゃりじゃりしたそれが口に入って来る。一際大きく脈打つそれを、喉の奥まで突き付けられて、擦られて、えずいた瞬間口内に熱いものが放たれた。 「ンぐっ!」 孝一を押さえつけた男がビクビク震える。粘々した精液をびゅくっびゅくっと喉の奥に直接注がれる。 男の欲の塊が、体内に入って来るのに耐えられなかった。本来神聖であるべきそれがただの欲として自分を犯していることに耐えられない。 「がは……! は……っ」 「じゃあ、次俺な」 息を吐く間もなく次を咥えさせられる。苦しい。苦しいし、悲しい。 「ぁ、ん……っ」 「喘ぐなよ」 「ぁ、だって、気持ち良いこれ」 良いように使われて、嫌なのに…… 痛いばかりだった後ろが、快感を拾いだす。最後の砦が破られた気がして絶望した。 「ん……っくっ」 痛みに気をやって快感をやり過ごしていたのに、もうだめだ。もう…… 「ん~~っ!!」 全身で快感を拾い、全身を震わせて達した。達した後も、余韻に皮膚が震えてそれさえも気持ち良い。 「お前ら激しすぎ。もっとこいつが『お願いします、ご主人様ぁ』ってなるようにやらなきゃ」 言いながら脇腹から背中を撫でられて、びくんびくんと体が跳ねる。 「ひぃ、ぁ……っもう、や……っ!」 「はーい、うそ。気持ち良さそうに喘いでんじゃん?」 「あ、あ、あ……っ」 今度はさっきまでの激しさを一変、焦らすように全身を撫でられる。真綿でくるんだような感触に、敏感になった皮膚がいちいちピリピリ反応した。 「どうしたのかな?」 「……もっと……」 「聞こえねぇな」 「もっと、ちゃんと、さわって……っ」 自分の言葉に泣きたくなった。 それから、時間をかけてじれったくねちっこく愛撫され、薬の力も手伝って、理性も飛んだ。意識が飛ぶまで犯されて、目が覚めた時には、一人でそこに取り残されていた。ふらふらと、どうにか家に帰ると、布団に潜って泣き寝入りした。 家事全般を放って寝込む孝一を家族が心配して見にきても、応えられない。だって、何と言ったら良い? 次の日、学校に行きたくないと訴える体と心を引きずって登校すると、靴箱に封筒が入っていた。開けてみれば、中には、乳首を触られて身をくねらせる自分の写真に、カメラに向かって自慰をする写真、男のナニを上と下から銜え込んだ写真、自ら腰を振る写真。 ――きもちい……、もっとぉ……! 覚えていない筈だった、終盤の記憶が蘇る。……なんて、浅ましい。 同封された手紙も読む。 『ばらされたくなかったら、分かるよな? 放課後、昨日と同じ場所に来い』 分からない。分かりたくない。 今日は何をされる? 何人に犯される? 考えるほどに発狂しそうで、孝一はすぐにそこから逃げた。 家に帰り、ただ震えて時が過ぎるのを待った。 動けない。もう、明日には自分の恥ずかしい姿が学校中に知られてしまうかもしれない。でも、もう動けない。 一限が終わる。二限が終わる。――放課後が、終わった。 「孝一、孝一。大丈夫? 昨日から具合悪いんだって?」 部屋を覗きに来た父に、震える手を伸ばす。 「――俺、もう、学校に行けない……」 ****** ♪~ こぎれいなチャイムの音色が、空々しく流れる。返事は無い。 以前休みの日に、正宗がこの家を訪れた時は、確実に人の気配がしたのに、声を掛けた途端に物音がしなくなった。今回も居留守かもしれない。正宗は呼び出すことを諦めて、ダメもとでノブを回した。 (回った?) そっと覗いて、中の惨状に目を見張る。家具も小物もぐちゃぐちゃで、強盗でも入ったかのような有様だった。走った分掻いていた汗が一気にひいて、別の汗が噴き出してくる。 「――源氏!」 土足のまま駆け込んだ。 リビングも、キッチンも、ダイニングも荒らされている。 (源氏が、もし……) 見ていない部屋はもう、一つだけだ。この扉の向こうに彼は居るのか。居たとして無事なのか。早鐘を打ちすぎて、止まってしまいそうな心臓の鼓動を感じながら、扉を開け放った。 ――居た。 散らかった部屋の奥のベッドで、丸くなって眠っている。 規則正しい呼吸音と、小さく上下する肩を確認して、正宗は彼のベッドの前にへたり込んだ。 「良かった……」 綺麗にセットされた彼の髪を撫でる。思っていたよりも柔らかい。しかし、髪はセットしてあるし、制服も着ている。学校に来るつもりはあったのか。そう考えて、彼の手が何かを掴んでいることに気が付いた。きつく握った手を解くと、長い間使っていなかった正宗の年号表と、ぐしゃぐしゃになった紙屑が出てきた。 「――ぅん……」 「源氏?」 正宗はそれらをポケットにつっこむと、薄く目を開けた彼の頬を撫でて、顔を覗き込む。 「ぶ、ちょう……」 孝一はその優しい手に頬を摺り寄せた。 「……夢?」 不安げに瞳を泳がせ、甘えてくる彼に、胸が震える。 「……だったら、どうしたい?」 彼の手が正宗の腕を掴んで引き寄せる。彼は浅く背を浮かせて、彼の上に乗り上げる正宗の背に、腕を回してしがみついてきた。 正宗も、震える彼の背に腕を回して体重を乗せて抱き締める。しっかり抱けばその分、彼の瞳が緩んだ。 「部長、俺、俺……、怖くて……っ」 「うん」 言葉を発するたびに零れる彼の涙を唇で拭う。夢だと思っているなら問題ないだろう。 「おれ、男が……、怖くて……っ」 「うん。大丈夫、大丈夫」 ああ、涙で目が溶けてしまいそうだ。 彼の小さな頭を撫でて、濡れた頬に自身の頬を当てた。 「部長なら大丈夫で、部長じゃないとダメで……」 「うん。そっか、嬉しいなぁ」 気持ちが良いのか、眠そうな声で言う彼の、赤くなった鼻にキスをする。 「また、襲われそうになったのに……」 「は……?」 「裏切られたく、ない……」 とうとう瞼を閉じた彼に、規則正しい寝息が戻ってくる。 (また、襲われそうになったって?) 正宗は彼の手から取り上げた紙屑を開いた。
ただいま
「え、宮本!?」 昼休み、部室前で孝一を待っていた三人は、予想外の人物がやって来たのを見て、戸惑う。そんな彼らに正宗は例の手紙を掲げて見せた。 「お前ら、俺に話してないことがあるんじゃないのか?」 感情を押し殺した、静かな口調に三人が萎縮する。鋭い視線を受けて、彼らはたどたどしく口を開いた。 「……あいつが転入してきた理由、男が好きなことがばれて、男に襲われたからなんだ」 「それを知って、あの時はちょっとからかってやろうと思って……」 罪を告白するのは怖い。三人にとって正宗は、同じ年ながらも尊敬できる人物だ。そんな彼に、軽蔑されるようなことを自ら口に出したくはない。自然と声は震え、尻つぼみになった。 「知っていて襲おうとしたのか? 自分たちが何をしたか分かってんのか!?」 「か、軽い気持ちだったんだ!……あんなに取り乱すと思わなかった」 その言葉に正宗の声も怒りに震える。 「お前らだって、男に無理やり襲われるなんて考えたら怖いだろ。お前らのことを良く知ってるなら、そんなことをするわけがないと、冗談だと思うかもしれない。でも、あいつは違う。それに、あいつが前の学校で遭ったことを考えれば尚更、ありえることだと思うだろう!? トラウマを抉るようなことをして、取り乱すと思わなかっただと!?」 三人はぐっと押し黙って、正宗の強い視線から目を逸らした。 ……彼の言うとおりだ。本当はあいつが苦しめば良いと思った。 正宗に麻子、二人に懐いて、気に入られているのが憎かった。頑なに自分達を無視するあいつにムカついた。でも、本当はそんなこと無かった。あいつを本当に見ていないのは俺達の方だった。 「だから今日、謝ろうと思ったんだ」 「怖がっていたぞ」 三人ははっと目を見開き、おどおどと顔を見合あわせる。 「自分を襲うと言った三人に呼び出されたんだ。当たり前だろう」 彼の言葉に愕然とした。 だって、だったらどうしたら良い? 俺達の行動はあいつを追い詰めるだけなのか? 「あいつは俺が連れ戻す。お前らのことも伝えておく。だから、お前らは落ち着くまで反省してろ」 三人は踵を返す正宗の背中を茫然と見つめた。 ****** 今日、あいつは登校するだろうか。 正宗は晴れ渡った空を睨みつけ、視界に写った光景に息を呑んだ。 あれから目を覚ました孝一は、父が帰る前になんとか部屋の惨状を片づけた。これ以上彼に迷惑をかけるわけにはいかない。 夜、昼間見た夢を思い出して眠れなくなった。正宗に泣きつく夢だ。暖かくて、優しくて、嬉しくて、彼が好き過ぎておかしくなりそうだった。 日が昇ってくると、寝ることを諦めた。父を見送って、そのまま家を出たら、ずいぶん早い時間に学校に着いてしまって、何となく屋上の柵を乗り越えた。 そこから見える景色は、空も地面も遠くにあって、自分の存在がとても不確かなものに思えた。ここから一歩踏み出せば、世界から自分は消える。すぐに居なくなれる。そう思うととても心地が良い。 「――源氏!」 ふわふわと思考を漂わせていた孝一を、鋭い声が呼び戻した。 「とりあえずこっちに来い!」 ここまで駆け上がってきたのだろう、肩で息をする正宗が、険しい表情で叫んでいる。 「源氏!」 彼の必死な顔を見て、孝一は大人しく柵に手を掛けた。別に飛び降りるつもりなんて最初から無かったのだ。ただ、気持ちが良いからそうしただけで。 柵の内側に着地すると、駆け寄ってきた正宗に腕を掴まれる。 「離せ!」 「俺にはお前が必要なんだ!!」 振り払おうと腕を振るのに、離れない。 「あんな……、あんなことをしておいて良く言えますね。あんただって、あいつらと同じ癖に! 俺のこと本当は、男目当てだとか思ってるんでしょう!? 気持ち悪いって思ってるんでしょう!?」 相手の行動も自分の気持ちも、思い通りにいかなくて、視界が滲んだ。 「こんな風に裏切るなら、最初から近づかないでくれたら良かったんだ。それができないほど……、そんなに俺が、憎いですか……!?」 「おい!」 「嫌がらせしてまで追い出したのに、チームのために頭を下げて、部長って大変なんですね……」 「源氏!!」 正宗は、唇を震わせて言葉を紡ぐ孝一を、その口を手で塞いで黙らせた。 「なんでそんなこと、言うんだよ……っ」 声が震えて裏返える。 これ以上、彼に悲しい叫びを上げさせたくなかった。 自分は彼のことを気にかけていた筈だった。それなのに、本当は彼のことを何も知らなかった。彼がどうして部員と距離をつくるのか、どうして触れた時に体が跳ねるのか、気付いていたのに考えなかった。彼を構って、気遣って、彼のためにたくさんのことをしてきたつもりだったのに、自分と彼のことばかりで、周りが見えていなかった。あの三人だけじゃない。他のやつらが不満に思う要素もあったはずなのに、気付かなかった。もっと俺がちゃんとしていれば、彼がこんな風に傷つくことは無かったかもしれないのに。 前の学校で傷ついて、転校してまで逃げて来たここで、また傷ついて……、どうしてこいつがそんな目に遭わなきゃいけない……! 「……何で、あんたが泣いてるんですか」 孝一は、自分の手首を痛いくらいに掴む正宗が、歯を食いしばって涙を堪えるのを見て、茫然と呟いた。 「悔しいんだよ!! 俺は、俺に無性に腹が立ってんだよ!!」 正宗は、孝一の肩を掴んで顔を覗き込む。 「良いか、良く聞けよ! 嫌いな奴にあんなに絡みに行くもんか、頭下げに来るもんか! チームにはお前が必要だよ! あいつ等だって本気でお前を脅したんじゃない! 今はお前を仲間として迎えたいと思ってる! でも、それより、なにより……」 孝一は、目を見開いて、彼を見つめる。彼のこんな表情を見たことが無かった。鼻の付け根に皺を寄せて、唇を震わせて叫ぶなんて、全然格好良くないのに、すごく苦しい。彼を見ていると、自分まで苦しくなる。彼の激情がぶつかってくる。 「――俺にお前が必要だから、だからこんなに必死になって、戻って来いって言ってるんじゃねぇか!」 孝一の顔が歪んだ。切れ長の瞳がじんわり水の幕を張って揺れる。 「……うそだ」 「うそじゃない」 「じゃあ、あれは……ただ……」 孝一は彼の汚れたユニフォームを思い出す。あれは単にタイミングが悪かっただけ? 「はぁ~……」 額を押さえてしゃがみ込んだ。 「源氏?」 「……振り回されるのは尺に触ります。ほら、チャイム鳴ってますよ。自分の教室に帰ってください。」 ポケットからハンカチを出してぐいっと乱暴に目元を拭う。ついでに心配する正宗の顔も拭いてやった。 嬉しいとか、安心したとか、拍子抜けしたとか、胸の中がぐちゃぐちゃだった。 グランド周りは背の高い木が無造作に植えられた、小さな林のようになっている。 放課後、どんな顔をして部室に行けば良いか分からずに、そこをうろついていた孝一は、木の影に見知った後ろ姿を見つけて声を掛けた。 「ちわ」 「こんにちは」 その人、千尋は振り向いて微笑んだ。 「何してんすか」 「君と同じだよ」 彼の頬に木漏れ日が射す。孝一は男が苦手だが、小柄で女顔の彼は平気だった。初めて会った時も、人見知り同士気まずい空気が流れたが、それが逆に共感を生んだことを覚えている。 彼の隣に腰を下ろし、グラウンドでの活動風景を眺める。木陰から覗く世界が眩しい。 しばらくして休憩に入ると、女子がタオルとドリンクを持って集まってきた。 「何だあれ」 「ああ、君が居なくなって、共有のドリンクが無くなったでしょ。その初日に各自で持って来たドリンクが終わっちゃって、そこに部員のファンの子がドリンクを持って来たの。それでいつも受け取ってくれない人が受け取ってくれたものだから、ドリンクを持って来る子が増えたみたい」 女子の数人が正宗を囲んだ。 「目立つのはエースだけど、部長も結構モテるよね」 そんなこと、孝一だって知っている。見た目も中身も男前で優しい彼が、モテない訳がない。そうだ、孝一にだけじゃない、彼は誰にでも優しいのだ。なのに、あまりにも優しいから、勘違いしそうになる。 視線の先で、遊馬が水筒の底を叩いて困った顔をした。中身が無くなってしまったようだ。それを見た女子が彼にペットボトルを差し出す。断りにくそうに苦笑いを浮かべる彼が、ちらっとこちらに視線を投げた。 千尋が立ち上がり、ドリンクを掲げる。遊馬はぱっと笑みを浮かべて、背を向けて走り出した。 すぐに背後から足音が聞こえて、孝一は見つからないように木の影に身を隠した。 「千尋さん!」 現われた遊馬が忠犬の如く千尋に駆け寄る。 孝一は、遊馬がよく話題にする先輩の名前が、「千尋」であったことを思いだした。そして目の前の彼の名前も千尋。 「ほら」 「ありがとうございます!!」 「ん。練習、頑張れよ」 「はい!!」 見えない尻尾を振る遊馬を、千尋は激励と共に送り出した。 そういえば、遊馬には「幻の恋人」が居るという話を思い出した。 「好物がゼリーなのが可愛い」だとか、「照れるとすぐに手が出るけどそこが可愛い」だとか、「眉間に寄った皺が可愛い」だとか、遊馬は親ばかみたいに惚気を言うが、誰もその姿を見たことが無いから「幻の恋人」と言われている。 また、彼の恋人が幻と呼ばれる理由はもう一つある。彼と仲の良い先輩の存在だ。「毎日一緒にお昼を食べる」だとか、「部活終わりまで待っててくれる」だとか、先輩と一緒に居る時間が長すぎて、恋人との時間が取れないだろうと思うのだ。 それから、「好物がゼリーなのが可愛い」だとか、「照れるとすぐに手が出るがそこが可愛い」だとか、「眉間に寄った皺が可愛い」だとか……。あれ、おかしいな重なった。 遊馬は、王司という名前と甘いマスクと柔和な性格から、学園のプリンスとまで呼ばれている。そんな彼の恋人は、可愛い女の子に違いないと思い込んでいた。だから、誰も結び付けなかった。 (そうか、俺だけじゃ無いのか……) 「君がマネージャー止めてから、洗濯物は各自持ち帰りになったんだけど」 「え、は、はい」 孝一は、気づいてしまった事実に衝撃を受けていたところで、話しかけられて慌てる。 「女の子がね、私が洗います。って言ってくるんだって」 「……」 言われて思い浮かんだのは部長のユニフォームだ。あれを、誰が? 「……俺、戻ります」 孝一は静かに立ち上がると、すぐに部室に足を向けた。 活動を終えた部員は部室に入ると、整頓された室内を見て歓声を上げた。 「俺のロッカーが発掘された!」 「無くした辞書がある!」 「普通に息ができる!」 『――源氏が帰って来た!』 「源氏!」 正宗は雑巾を絞る孝一の背中に飛びついた。 「部長、ユニフォームのままオナニーするの止めた方が良いっすよ」 「え、ああ!?……気づいてたのか?」 「誰が洗ったと思ってんですか」 「いや、そりゃそうだよな。うん。でも、お前何も言わないから……」 そこまで言ってハッとする。 「……もしかして、それで……?」 「ほんと、振り回されましたわ」 孝一が振り返ると、正宗は顔を青いのだか赤いのだか分からない色に染めていた。 「面白い顔」 「うっさい!」 「うっさいってなんなん。少しは悪いと思ってほしーー」 孝一は、皆まで言う前に強く抱きしめられて、押し黙る。 「思ってるに決まってんだろ! 本当に、悪いと思ってる……」 「……本気にしないでくださいよ……別に、良いっす」 正宗は腕の中で大人しくなった孝一の頬に手を添えて、その整った顔を覗き込んだ。 「源氏、おかえり」 「……ただいま」 孝一もその手に自身の手を重ねる。二人は緩んだ瞳で見つめ合った。 正宗は部員の中に入るのを躊躇う孝一の代わりに、掃除道具を片づけると、急いで彼の元に向かった。部誌の記入は後回しだ。 孝一と一緒に帰る約束をした。彼が活動が終わるまでいるのは初めてだったから、一緒に帰るのもこれが初めてだ。 正宗が待ち合わせ場所の裏門の前に着くと、孝一が申し訳なさそうに頭を下げてきた。 「部長、すみません。俺、部長の年号表なくしました。」 正宗はキョトンと瞳を瞬き、あ、と気まずさに視線を逸らす。 「え、あー……」 ついでごそごそとポケットを漁り、皺の寄ったそれを取り出した。 「……俺が持ってる」 それを見た孝一は、じわじわと頬を赤く染め上げる。 ――だって、それを持っているということはつまり、昨日あったことは夢なんかじゃなくて…… 「何なんすかあんた!? は、恥ずかしい人だな、本当に!!」 「うっさい、お前だって甘えてきただろう!?」 「だからって、普通あんなに甘やかさないでしょう!?」 「だってお前可愛いんだもん!」 「もん言うな、気持ち悪い!」 「酷い!」 孝一は頭を抱えて、呟いた。 「あー……もう、本当馬鹿……」 (そんなことされたら、また勘違いするでしょう……)
おかえり
麻子は、校門の前で足を止めた。 昨日の夜、孝一から彼女の元に、サッカー部に戻ったというメールが来た。だから自分もと思い、早く起きて仕度をした。 太陽の光は青白く、早朝の風は爽やかだ。朝練には余裕で間に合う。しかし、いざここにきて迷ってしまった。 彼が戻ったから、自分も戻るというのはおかしくないかと考えたのだ。そもそも麻子がマネージャーを辞めたのは、孝一が辞めたからではない。 「川島さん!」 校門前で立ち止まっていた麻子が呼ばれて振り返ると、事件の発端になった先輩が駆け寄って来るところだった。 「李都先輩」 「戻って来てくれたのか!?」 麻子は首を横に振った。 「昨日、源氏が戻って来たんだ。だから川島さんも戻って来てくれ」 李都はそんな彼女を続けて説得する。 戻ってくるつもりが無いと言っても、この時間に学校に居るのだから、彼女にも思う所があるに違いないと。 「先輩、私が言って欲しい言葉、何だと思いますか?」 「……ごめんなさい?」 「違います」 真剣に考えたが、他の言葉が思いつかなかった。きっとその言葉が分からなければ、彼女を呼び戻すことはできないのだろうに。 麻子はぐるぐる悩む李都に人差し指を立てて言った。 「ヒント、私は何と言ってサッカー部から離れたでしょうか」 「源氏が辞めるなら辞める?」 「はずれです。それでなく、『マネージャーが要らないなら、私だって要りません!』です」 「川島さんが必要だ! 戻って来てくれ!」 「はい、良いですよ」 麻子はやっと出てきた言葉に笑顔で答えた。そのあっさりした反応に李都の方が慌てる。 「え、良いの!? 俺のこと、怒ってないのか?」 「李都先輩は、単純で、短気で、考え無しなところがあって、簡単に言えば単細胞ですね」 「え!?」 突然の罵倒にショックを受ける李都に、麻子は笑顔で続けた。 「でも、熱くて素直で仲間想いだって、私、知ってます。先輩達言いましたよね? 『俺たちのことを避けてるやつに部室や大事なユニフォームを任せたくない』、て。仲間想いが過ぎて暴走した結果じゃないんですか?」 そこまで言って、ふっと息を吐く。 「……私は孝一先輩に近いから、皆さんが何を思っているか、気が付かなかったんです」 それは部から離れて、外からグラウンドを見て、冷静になってやっと気が付いたことだった。 「李都先輩は悪いことをしましたけど、悪い人じゃないですよ。孝一先輩が戻って来たのなら、私が怒る理由は無いです」 李都は麻子の言葉にぐっと胸が詰まった。自分は彼女にそんな風に言われる資格は無いと思った。 俺があいつにしたことは、あの悪乗りは、暴走なんて一言で片付くことじゃない。もっとあいつを見ようとすれば良かった。あんな形でなく、きちんと話し合えば良かった。振り返れば自分は悪いところばかりで、本当に情けなくなる。それに、 「俺は川島さんにも酷いことを言った」 李都はキョトンと見上げてくる彼女に続けた。 「川島さんが泣いてるのを見て、あいつの為に泣いてるんだと思ったら、つい、カッとなって……あの状況じゃ当然なのにな。寧ろ、川島さんが泣いたのは俺の所為なのに……すまん! やっぱり謝らせてくれ!」 がばっと頭を下げた李都に、麻子は目をぱちぱちさせた。 「もしかして、私が孝一先輩を好きでも、とか言ったことですか?」 頭を下げたままの李都の肩を叩いて上げさせる。 「私は孝一先輩のことそういう意味で好きなわけじゃありませんし。あの時は孝一先輩を馬鹿にされて頭にきましたけど、その分は平手に込めましたよ?」 首をかしげる麻子に、李都は「え」と間抜けな声を出した。 ****** コンクリートの地面が熱を吸い、陽炎が立つ。 孝一は洗濯用のタライがプラスティック製で本当に良かったと思った。これが金属だったなら、熱を持ったそれに火傷をするだろう、それほどの日差しだ。 首の後ろがちりちり暑い。日焼け止めなんて塗ったそばから汗で流れてしまった。 「ほんと、飽きませんね」 孝一は、すぐ後ろにしゃがみ込んだ気配に向かって話しかけた。 「おう。だって、源氏が居るなーって」 「言ってて恥ずかしくないんすか」 タライに張った水がキラキラ光りを反射する。首が熱い。 「もう、手伝うって絡んでこないんすね」 背後の気配が動いた。強い日差しが遮られる。 「日除けっすか?」 笑うと、背中から抱きしめられた。 「ちょっと!?」 「……源氏」 「な、なんか絡み方違くないっすか?」 間近で聞こえる正宗の声に、孝一は小さく体を震わせた。 お互い汗まみれなのに、気持ち悪いとは思わなかった。むしろ汗の分、彼の匂いを強く感じて胸が高鳴る。 「俺のこと、怖いか?」 耳に唇が付きそうな距離で囁かれて、頭がくらくらする。 彼は孝一がゲイだと知っているはずなのに、こういう触れ方をしてくるから性質が悪い。スキンシップが好きなのは分かっているが、もっと考えて欲しいと思った。 「あんたなんか怖いわけないでしょう」 (好きなんだから) 「じゃあ、大丈夫だな」 孝一が彼の腕から逃れようと、身をよじるのに、彼は逆に腕の力を強くして、孝一を抱えて立たせた。 「お前ら、良いぞ」 彼に呼ばれて、物陰からあの時の三人が現われる。 びくっと孝一の体が強張ると、正宗はその頭に顎を乗せて、抱きしめる力を強くした。 「源氏、大丈夫」 孝一は胸に回された腕を抱きしめ、三人を見つめる。 そうだ、彼が居るから大丈夫、怖くない。 「悪かった」 孝一の視線を受けて、李都をはじめに三人が口々に謝り、頭を下げた。 「お前のことを誤解して、酷いことをした。冗談のつもりだったと言っても、そんなの、って感じだよな……。あの後、お前にしたことをすごく後悔した。それで、謝ろうと思って出した手紙が、またお前を追い詰める結果になって……。どうしたら良いか分からなかったんだ。――今は、お前のことを仲間だと思ってる。戻ってきてくれてありがとう」 言い終えて顔を上げる彼らは、本当に真剣な表情をしていた。 「お、俺は……」 孝一はそんな彼らを見て思う。 彼らが誤解したのは俺のせいだ。そして、俺も彼らを誤解していた。 「好きなようにして良いぞ」 正宗の声に背中を押される。 「……よろしくお願いします……」 俺だって、ちゃんと彼らの仲間になりたいと思っていた。 「「「「ぃよっしゃーっ!!」」」」 「うわぁっ!?」 四人が歓声を上げる。正宗が脇を持って孝一を掲げた。 「ちょっと!? 下ろしてください!!」 身じろげば、すぐに地面に降ろしてくれたが、今度は腕を引かれてグラウンドに連行された。 「あ、源氏来た!」 一番に遊馬が声を掛けてきた。他の部員も孝一に気が付くと口々に「フェアリー降臨」とか「これで幻じゃなくなった」とか言っている。フェアリーって何だ。 「孝一先輩お帰りなさい!」 「麻子さんも戻って来たんだ」 「李都が口説いてきたんだぜ!」 駆け寄って来た麻子に、孝一が言うと、野島が隣の李都を茶化した。 「口説かれちゃいました」 「川島さん!?」 悪ふざけに乗る彼女に、李都が強面の頬を赤く染めた。
独占したい
「ぎゃー!!」 部室棟に野太い悲鳴が木霊する。発信元はサッカー部部室だ。 「Gだ、奴が出たぞ!」 室内の部員は、かさかさと動く黒光りするそいつから、じりじり距離をとる。ヤツを中心にクレーターができあがった。 ――どうする? 誰が動く? 視線で会話をするが、先に動いたのはGの方だ。かさささ、と予想外な動きを始めたそいつに、部室に再び悲鳴が上がる。 「何してんすか?」 阿鼻叫喚と化す部室に現われたのは新たな犠牲者か。 いつもの冷めた表情で室内を見渡した彼、孝一は、そいつを目にするとカッと目を見開いた。 「散れ! そいつは俺の獲物だ!!」 普段の冷静な口調を取っ払って叫び、靴を片方脱いで手に持ち構える。 「いくぜ、ゴキブリ叩きゲーーーーム!!」 高らかに宣言してGを瞬殺した。 「お、おぅ……」 彼と最近仲良くなってきたばかりの部員は、色々な衝撃が強すぎて、そんな言葉にもならない声しか出せない。 「て、何してんだ!?」 そんな周囲を後目に孝一はGを小袋に詰めて、自分の鞄に入れようとしていた。 「戦利品の回収を」 部員たちは彼の言葉に流石にドン引いた。 「それは止めようか、源氏」 彼に甘い正宗も青い顔で止めに入る。 「でも、戦歴が」 「写真! せめて写真にしよう、な!」 正宗の上げた妥協案に、孝一は渋々Gを持ち帰ることを諦めて、ケータイのカメラで記録した。 孝一はサッカー部に復帰してから、変わったことがある。まず前より男が怖いと感じなくなったこと。それから正宗の迎え付きではあるが、休憩時間に部員の中に入っていけるようになったこと。それともう一つ、部室で正宗と二人で昼休みを過ごすようになったこと。 「部長、今まで他の人と食べてたんじゃないんですか?」 「はぁ……」 孝一の問いに、正宗はため息で答えた。 最近、孝一がチームに馴染んだ。それはとても喜ばしいことだ。しかし、そのせいで正宗は彼を独占できなくなってしまった。 先日のゴキブリ事件もそうだ。汚いものを前にした時の、彼の大きく動く表情や奇行を知っていたのは、自分だけの筈だったのに。 「なんの溜息っすか」 「部活でお前を独り占めにできないから」 正宗の正直な言葉に孝一は顔を顰める。 「……ほんと、うっといっすわ……」 「酷くね!?」 孝一は騒ぐ正宗から目を逸らして、緩む口元を手で隠した。この人は、人をこんなに喜ばせてどうするのか、と。 「お前はいつも一人で食べてたのか?」 「まあ。そうっすね」 しかし、そんな心情を表には出さない。先輩として後輩の孝一を可愛がる彼を、恋愛対象として見て勝手に喜んでいるだなんて、知られるわけにはいかない。 「王司は?」 「あいつはいつもチャイムと共に走り去りますよ。で、そのあと女子の大群が押し寄せてくる」 「はぁ~、もてる男は辛いねぇ」 「でも笑いながら走っていくんすよ。千尋さんと食べてるんでしょ」 「ああ、山瀬な。あいつ等、性格真逆っぽいけど、どんな話してんだろうな」 「俺と部長も真逆ですけど」 そう言うと、正宗は目で笑って、大きな手で孝一の頭を撫でた。 「山瀬と言えば、王司の彼女ってどうなんだろうな」 「最近存在を確認しました」 「は!? まじか! どんな子だった?」 「王司は可愛いって言ってますけど」 「お前的には可愛くないのか?」 「う~ん」 孝一は正宗を見つめて唸る。 (俺的には、部長の方が可愛いかな、とか……) 「ま、まあ、俺には関係ないか!」 正宗は、じっと見つめてくるその視線から目を逸らし、空気を換えるように食事に戻った。すると、隣から伸びてきた指が、口の端についた米を取っていく。 「は!?」 孝一からの貴重な接触に驚き、赤面する。 「あんた、いつもこれの百倍恥ずかしいことしてますからね」 そんな正宗に、孝一は挑発するようにそう言った。が、次に彼の取った行動に孝一の体も思考も固る。 彼は、孝一の手をとると、指を口に含んで吸った。指先を包む柔らかく暖かい濡れた感触に孝一の全身の毛穴が開く。 「ぶ、ぶちょ、ぶちょう……!?」 「俺の米、返してもらったぞ」 ちゅっと音を立てて離される。そんなことをされれば、こっちの思考はピンクに染まると言うのに、爽やかな笑顔で返されて、 「何てことしてくれてんですかぁっ!?」 あまりのことに泣きたくなった。 ****** 放課後、孝一は仕事が終わると、グラウンドを囲む林の木の陰で、千尋と一緒に練習を眺めるのが日課になっていた。その帰り際、時間を確認しようとして、部室にケータイを忘れてきたことに気が付いた。 「お疲れ様です。」 男だらけの場所に単身で入るのはまだ怖くて、孝一は恐る恐る扉を開けた。帰り支度をする部員の中に、正宗の姿を確認してほっとする。 「どうした?」 「ケータイ忘れたんで」 孝一は、机の上に出しっぱなしになっていたそれを回収すると、すぐに彼のそばに寄る。 そんな孝一を、正確には彼のケータイを、画像フォルダの怖さを知っている部員達はちらちら盗み見た。 「わざわざ、家から?」 「いえ、最近はこれくらいまで喋ってるんで」 正宗に訊かれて隠すこともなく答えると、彼の纏う空気が変わった。 「誰と?」 目の色を変えて、冷たい声で問う彼に、残っていた数人の部員が息を詰める。 「先輩です」 「先輩って三年だよな。誰?」 「千尋さん」 「千尋って、もしかして」 「部長の隣の席の、王司と仲の良い千尋さんです」 「なに、あいつ後輩キラーだったの?」 孝一は瞳を翳らせる正宗を見つめた。 「俺、可愛い人が好きなんです」 正宗は千尋の容姿を思って眉間に皺を寄せる。そんな彼を見て、孝一は寂しげな笑みを浮かべた。 この人が嫉妬のような感情を持ってくれるのが嬉しい。でも、俺が欲しいのはそれじゃない。その嫉妬が、二人の後輩に向けるものでなく、俺一人に向けられたものだったら良いのに。 「はっ……」 孝一は、そんな身勝手なことを考えてしまう自分を嘲笑った。
プリンスの恋人
「源氏―」 その声に、クラスの空気が華やいだ。昼休みに入ると、孝一のクラスメイトはそわそわと落ち着かない気持ちになる。その原因は最近毎日孝一を迎えに来る、サッカー部部長の正宗だ。 見た目も中身も男前な正宗は、女子はもちろん男子からも憧れの的だ。その彼を毎日見ることが出来るなんて、と彼らはこのクラスになれたことをとても幸運に思っている。 そして彼らのそわそわの原因はもう一つある。 彼らは孝一に目をやった。彼は弁当を片手に無言で正宗の元に向かう。正宗はそんな彼を抱き締めて、肩口に鼻を寄せて大きく息を吸った。 「はー、今日の源氏」 「なんすか、それ」 ――これだ。 このクラスには、二学年の二大イケメンが居る。甘いフェイスと、柔和な性格でプリンスとして君臨する王司遊馬と、ワックスでアシメに整えられた頭髪に、左耳のピアス、きつい目つきの美人顔という近寄りがたい外見と、見た目に違わぬクールな言動で、氷の女王と呼ばれる彼、源氏孝一である。 その氷の女王と正宗が連日行う過剰なスキンシップがもう一つのそわそわの原因だ。クラスメイト、その中でも特に女子は、彼らの会話に全神経を集中させた。 身じろぐ孝一に、正宗が逃がさないとばかりに頬を摺り寄せる。孝一の腰に回った彼の腕が、怪しげに動き出せば、さすがの孝一の頬にも赤みが差した。 「っ、部長、いい加減離してください」 「もうちょっと」 わざわざ弱い左耳に、息を吹きかけるように言われて、孝一は息を詰めて彼の肩にしがみついた。 その光景から、男子はついに視線を逸らす。 (もうギブアップか、頑張れ男子) (無理だよ。だって目覚めそうだもん) (目覚めれば良いだろう、お前たちもネタにしてやるよ) 男子女子はそんなテレパシーを送りあう。 「どうせ一緒に食べるんでしょうが」 「二人きりの方が良いか?」 鼻先が付きそうな距離で孝一の頬を撫でながら正宗が言う。 「うざっ……」 孝一は切なげな表情で彼から視線を逸らした。 二人の言動に、女子も男子も、ざわついた。 「二人きりになったら、今よりすごいことをするのか?」と。酷い人になると、「毎日二人で何を食べてるんですか? お互いを食べる的なあれですか!?」と。 会話だけでも相当の破壊力があるというのに、この二人の纏う空気がまた甘い、甘すぎる。正宗は孝一を前にすると、精悍な顔立ちの目元だけをとろとろに蕩けさせるし、孝一は正宗が構えば構うほど、目を伏せ唇をきつく結んだ、拗ねたような表情になる。その上、彼の指先は甘えるように正宗の服の裾を引っ張るのだからもう……。 (見た目も性格もきついとばかり思って、観賞用にしていた氷の女王が実はこんなにも可愛かったなんて!) クラスメイト達は、しっかり手を繋いで部室に向かう二人を、息絶え絶えに見送った。 「あれ?」 孝一と正宗は、連れ立って部室に向かう途中、千尋と彼の双子の妹である千春が、空き教室の窓から中庭を覗いているのを見つけた。 「千尋さん?」 孝一が声を掛けると、彼は「しっ!」と唇に指を当てる。 「今遊馬にドッキリ仕掛けてるところ」 「二人もおいでよ」 細いタレ目が千尋にそっくりな千春に手招きされて、孝一は窓の外を覗きに千尋の隣に行った。 正宗は孝一の行動に目を眇めると、彼の背中に覆いかぶさるように後ろに立ち、サッシの淵を掴んで閉じ込めた。 「ドッキリってなんすか?」 中庭の端に一人で座る遊馬を見て、孝一は千尋に尋ねた。 「俺と、俺らの友達の影木君の入れ替わりドッキリ」 正宗はなんでまた、と言おうとして、言う前に千尋が答える。 「昨日、遊馬が俺のゼリーを勝手に食べたんだ」 「それで、ちーちゃんが怒っちゃって、手に付けられないから私と影木君でドッキリを企画したの」 千春は千尋を見てふふっと笑った。 「今、ちーちゃんは怒ってたことも忘れて、とても楽しんでる」 「う、煩いな」 「千尋さん、可愛いっすね」 むっとして千春に悪態をつく彼を見て、孝一が言った。 可愛いという言葉が千尋の癇に障る。千尋は文句を言おうとして、孝一を振り向いた。が、自分よりも機嫌が悪くなった男を見て言葉を飲み込む。 「……源氏君、それ態と?」 (宮本君の目がすごく怖いんだけど……) 当の孝一は機嫌の悪くなった正宗を見上げて、嬉し気に目を緩めた。 「お、影木君」 千春が声を上げる。 孝一の反応に「うわぁ」と思った千尋だが、彼女の声に、気を取り直して窓の外に注意を向けた。ちょうど、艶々おかっぱ頭の男子生徒が遊馬を蹴り飛ばしたところだった。 「ぎゃっ! いきなり酷いですよ、千尋さ……影木さん!?」 「影木じゃない。千尋であってる」 「え、え?」 「入れ替わった」 影木は戸惑う遊馬の横に背中を向けて座った。正宗と孝一は、さすがに信じないだろう、と稚拙なドッキリに呆れる。 「え、大変じゃないですか! どうするんですか!?」 しかし彼は二人の予想を裏切った。 ((まじかよ王司……)) 「別に、そのうち戻るんじゃねぇの?」 影木は背を向けたまま弁当を取り出して言った。そんな彼に遊馬はしょぼんと肩を落とす。 「千尋さん、まだ怒ってます?」 「はあ!? 怒ってるに決まってんだろ!? まだも何も許さねぇから!」 影木の上げた怒号に、遊馬はびくっと肩を縮めた。 「お、俺あんなにきついか?」 千尋は、いつもツンと上を向いている細い眉を、やや下げ気味して戸惑った声で千春に訊いた。 「もうあのまま。さすが影木君、ちーちゃんのこと良く分かってる」 自信満々な彼女の言葉を受けて、千尋は眉を寄せて小さく唸る。そんな彼を見た孝一が小さく笑うのを見て、正宗の胸がまたちくりと痛んだ。 「あ、あの、昨日は本当にすみませんでした。間違えてゼリーを落として蓋が破けてしまって。このままじゃ乾いちゃうと思って……代わりにはならないかもしれませんが、お詫びに蜜柑ゼリー買ってきました。ごめんなさい」 遊馬がオレンジ色のそれを差し出すと、影木は頬を染めてわしゃわしゃと頭を掻きながら振り返る。 「~~っ、しゃーねーな!」 「千尋さん!」 「こんな市販のゼリー、千春の手作りの代わりにはならないんだからな! 炭酸じゃないし!……でも、態とじゃないし、許してやる」 「そうだよ、あんなゼリー代わりにならないし」 千尋は唇をツンと尖らせて呟いた。そう言いつつも、こちらも絆されたのか、拗ねた口調は何処か優しげだ。 「手作りなのに蓋が破ける?」 「今、本格的なパッケージに嵌ってるのよ」 孝一が訊くと、千春はプラスチックの入れ物に入り、セロハンで蓋をされたゼリーを持って見せた。これも彼女が作ったものなのか、市販のものと遜色ない見栄えをしている。 「へー」 「すごいな」 「あ」 正宗と二人で感心していると、千尋が短く声を上げて窓の外に乗り出した。 ぱぁっと目を輝かせた遊馬が影木に抱きついた。 「千尋さん可愛い! 大好き!!」 「うるせー、離せ!」 「嫌です。千尋さん……」 遊馬は形だけの抵抗を見せる彼の顔を覗き込み、普段のふわふわした口調を取り去って、低めの声で囁く。 「ぅ……気持ち悪い……」 「もー、素直じゃないんだからぁ」 掌で口元を覆って俯く影木に、遊馬はハートを飛ばした。 その様子を正宗の隣で見ていた千尋は、真っ赤になってふるふる震えると、窓の外に向かって叫んだ。 「遊馬!!」 「え、千尋さん!?」 上履きのまま中庭に降りた千尋は状況について行けていない遊馬に容赦のない蹴りを入れる。 おいおい、うちのエース大事にしてくれよ、と正宗が思った。 「影木くーん!」 千尋に続いて中庭に降りた千春が大きく手をる。 「ちーちゃんがご機嫌斜めだから終わるよ!」 「分かった」 彼女は三人の元に駆け寄りると、影木と頷きあい、 「「ドッキリ大成功!!」」 言葉と共に同じ文字の描かれたスケッチブックを掲げた。 「え、じゃあ千尋さんは……」 やっと状況を理解した遊馬が恐る恐る千尋を窺うと、彼はぷっくぅと頬を膨らませて遊馬を睨みつけていた。 「ご、ごめんなさぃぃぃい!! あ、眉間に皺よってる! 本当、ごめんなさいっ! ごめんね千尋さん!!」 遊馬は膨れる彼を抱きしめて、眉間の皺を撫でて伸ばした。 そんな彼らの様子を見ていればさすがに正宗も勘づく。 「なあ源氏、王司の彼女って……」 「お察しの通りっす」
うっと愛(う)しい
「はぁ……」 孝一は、濡れたYシャツを見下ろしてため息を吐いた。 最近、孝一が抵抗しないのを良いことに、正宗のボディータッチがエスカレートした。人が周りに居る時もそうだが、二人きりになると尚更酷い。 今日も遊馬たちと別れた後の部室で、彼の膝に座らされて、抱き締められて、上半身をまさぐられた。こう言うと卑猥な感じがするが、大人が子供の背を撫でるような感覚だ。そう分かっているから平常心でいようと思うのに、心も体も反応して、だめだ。自分ばかりが熱くなる。 そんなことを考えていたからだろう。活動後、ウォータージャグを洗う手元が狂って、盛大に水を被ってしまった。 正宗が一人で日誌を書いていると、孝一がシャツを濡らして帰って来た。 「どうしたんだよ、それ」 「ただのドジです」 そう言って彼はいつものように正宗の隣の椅子に座った。正宗の視線はシャツの張り付いた彼の体にくぎ付けになる。 「なんすか」 彼はその視線から逃げるように席を立ち、後ずさった。正宗はそんな彼を追って、ついにロッカーに背を付けるように追い詰める。 「部長?」 孝一を腕とロッカーの間に閉じ込めて見つめる正宗に、彼は戸惑う視線を返した。 「冷たい」 正宗が彼の濡れた胸に掌を当てると、びくっその肩が跳ねる。 「水被ったんだから当たり前でしょう。退いてください」 「着替えはあるのか?」 「こんなに暑いんだから、水被って気持ち良いくらいですよ。良いから離れてください」 孝一は、胸に触れる正宗の手を引き剥がした。 濡れた布越しに彼の体温が伝わってくるのを感じて、居た堪れなかった。触れられたら嬉しいし、いっそもっと触れて欲しいと思うのに、辛い。何をされても苦しいほどに切なくなる。 「俺余分にシャツあるから貸そうか」 「だから、大丈夫ですって」 「俺が嫌だ」 正宗はごくりと生唾を飲み込んだ。 孝一の体の線に沿って張り付く布を、その向こうに透けて見える肌の色を見て、その裾に手を掛ける。 「ちょ、着替え位自分でできます! あんた、どこまで俺を子ども扱いしたいんだよ!」 「子ども扱いじゃない」 抵抗する彼の腕を掴んで頭の上に縫い付ける。彼が背にするロッカーが、鈍い悲鳴を上げた。 「嫌なら、逃げろ」 「あんたが、腕、押さえてるから……」 「この前は男三人相手に格闘してただろ」 シャツの上から、彼の脇から腰に掛けての線をなぞるように撫でる。 「スケスケじゃん。これで帰ろうとか言ってんのか?」 最近は、何をしても抵抗らしい抵抗をしてこない彼に、何処までがセーフなのか分からなくなっていた。今回もろくな抵抗を見せずに、ただ俯いて切なげに眉を震わせる彼に、歯止めが効かなくなる。 白いシャツに浮き出た、レーズンのような突起に手を掛ける。予想通り、コリッとくすぐったいような感触がした。 「ぁ……っ」 彼の小さく上げた甘い声に腰が疼く。 「ぁ、ん……っ、部長……っ、だめ……っ」 シャツを捲って生のそこに触れれば、震える声で制止されるが、そんな弱い抵抗では興奮を煽るだけだ。 口でシャツのボタンを外すと、肌蹴た襟からくっきり色の違う日焼け痕が覗く。その境目に吸い付いた。 「は、ぁ……っん! ぶちょう……っ」 小さなそれを指先で摘まんでくりくり捏ねれば、彼が大きく喉を逸らす。その浮き出た喉仏にも唇を落とした。 「んぁっ、あ……っ! だめ……」 薄く涙の幕を張る瞳に口づけて、耳を咥える。 「ひぁあ……っ!?」 途端高く上がった声に、ぞくりと正宗の背に這い上がるものがあった。 彼を抑える手の位置を彼の背中に変えて、足を絡めて体を押し付け、全身で捕まえる。そうして完全に逃げられなくなった彼の耳をそのまま舐めしゃぶった。 「みみ、みみ……っ! やぁ……っ」 彼の腕を右手で押さえて、逃げる彼の頭を左手で固定する。 小さな穴に舌を入れて、溝をなぞるように這わせる。軟骨を食んで、甘噛んで、耳たぶをピアスごと吸った。 「あ、あ、いぁあ……っ、やめて、ゆるして……っ」 とうとう彼の瞳から涙が零れ落ちた。びくびく震えながら泣いて善がる彼が、可愛そうで可愛くて、気がおかしくなりそうだ。 「お前が可愛いんだから可愛い子とじゃ、だめだろ。俺にしろよ……」 濡れた耳孔に息を吹き込みながら囁くと、彼は濡れた瞳を正宗に向けた。 「ぶ、ちょう……、俺のこと、好きなんすか……?」 「今さらだろう」 その言葉に孝一は瞳を瞬く。 (部長が俺のことを好き? 本当に?) ふわっと意識が宙に浮く気がして、すぐに頭を振って否定した。 「うそだ……」 「うそじゃない」 「うそですよ……」 「なんで」 詰め寄る正宗から、両手で顔を覆って逃げる。 「だって、俺、男ですよ? 男は男を好きにならないんですよ?」 「お前も遊馬も山瀬も男が好きだろうが」 「部長は、俺を好きにならないですよ」 「だから、なんで」 「だって……」 ――だって、ずっと、ありえないと思っていた。 遊馬と千尋が付きあっていると知ってからも、同性を好きになった自分は異端で、下げずまれる存在なのだという気持ちを拭えなかった。この気持ちが報われることは絶対に無いのだと、そう思っていた。 「俺の、勘違いじゃ……」 「ない」 孝一は顔から手を離して、正宗を見つめた。 「もう良いか?」 正宗はすっかり大人しくなった彼のシャツに、再び手を侵入させる。 「今、手掴んでないけど」 「今、抵抗したらっ、シャツ破けるでしょう?」 「じゃあ、また捕まえないとな」 そう言って笑って、首に掛けていたタオルで彼の腕を縛った。 「ちょ、何するんすか!?」 「だって、こうしないと何もできない」 「ひ、ぃ……っ!?」 シャツを脱がされて、乳首に舌を這わされて、孝一の喉の奥に乾いた悲鳴が込み上げる。 タオルでの拘束なんて、容易く逃げられる形だけのものだ。しかし、拘束されるという行為自体が、あの記憶を呼び覚ました。無理やり回された屈辱的な記憶を…… 「い、や……っ、いや、嫌だ、嫌です……っ!!」 孝一は、思い出したくもないのに、意思に関係なくフラッシュバックする記憶の断面に混乱し、恐怖した。 「へ、うそ!?」 顔を引き攣らせてがくがく震える孝一を見て、正宗は慌ててタオルの拘束を解いた。 「こ、こわい……部長、怖い……」 手を伸ばして縋ってくる彼をしっかり抱きしめる。背中に回った震える手が、正宗のシャツをぎゅっと握った。 「ごめんな、もう怖いことないからな」 「優しくしてくれないとヤです……っ」 正宗は、安心させるように優しく彼の頭を撫でる。彼は嗚咽交じりの声で、甘えるように言った。 「無理やりは、ヤです……っ、顔、見えないと、ヤです……っ、部長じゃなきゃ、ヤです……っ」 しかし、甘えられるほどに、優しくできる気がしなくなった。 「よっしゃ! まだ開いてた!」 李都が部室に駆け込むと、正宗がロッカーの前に立ち、半裸の孝一が彼に背を向けて椅子に座り、涙を拭っていた。 「み、宮本! ついにヤっちまったのか!?」 これまでの、正宗の孝一に対する異常なまでの愛情表現を思って、李都は彼に非難の目を向ける。 「目にゴミが入っただけっす。服は濡れたから、今部長に借りるところです」 しかし、返って来たのは、孝一の冷静な声だった。 「どうかしたか?」 正宗にまで落ち着いた口調で話し掛けられて、勝手に取り乱した自分が馬鹿みたいだな、と思う。 「いや、明日英語当たるのに辞書忘れて……」 「部室にそんなもの置いておくなよ」 「教室のロッカーがもう一杯なんだよ。じゃあ、俺はお先に」 「おう、気を付けて帰れよ」 「お疲れ様です」 李都はいつもと変わらない二人の声に見送られて、部室を後にした。 (あっぶねぇぇぇええ!! あいつ来なかったらあのままやっちまうところだった!!) 正宗は頭を抱えながらも自身のロッカーからTシャツを出し、孝一に被せた。 「げ、これキスマーク丸見えだ」 しかし彼より十センチ近く身長の高い正宗のTシャツは、彼にはぶかぶかで、大きく開いた襟からキスマークが丸見えだった。 「……何してんですか」 「いや、日焼けの境界がその……そそって……」 「境界って、俺のシャツでも見えるじゃないっすか」 「……言い訳のしようもございませんで……」 孝一は視線を逸らす正宗の肩に手を置いて、首筋に吸い付いた。 「おあいこ」 「て、おま!? これ明日どうすんだよ!?」 そんなことをされれば嬉しいやら困るやらで、正宗は顔を真っ赤にして抗議する。 「後輩にふざけて付けられたとでも言えば良いんじゃないっすか?」 慌てる彼が可愛くて、孝一はにやにや笑ってそう言った。 「源氏。お前、好きなタイプは可愛い人だって、言ったよな?」 空が赤みを帯びだした帰り道、正宗はずっと気になっていたことを口に出した。 「今でもそうっすよ」 「俺で良いの?」 「付き合うなんて言ってませんけど」 「え、そういう流れじゃなかった!?」 「そうっすね。俺のこと構っているうちに俺のこと大好きになっちゃって、俺の手洗いしたユニをおかずにオナるような変態に襲われましたけど、そういう流れっすかね」 彼の言葉に、正宗の顔にじわじわ熱が昇ってくる。 「ななななななな」 「え、マジで?」 「カマかけたのかよ!?」 「部長、可愛いですね」 「はああ!?」 「可愛いって、見た目だけじゃないんすよ」 「え」 「ほんと、うざい。鬱陶しい。……俺の心臓、すごく煩い……」 孝一は胸をぎゅっと掴んで言った。正宗の貸したTシャツのその部分に皺が寄る。 「え、ちょっと!?」 彼の思わぬ告白に、正宗の胸がきゅぅっと悲鳴を上げた。 (俺、お前の「うざい」発言をこれからどんな顔して受け止めれば良いんだよ……!? じゃなくて!) 「源氏!」 「うざい」 「好きだ。つき合ってくれ」 「はい」 正宗は素直じゃない彼を力いっぱい抱き締める。胸が痛い、痛いのが嬉しい、加減ができない。 「部長、苦しい」 「我慢して」 「うざい」 「それも、可愛いって意味?」 「……好きって意味っすわ」 「げ、源氏~~っ!! お前、俺を萌え殺す気か!?」 胸が苦しすぎて、締め付けられすぎて、頭まで痛くなってきた。 「部長」 「まだ何か!?」 何ギレか分からないキレ方をする正宗に、孝一が追い打ちをかける。 彼は、きゅっと正宗の裾を引いて、濡れた瞳向けて言った。 「部長、俺、まだ口にキス貰ってない……」 (ああ、俺死んだ。今死ぬんだ……) 正宗はくらくらする頭を何とか持ち堪えて、可愛くねだる彼の唇に、そっと自分のそれを重ねた。 「正宗君、首どうしたの?」 「虫刺されを掻き壊した」 「源氏、肩どうしたの?」 「虫刺され掻き壊した」 結局、翌日キスマークに絆創膏を貼って登校した二人は、千尋と遊馬から同じ質問をされて、同じように答えた。
あんたなら良いって言った
正宗は考えていた。自分は孝一に酷い事ばかりしてはいないかと。 彼がトラウマを持っているだなんて思わなかったから、転入して来たばかりの彼を、無遠慮に構いに行った。彼が嫌がっても、ただの人見知りだろうと無視をして――慣れないうちは本当に怯えていたのだろうと思うと過去の自分を殴りたくなる。 部のごたごたでも、解決するつもりで引っ掻き回した。彼がユニフォームのことに気付いて、しかもそのせいで俺を敵だと思っていたのに――俺は気が付かないで、学校で追い回して家まで訪ねて、相当怖い思いをさせただろう。 彼が部に戻って来てからは、セクハラまがいの接触をし続けた。彼が拒まないからといっても、自分はもっと理性を持つべきだったと思う。俺のことを好きだったなら、尚更辛かっただろう。 俺は彼に、優しくしようとしていた筈なのに、思い返せば、軽率で無神経なことばかりをしている。 (――これじゃ、だめだ) 彼に、これ以上酷いことをするわけにはいかない。今度こそ「大切にしたい、守ってやりたい、幸せにしたい」と強く思った。 ****** 「源氏」 昼休み、孝一は迎えに来た正宗の元に急いで向かった。 昨日、彼と恋人という関係になった。もう彼に抱きつかれても、胸の高鳴りに罪悪感を覚えなくても良い。孝一はにやけそうになる口元を引き結んだ。しかし、 ――抱きついてこない? 「?」 「行くぞ」 「? はい」 昨日まで、孝一が来るとすぐに抱きしめて、匂いまで嗅いできた彼が、さっさと背を向けて歩き出してしまった。 「――それでその時王司が――」 部室についてからも、彼は孝一と微妙な距離をとり続けた。椅子の距離が遠い。いつも食べながらでもちょっかいを出してくるのに、今日は食べ終わってからも一切触れてこない。 「と、もう時間か。源氏、戻るぞ」 壁掛けの時計を見て彼が言った。 もう時間? 今までは予鈴が鳴っても自分を離さないで、「もうちょっと……」などと言っていた筈なのに? 「いつも、こんな早くに戻ろうとか言わないじゃないっすか」 「あー……、それな……」 そう言うと、彼は気まず気に鼻頭を掻いた。 (やっぱりおかしい) 今朝のことを思いだす。朝練の休憩時間に、いつのもの様に孝一を迎えに来た彼は、やはり孝一に触れようとしなかった。その時は、自分が早くチームに馴染むように、構いすぎないようにしてくれているのだと思ったのだが…… 放課後。孝一は千尋を迎えに来た遊馬と入れ違いに部室に戻る。この中に入るのも、少し慣れてきた。孝一は正宗の近くの椅子に座り、着替え途中の背中を見つめる。 「げーんじ」 「はい」 「そんなに見つめられると、穴開く」 「嫌なら早く済ませて構って下さい」 苦笑いを浮かべる彼に軽口をたたくと、こつんと頭を叩かれた。でもそれだけ。 (その苦笑いの意味は何ですか?) 「じゃーな宮本、また来週。つっても明後日だけど」 「おう。気を付けて帰れよ」 正宗は部誌を書く片手間に最後の部員を見送った。孝一は机に伏して、彼の手元を見つめる。 「部長」 「んー?」 「前みたいに、しないんすか?」 「あ、ああ。あれな……。実は書きにくくて」 「……そうっすか」 視線を彷徨わせる彼に、どうして? と思う。 彼と恋人になった筈だった。それなのに、何故前よりも距離をとるのか。やっぱり違ったとか、昨日の告白は間違いだったとか、そういうことなのだろうか。自分を変に気遣って、言い出せないでいるのだろうか。 それなら、そんな気遣いはせずに、きっぱり突き放してほしいと思う。 「部長」 「ん?」 「……部長……」 「……そんな風に、呼ぶなよ……」 なんで? どうして? どうしてそんな風に突き放すんですか? 突き放してほしいと思った筈だったけど、やっぱり無理だ。 言おうとした言葉はぐっと喉につかえて、息苦しさだけが残った。 帰りは、精神的にも、物理的にも、彼の隣を歩くのを辛く感じた。 なんでそんなに距離を置くんですか? なんでそんなに速足なんですか? なんで――こっちを向いてくれないんですか……? 「なんで」が積み重なって、胸が気持悪くなる。訊きたいことだらけなのに、口はますます重くなった。 (昨日はあんなに幸せだったのに……) 「あっ!」 孝一は、歩き慣れた筈の道で、小さな段差に躓いた。咄嗟に彼に伸ばした腕は――避けられた。 「げ、源氏!? 大丈夫か? こんなところで転ぶなんて、馬鹿だなぁ」 「触んな!」 差し出された手を跳ね除ける。こんなもの、今更だ。 「もう、充分です。だから、もう……俺に構わないでください……!」 ****** ぼふっ 枕に顔を埋めると、孝一は甘苦い吐息を漏らした。 「部長……」 ベッドにうつ伏せで寝転んで、ケータイで彼の連絡先を開く。俺はこんな、名前を見るだけでも苦しいのに…… (部長はもう、俺のこと好きじゃなくなったんですか……?) いや、違う。やっぱり最初から勘違いだったんだ。あの人の俺に対する想いは親が子に向けるようなそれで、恋愛感情なんかじゃなかったんだ。きっと、俺があの人のことを好きだと思い続けたから、引っ張られてしまっただけなんだ。良かったじゃないか、あの人がゲイにならなくて、俺みたいにならなくて。でも…… 「そんなの、酷い……」 間違えられて、馬鹿みたいに浮かれてしまった俺の気持ちは、いったいどうすれば良いんですか…… だから、やっぱり信じなければ良かったんだ。最初からありえないと思っていた筈なのに、自分が馬鹿すぎて嫌になる。 「馬鹿だ、馬鹿ばっかりだ……」 また、ピアスでも開けようかな、と左耳を摘まんでみた。 布団に横なった正宗は、暗闇に右手を翳した。この手を拒まれた。泣きそうな顔だった。 (結局また、あいつに辛い思いをさせた) 悔しい。でも、彼を追いかけることは出来なかった。 彼を傷つけないように、悲しませないように接するつもりだった。でも、自分は、自分で思っていた以上に彼を好き過ぎて、少しのことでたかが外れてしまいそうで怖くなった。 彼の気持ちを知って、恋人という関係になって、許されることが増えたのに、許されてしまうからこそ、触れることが怖くなった。 いつも平気でできていたことが出来ない。抱きしめられない、触れられない。一度触れてしまったら、どんなに酷い事でもしてしまいそうだった。 「だってあいつ、可愛いんだもん……」 両手で額を覆う。窓を開けても運ばれてくるのは熱気ばかりで、彼への熱は上がる一方だ。もう、全身が熱かった。 ~♪ 着信音に目を覚ます。カーテンを引き忘れた窓の向こうは真っ暗で、枕元の目覚ましは真夜中を指していた。 「こんな時間に誰だよ……」 正宗は鳴り続けるケータイに渋々手を伸ばし、表示された名前を見て慌てて身を起こした。 「源氏!? どうしたんだ? こんな時間に」 しかし、聞こえてくるのは穏やかな息遣いだけ。 「源氏?」 これは、寝てるのか? 寝ている間に間違えて繋がる状況って…… 思い当たって、かっと顔に血が昇る。 (あいつ、可愛すぎるだろう……っ!?) 正宗はケータイを耳に当てたまま下半身に手を伸ばした。 寝息に興奮する。彼が近くにいるようで、触れたくて、抱きしめたくて、 「源氏……っ」 切なさに、睫毛が震える。視界が滲む。彼の名前を口にすると、いっそう愛しさが募った。 本当は、ずっと彼に触れたかった。彼を思えば、自分の熱はこんなにも容易く上り詰める。 ぁ……っ、もう……っ! 『――ぶちょう?』 「!?」 『え、』 あ、あ、だめだ……っ 「~~……っ!!」 彼に呼ばれて、いけないと思うのに、呼ばれたからこそだめだった。手の中に放たれた熱を感じて、枕に顔を埋める。 (罪、悪、感……!) 正宗は荒い息遣いがばれないように、ケータイを離して数回大きく深呼吸した。 「あ、ああ? 源氏? なんだ、着信あったからとったのに、お前寝てるみたいだから。どうしようかな、って思ってたところだ」 平静を装うとするが、焦って早口になった。 『え、あ。すみません。こんな時間に……』 「寝ぼけて掛けるほど俺の声が聞きたかったのか?」 はは、と乾いた笑いを漏らすと、向こうで孝一が息を呑んだのが分かった。 『……はい』 あ、泣きそうな声だ。 「源氏、好きだ」 『は!?』 多分彼は頬を染めて戸惑っている。 「好きだよ、本当に。だから、泣くな」 『うそ……』 「うそじゃない。好きだ。可愛い、今すぐ抱きしめたい、撫でまわしたい、キスしたい。……好きだ」 ――好きだ 正宗の熱で掠れた声が、孝一の耳を焼いた。 明らかな熱を含んだ声音で、体に染み込ませるように何度もささやかれて、嬉しいを通り越して戸惑う。だって、これではまるで睦言ではないか。 「部長、なんか……声、変……っ」 煽られた孝一の声にも熱が籠る。 本当、馬鹿なんじゃないかと思う。寝る前まで、あんなに落ち込んでいた筈なのに、彼の一言でこんなにころっと気持ちが変わってしまうだなんて。 「もうヤダ、なんであんたなんか好きになったのか、分かんない……」 『それでも好きだ』 「……だから、声止めろ、エロい……」 耳元で響く、低く掠れた声に、腰が疼いた。そんな声で好きだなんて言わないでほしい。 『悪い、でも、お前のこと考えると……、ヤバい』 「……っ、だったら触ってくださいよ!」 『源氏?』 「なんで今日、全然触ってくれなかったんすか!? せっかく、やっと両想いになれたと思ったのに……っ」 再び泣きそうな声が出てしまい、彼が慌てるのが分かった。 『ご、ごめんな! お前が恋人なんだって思ったら、もう歯止め効かなくなりそうで!』 「煩い、馬鹿!!」 『馬鹿!?』 「馬鹿! 馬鹿です! 部長は本当に馬鹿です!」 孝一は今日のことを振り返って、目を伏せる。 「俺、部長になら良いって言いました。部長じゃないと嫌だって言いました。部長になら何されても良いって、むしろされたいって思って」 考えるより先にぽろぽろ言葉が零れていく。 「俺、やっぱり部長は、本当は俺のこと好きじゃなかったんだって、思った」 『なっ』 「俺に引きずられただけなんじゃないかって」 『そんなわけないだろ!?』 「怒鳴んな、理不尽! そんなん、知らんもん……俺、あんたのこと全然分からないし、あんたも俺のこと全然分かってない……」 孝一は痛みに耐えるようにぐっと拳を握る。 胸に閊えていたものを吐き出す度に、呼吸が楽になっていくのを感じて、自分はこんなに苦しかったのか、と改めて思った。 「急に避けられたら、そんなん、辛いし、悲しいし……俺のことなんて好きじゃないって言われてるみたいだった」 『違う!』 強く否定されて、胸が甘く痺れる。 「早く、俺がどんなけあんたのこと好きなのか、分ってください。……暴走しても良いです。俺のことちゃんと好きになって……俺が納得するまで好きだって言って……」 『源氏、好きだよ』 「……っ、足りない……」 苦しい。欲しい言葉を貰っているのに、もっともっとと際限なしに彼を求めて全部が苦しい。 『好き、大好き。好きすぎて変になる。胸が痛くて、お前のこと抱きしめたくて堪んない。触りたい』 正宗が息を詰まらせて言葉を紡ぐのを聞いて、彼も同じなんだと思うと、嬉しくて、いっそう欲しくなる。 「俺だって、部長に触られたい、触りたい、キスしたい。こんな電話越しじゃなくて、直接……」 孝一は、彼の声を聞きながらパジャマの裾をたくし上げ、自らの体に手を這わせた。 「部長の体温感じたい。大きな硬い手が俺の体を這いまわるの、ゾクゾクする……」 『え、ちょ!?』 正宗が戸惑った声を上げる。でも止まらない。孝一だって彼と同じだ。 「部長が俺に触って息が荒くなっていくの。吐息が、俺の首筋に当たって、あんたの匂いが強くなって……」 『待って源氏、俺寝られなくなる!』 「耳元で甘い声で名前呼ばれるの、ほんと、ヤバくて……頭溶けそうで……」 孝一は、横を向いて枕と耳の間にケータイを固定すると、上半身を弄っていた手を、ウェストのゴムに潜らせ、太股をたどる。 「キスされるの、気持ち良くて……、柔らかい唇押し付けられるの、気持ち良いし。唇食まれて、部長の厚くて柔らかい舌が、俺の口内で動いて……っ」 もう片方の手を唇に当て、人差し指で歯列を撫でた。 『そ、そんな濃厚なのしたことないだろ!?』 「吸われた舌が痺れて、俺も吸って、唾液が甘くて……っ」 人差し指と中指を口内に入れて上顎を撫でる。 「ん、く……っ」 子犬が甘えるような声が漏れる。 「……したい」 正宗が息を呑むのを感じて、くちゅっと水音をさせて指を抜いた。 「部長と、いっぱい、したい……」 『~~っ、おまえ……!』 彼が自分に振り回されているのが分かって、ふっと笑いが漏れる。 自分がいっぱいいっぱいなのだから、彼もいっぱいいっぱいになってもらわないと胸がすかないというものだ。 「明日、父さん仕事でいません」 『……何時?』 「朝7時には家を出ます」 『……分かった。明日、覚悟しとけよ』 彼の、熱を持って低く響くその声に、孝一の体が疼いた。 「早く来てください。部長がいっぱい欲しい……」 『これ以上煽るな! そろそろ俺の血管切れんぞ!? てか、お前ちょっと面白がってるだろう!?』 「はい」 『おい』 咎める彼に声を出して笑う。 「うそです。全部本気です」 早く会いたい。声だけじゃなくて、きっとギラギラと物騒に光っているだろう、その目で見つめられたい。 「……部長、お休みさい」 『……おう、お休み』 二人は熱を持て余したまま、悶々と朝を待った。
優しさを装った鬼畜
「どうぞ」 チャイムを鳴らして、すぐに顔を見せてくれた恋人は、冷静を装いつつも、瞳に熱を宿していた。 「お邪魔します」 まあ、熱を持っているのは、彼だけではないが。 正宗が彼の家に上がるのは二回目だ。あの時は、部屋の惨状に肝を冷やしたが、今日は彼の家らしく整然と片付いている。彼について部屋まで向かう。お互い、ぎくしゃくと拙い足取りになった。 「適当に寛いでて下さ……っ!?」 孝一は正宗を部屋に通すと、麦茶でも持ってこようかと背を向けた。しかし、すぐに後ろから抱きしめられ、引き止められる。 「ごめん源氏、待てない」 正宗の腕が体に絡みつく。一回りも大きい彼に丸ごと包まれる。 (やっと、もらえた) 孝一も振り返って、彼に抱きついた。 「……俺も」 正宗の首に手を回して見上げれば、熱い視線が絡み合う。どちらともなく唇を合わせた。薄く見えたそこは、思いのほか柔らかい。感触を確かめるように数回触れ合わせ、食む。柔らかい、熱い、甘い。 彼の厚い舌が口内に侵入してくる。ほら、思った通りの感触、思った以上の幸せ。 「ふ、ぅ……っ」 上顎を擦られて、くすぐったさに思わず後ずさると、逃げられないように頭を押さえられて、口内をぐちゃぐちゃに掻きまわされる。 孝一は溜まる唾液を彼の舌ごと吸った。 (気持ち良い、美味しい) 膝から力が抜けるころに、解放される。正宗は、二人の唾液で濡れた孝一の唇を舐めると、キスで蕩けた彼を早速ベッドに組み敷いた。 孝一の部屋着のハーフパンツから覗く膝にかさぶたができている。 「膝、昨日のか」 正宗が労わるように傷を撫でると、孝一はその甘痒い感覚に小さく膝を震わせた。 「ぶ、部長が……、俺を避けるから……っ、俺、手、伸ばしたのに……っ」 「ごめんな、痛かったな?」 「そんなん痛くありません!」 孝一は膝を撫でる彼の手をとると、自身の胸に押し付ける。 「痛いのは、こっちです……!」 「ん、ごめん」 正宗は、布を介して孝一の鼓動を感じた。すごく煩い、可愛い。 そのままそこを撫でて、手のひらの中心にある実を転がした。小さな実の感触がくすぐったい。 「……ん……っ」 孝一が小さく声をあげる。 「乳首触って良い?」 「訊くな!」 「ん。でも、優しくしたいから」 正宗はシャツの上からそっとそこを撫でた。首や肩を啄みながら、胸全体を緩く愛撫すると、彼はじれったそうに身じろいだ。 「もっと、ちゃんと触ってください……っ」 「ちゃんとってどんな?」 正宗は羞恥に声を震わせる彼を、楽しげに促した。 (あ、同じだ) 孝一は、過去に遭ったことを思い出して、はっとする。 でも違う。彼の行動はあの時のことに重なるのに、怖くない。彼の目が優しいから? 俺のことを好きでいてくれるから? 俺が彼を好きだから? 「こう?」 「く……っ、ぅん……っ」 布越しに、胸の先端を撫でるように擦られて、甘い声が漏れる。 正宗は羞恥と快感に悶える孝一を見て、ごちそうを目の前にしたような餓えを感じた。 (可愛い、可愛い……もっと苛めたい……) 「気持ち良いか?」 「う、るさい」 「気持ち良くない? やめるか?」 手を離そうとすると、彼はいやいやと首をふる。 「いいから、やめないで……っ」 正宗は言われた通りに、それまでと同じようにそこを弄った。 「あ、ひ……っ、……もっ、と……っ」 「もっと何?」 意地悪く訊けば、彼は羞恥で歯を食いしばる。その瞳の奥に期待と甘えが見え隠れして、正宗の嗜虐心と庇護欲を同時に揺さぶった。 「~~っ!!……もっと強く、擦って……っ」 「こうか?」 「ぁん!」 高く上がる声が可愛い、全部可愛い。 「気持ち良いか?」 「ぁん、ん、ぁ……っ、訊くなぁ……!」 「気持ちよくない? やめるか?」 今自分はすごく危ない表情をしているに違いない。 「~~っ、きもちいぃです~ッ……!」 「舐めて良い?」 「ぅ、ふ……っ、だから、きか、ないで……っ」 正宗は孝一のシャツを捲り上げると、赤く熟れたそこを、舌で押しつぶして、転がした。ちゅぅっと強く吸えば彼は背を逸らしてびくびく震える。 「気持ち良いか?」 孝一がこくこく頷くのを確認すると、弱い力でそこを啄んだ。 「ぁ、あ……ッ!……もっと……っ」 「もっと?」 「つよく……っ」 言われるがままに数回強く吸う。彼が高い声を上げると、また徐々に力を抜いて焦らした。 「やぁっ、もっと……っ」 「もっと?」 「もっと、ひどくしてください……ッ」 ついに泣きが入った彼のそこに噛みついた。 「ひ、ぁア……ッ!!」 強い力で押しつぶして、ぐにぐに転がして、軽く歯を立てる。もう片方も指でつまんで苛めれば、彼は首を振って身悶えた。 「ぶ、ちょう……っ! ひ、もちい……っ、へんになる……っ、やぁあ……ッ!」 ズボンに手を入れて、下に手を添える。彼のそこはすでに張りつめてぐじゅぐじゅに濡れていた。 「あ、だめ、した……っ!」 「上ばっかりじゃ可哀そうだろ。こんなにしてるのに」 「ぅんン……ッ!!」 言いながら柔く揉まれて、孝一は瞼を震わせて甘い吐息を漏らした。 「気持ち良いか?」 孝一は喉を震わせながらこくんと頷く。 正宗の手が自分を触っていると言うだけで興奮するのに、それが快感を与えるために動いているのだから、気持ちが良くないわけがない。 「ひ、もちい……っ、きもひぃですぅ……ッ」 素直に答える孝一に、正宗はご褒美だと囁いて、袋ごと全体を揉んだ。 「んんんっ……!? あ、ぃ……ッ、ダメ、くる……っ!!」 「……もっとだろ?」 正宗はシーツを蹴って快感に耐える彼を猟奇的に見つめた。片手で袋を揉んで、もう片手で竿を抜く。ぐにぐにと亀頭を捏ねれば、彼は大きく顎を反らした。 「あ、く……ッ、ぁ、あ~~ッ!!」 絶頂を迎えるのに構わず先端を強く擦ると、彼は行き過ぎた快感に悲鳴をあげながら果てた。肩で息をする彼に、見せつけるように手に付いた精液を舐める。 「そ、んなもの、舐めんな……」 「勿体ねぇ」 正宗は、彼の言葉を無視して彼の半分脱げたズボンとパンツを引き下ろし、そこに顔を埋めた。 「ちょ、部長!? そんなことしなくて良い!」 「したいんだけど。舐めたらだめか?」 慌てた孝一が制止すれば、自分の股間というとんでもない位置から正宗が見つめてきた。 「ダメか?」 正宗が声を出す度に、吐息がそこにかかる。熱を出したばかりのそこがまた反応し始めた。 「……俺も、舐めたいです」 与えられるばかりでは嫌だった。それに、孝一だって彼に触りたい。 正宗は、孝一の手を引き、体勢を自身と入れ替わらせて今度は自分がベッドに仰向けに寝る。 「じゃあ、俺の顔跨いで、俺のしゃぶって」 「ま、跨ぐって……っ」 「できるだろ?」 孝一は正宗の挑発的な瞳に促されて、恐る恐る寝転がる彼の口元に自分のナニが当たるように跨いて、彼の体に覆いかぶさる。とんでもない羞恥に、頭がどうにかしそうだった。 「ほら、腰浮かせてないでちゃんと俺の顔に押し付けろよ」 「そ、んな……っ」 正宗に内股を撫でて促されて、孝一はぎゅっと目を瞑って腰を下ろした。股間で彼の輪郭を感じる。 (俺、部長に何てことしてんだよ……) 「ぶちょ、もう……っ、許して……っ」 正宗は、情けない声で哀願する彼のそこに手を添え、口内に導いた。 「っ、ぁ、」 「ほぁ、おはへも」 「や、咥えたまましゃべらないで……っ」 孝一は目の前にそそり立つ正宗の熱に手を伸ばす。大きくて口に入りきらなくて、側面を舐めながら、先を擦った。 正宗は子犬のように鳴きながら奉仕する孝一のソコを舐めつつ尻を撫でて、蕾を広げる。 「ぁっ、そこっ……」 広げてから、そこがすでに濡れていることに気が付いた。 「お前、もしかして自分でした?」 「昨日あれから、部長のこと考えて、したから……っ」 つまり、こいつはここをこんなにした状態で父親を送り出し、俺を迎え入れたということか。 正宗は予想外の彼の痴態に喉を鳴らした。 「どこが気持ち良いか教えて」 訊きながら指を入れると、すでに解れているそこが柔らく包み込んできた。 「部長の指、入って……っ」 「俺の指だといい?」 骨ばった、孝一のものより太く長いそれが、内壁を擦る。 「あ、ぁ……っ部長、部長……っ」 孝一は奉仕する余裕もなく、彼の腰にしがみついた。 「ひぁっ!?」 正宗の指がある一点に触れて、高い声を上げる。 「なんだ。お前が言わないから自分で見つけちゃったじゃないか」 「あ、あ……っ!? うそ、待って……っ!」 正宗は見つけたそこを重点的に嬲った。 「そこだめぇ……っ! やだ、まって……ッ!」 「やだ」、「まって」は、「もっと」とねだっているようにしか聞こえない。指を増やして、見つけたしこりを挟んで、撫でて、優しく揉んで可愛がる。 「ひ、ぎ、いやぁ……っ! やめて、ぶちょう、ぶちょうのが……っ」 すぐにでも意識が飛んでしまいそうな快感の中、孝一は正宗のソコを握った。 「ぶちょうのいれてくださいぃ……っ」 「……へ?」 彼の言葉に正宗が指の動きを止める。 「これ、ほしい……」 孝一は汗と涙と正宗の先走りでどろどろになった顔を向けて、息絶え絶えに、正宗の先っぽをくちゅっと擦ってねだる。 正宗は彼の下から這い出て、彼を再びベッドに沈めると、すぐにそこに自身を挿入した。 「部長の……、入ってくる……っ」 熱く滾ったそれが入ってくる感触に孝一の心が震える。 「……動くぞ」 彼を気遣う余裕が無い。正宗は欲望のままに腰を振った。 「ぁ、あ、ゴリゴリ、いってぅ……っ」 それでも、気持ち良さそうにしがみついてくる孝一を、どうにか喜ばせようと、先ほど見つけたしこりに当たるように腰を打ち付ける。 「……っ、気持ち良い、か?」 「ぃい……っ! ぶちょうの、おっきくて、おれの中いっぱいになってぅ……っ!」 孝一は彼の動きに合わせて腰を振り、中を絞った。 「う、っく……っ」 正宗が艶のある声を上げれば嬉しくなる。孝一は左耳を食まれて、一層高い声を上げて乱れた。 「んぁあ、あんっ! ゃ、もう……っ!」 気持ちよくて、幸せで脳が蕩ける。 「ぶちょう、キス、キスくださ……っ! ぅんっ!」 ねだればすぐに舌を絡め取られる。 「ぅン~~ッッ!!」 絶頂の吐息は二人の口内に飲み込まれた。 ****** 孝一と正宗は、お互いに背を向けて横になる。 「……あんた、ド変態だろ……」 「……お前に対してだけだから……」 叫びすぎて掠れてしまった声で言う孝一に、正宗は気まずげに答えた。 正宗自身、酷かったと思う。箍が外れるとは言ったが、ああ外れるとは思わなかった。優しくしたいとか言って思い切り苛めてるじゃないか。 「……でも、お前もなんか、淫乱というか……」 「……あんたに対してだけです……」 孝一もバツが悪く答えた。 本当はもっと余裕をもって彼を誘惑するつもりだったのに、彼があんなに豹変するとは思わなかったのだ。しかも自分はそれに喜ぶとか、ありえない。 「部長の変態、苛めっこ、ドS」 「やめろ、興奮してくる」 「でも部長すごい甘やかすから、俺、嬉しくなっちゃって……こっちが変態みたいで、もう、やだ……」 孝一は抱えた枕をぎゅっと抱き締めた。 「俺がもうやだ……」 枕の無い正宗は、やり場のない衝動に悶えて、両手で顔を覆う。 「……部長」 「何!?」 「……名前呼んでください」 「源氏?」 「違くて」 正宗は、寝返りを打って彼に体を向けた。 「こっち向いて」 背中に向かって言うが、彼は動こうとしない。正宗は覆いかぶさるように彼を抱き込み、耳元で囁いた。 「孝一」 ぶあぁっ、と孝一の頬が赤く染まる。 「孝一も俺のこと、名前で呼んでみ?」 そう言われて、孝一は羞恥に目を伏せて、まごつきながら応えた。 「ま、正宗さん……」 「おう」 孝一は、枕を放して仰向けになって、彼と向かい合う。 「……正宗さん」 「今度はどうした!?」 孝一を押し倒している様な体勢になってしまい、正宗の声が無駄に大きくなった。そんな正宗に孝一は両手を伸ばす。 「ぎゅってして……?」 この後孝一が彼に抱きつぶされたのは自業自得だ。
名前呼び
「源氏!」 愛しい人の声で、呼ばれ慣れた名前で呼ばれる。 夏休みを目前に控えて、陽射しはより強いものになった。ずっと太陽を背にして洗濯をしていたものだから、振り返ると、眩しい光で視界が白く染まる。光の中に立つ彼は、シルエットしか見えない。 「源氏」? てっきり、名前呼びになったと思っていたのだが、彼は忘れてしまったのだろうか。 「正」 「ストップ!! 名前呼びやっぱりなし!!」 正宗さん、と呼ぼうとして遮られる。 「何でっすか?」 (呼びたいのに) 心の中でも彼の名前を紡げば幸せな気持ちになれる。独り言でも声に出せばトクンと胸が高鳴る。実際に呼べば、それだけできゅんと胸が締め付けられて、応えられれば触れずにはいられなくなるほど愛しさが溢れるのに。 正宗さんは違うんですか? 「いや……それが……」 正宗は何故か若干頬を染めて目を泳がせた。 「お前の名前呼んでも、お前に名前呼ばれてもその……勃つ……」 孝一は「は?」と目を瞬いた。 (この人は、まったく……) 普通ならこんなことを言われたら気持ち悪いと思うのだろう。しかし、ベクトルは違えど、この人が自分のことを自分と同じように好きなことが分かるから。 孝一は緩みそうになる頬を押さえて、いつもの不機嫌そうな顔で感情を隠した。 「……きっしょ!」 本当に気持ち悪い。正宗さんも、それに喜んでいる自分も。 「源氏ぃ……」 なんて声出すんですか、うっかり可愛いとか思うじゃないですか。まあ、いつものことですけど。普段かっこいいのにずるいじゃないですか。 「分かりましたよ、今まで通り呼べば良いんでしょ? 部長」 孝一はそう言いながら、正面から彼に抱きついた。 いつも声を掛けたらすぐに抱きしめてくれるのに、来ないから悪いんです。言ったでしょ? 触りたいんですよ、俺。ほら、固まってないで早く抱き返してください。 「部長、ぎゅってして。……焦らさないで?」 甘えて言えば、部長呼びにまで目覚めたらどうしてくれるんだ、とか喚かれたけど、知ったこっちゃない。 ****** 「「ごちそう様でした!」」 昼休み、部室。孝一と正宗は行儀よく手を合わせて言い、弁当を片づける。 「部長、椅子後ろに下げてロッカーに背付けて、ちゃんと座ってください」 「ん?」 正宗が不思議そうにしながらも孝一の言葉に従うと、孝一は彼と向きあうようにその膝上に座った。 「お、おう。今日はずいぶん積極的だな」 「昨日も積極的でしたけど?」 戸惑う正宗の首に手を回して、挑発的に微笑めば、彼はぼっと頬を染めて身じろいだ。 「重かったら降ります」 「重くない。……けど……これ、股間が……」 「当ててんすよ」 「お前っ!」 慌てる彼に逃げ場はない。孝一はロッカーに背を預ける彼に、上体をぴったり添わせ、下半身を更に擦り付けた。彼が「ひぃ……っ」と熱っぽい悲鳴を上げたことに気分を良くして、赤く染まった耳元に掠れた声で囁く。 「……正宗さん……」 「~~っ!!」 瞬間、正宗の足のつま先から頭の天辺まで、甘い痺れが駆け上がった。 「あ、本当に勃った」 「げーんーじー!?」 わなわなと震え、涙目で訴える彼を、孝一はさらに挑発した。 「孝一って、呼んで……?」 「――っ、孝一!」 彼の口から、その言葉が紡がれた瞬間、孝一の心を歓喜が満たす。甘い、桃色のそれが胸いっぱいに膨らんで、苦しくなる。 孝一は息を詰めて彼に口づけをする。 この気持ちを逃がさせて、吐息に混ぜて送らせて。そうでもしないと苦しくて、壊れてしまいそうで…… 唇を合わせれば、しなやかな腕に背を引き寄せられて、頭を掴まれて、荒々しいほど積極的に応えてくれる。 何度も啄むなんて、もどかしいことはしない。つよく唇を合わせたまま、角度を変えて、食んで、吸って、口内を犯しあって、舌を絡ませる。舌がびりびり痺れて生理的な涙が頬を伝う頃、やっと一心地ついて離れれば、銀の糸が名残惜しそうに舌先を結んだ。 正宗が抱え直そうと孝一の脇に手を入れると、彼は「ひぁっ!?」と悲鳴をあげてピンと体を張った。 「そんなとこまでエロいとか、反則だろ」 「知りません……っ」 座ったまま、孝一の背がロッカーに付くように反転する。 くすぐったいのか、気持ち良いのか、ぴくぴく震える彼が可愛くて、掌を脇下に添えたまま、親指を乳首に当てた。刺激を待って、ぷっくり膨れるそこをゆっくり押しつぶせば、彼はいやいやと首を振る。 「孝一?」 して欲しいことがあるなら口で言え、と促せば、名前を呼ばれたことで感度を増したのか、彼は目元を染めて高い声を上げた。 これだから、普段から名前でなんて呼べないのだ。こんな状況でなくても、正宗が呼べば、彼は切なそうな、嬉しそうな、とても危うい表情をする。自分がその顔に欲情するのは確かだが、それを他の誰かに見られるのが嫌だった。 「孝一?」 唇を噛んで羞恥に悶える彼をもう一度促すと、彼はますます泣きそうな顔になって、喉の奥から言葉を絞り出す。 「……もっと……っ、もっと俺のいやらしいおっぱい、いじめてください……っ!――んあっ!?」 「やりすぎ。でも、上出来」 「ひぁっア……ッ、ぁあっ!」 希望通り、実を押しつぶす指圧を強くして、ぐにぐにと角度を変えて左右の手の動きに変化を加えれば、彼の半開きの口から絶えず喘ぎ声が漏れた。 「お前、ほんとここ苛められるの好きだな」 「すき、すきです……っ!……ひ、んぁあン……っ」 「可愛い」 脇から胸まで全体を揉むように撫でれば、ぞわぞわっと孝一の体に震えが走る。 「ぁっ、ア……ッ、わき、ゾクゾクするぅ……っ――ひゃぁあ……ッ!?」 最後にと、乳首の中心に爪を立てると、彼は高い声で鳴いてビクビク痙攣した。 「さーて、お前も勃ったかな?」 正宗は、荒い息を繰り返す彼のソコを撫でるが、そこに思っていた感触は無い。 「……最っ悪、だ……っ」 孝一はぼそっと呟くと、プルプル震えて嗚咽を漏らした。 「勃つどころじゃない……っ、ぅっく……っ、もう……っでちゃ……っ」 慌てて正宗は悔しげに顔を歪める彼の頭を撫でて慰める。 「あ、あー……、俺の代えのパンツ貸すから、な?」 「部長のなんか借りたら、ノーパンより危ないことになる……っ」 「失礼な奴だな」 正宗が呆れたように言えば彼は頭を振って否定した。 「違くて、……授業中テント張ったらヤバいじゃないっすか……」 彼が正宗のパンツを履いて、授業中にも関わらず意識して興奮してしまう。その情景を思い浮かべてしまい、すでに熱を持っていた正宗のそこはさらに、爆発してしまいそうなほどに追い詰められた。 正宗は孝一のスラックスをくつろがせて、染みを作ったそこから彼のそれを取り出す。ぐちゃぐちゃに濡れたそれは本当に卑猥で、眩暈がした。自分のも取り出し、彼のそれに擦り合わせる。 「ふぁ、正宗さんの、熱い……っ」 「っ、お前のせいだよ」 孝一は熱い吐息を漏らした。 正宗の張りつめた猛りと一緒に揉まれて、擦られる。胸ばかりを弄られて、それもイッたばかりで感度の増したそこへの愛撫に、孝一のそれもすぐに涙をこぼし始めた。 「ぁ、ぁ、ぁぅんっ」 彼が両手で愛してくれるから、孝一は自分がずり落ちないように彼にしがみつく。しかし、彼の体に足を絡めると、愛撫する手の動きが緩慢になった。 「正宗さ……っ!」 自身への愛撫を止め、孝一の鈴口ばかりを指先で弄ぶ彼に抗議する。 「なんだ?」 「ひぁあっ!?」 さらに意地悪く、弱い左耳に息を吹き込まれれば、今にも破裂しそうな熱をさらに追い詰められて、孝一はひいひい息を詰めた。 「ほら、どうして欲しいか言ってみ?」 「くっそ……っ」 やられてばかりいられるかと、正宗の耳元に口を付け、そこにダイレクトに台詞を吹き込む。 「――もっと、もっと強く、こっすください……っ! 正宗さんの、熱いのと一緒に……っ、ぐじゅぐじゅってして……っ!!」 「ふぉっ!?」 孝一の反撃に、正宗は間の抜けた声を出すと共に、密着した局部をびくりと震わせる。孝一はそれに気を良くしてさらに言葉を重ねた。 「はやく、もっとぉっ」 箍が外れたように正宗の手がストロークを強くする。 「あ、ぁっ、やら……っ、もう、正宗さんの手、きもちひぃよぉ……っ!」 彼の興奮に触発されたのか、それとも自分の台詞に自分まで煽られてしまったのか。淫らに喘ぐほどに感度が増すようで、孝一自身、演技なのか本当なのか分からなってきた。 「んぁあ……っ、もう、もう……っ、くる……っ、きちゃう……っ!」 耳を吸われたら、もう全部分からなくなって、 「まさむねさん、まさむねさん……っ!!」 「孝一……っ」 名前を呼んで、切なくなって、貪るように唇を合わせて、そのまま二人で熱を放った。 「……お前なぁ……」 孝一を抱きしめたまま、正宗は弱った声で彼を咎めた。 「なんすか、ド変態」 「……このビッチが」 冷めた声で応戦してくる孝一に、唇を尖らせる。 最後、喘ぎ声を耳にねじ込むように乱れる彼に、理性が飛んでしまった。それが少し悔しくて、悪態を吐いた。 「言っときますけど、部長が初めてですよ。好きな人とやるの」 しかし、彼が予想外に傷ついた声を出すから、すぐに後悔した。 「好きな人とって……、あ」 「なんすか」 「何でもない」 それは、きっと彼のトラウマだ。自分は彼を癒すために動くべきなのに、こんな悲しい顔をさせるなんていけない。正宗はすぐに、孝一の小さな頭を撫でた。 「俺だけに淫乱なん? たまんないわ」 笑みを含んでそう言えば、彼は逃げるように正宗から降りて、距離をとる。顔を背ける彼の目元が緩んで、じわじわと頬が赤みを帯びた。 そんな彼が可愛くて、手を伸ばす。しかし、その手が届くことは無かった。 「ぎゃあっ!」 足が痺れて立てずに崩れ落ちたから。 「ぶっは、ださ……っ!」 それを見た孝一が腹を抱えて正宗のすぐ近くに蹲る。 「震えるほどか!? てか、笑いすぎだろ!」 孝一はなんとか笑いを収めると、わんわん騒ぐ正宗の頬をそっと撫で、大人しくなった彼の耳に口元を近づけた。 「愛してます、ま・さ・む・ね・さん」 「源氏~~!!」 ふっと息を吹きかけられた正宗は、真っ赤になって打ち震えた。 ****** 「お疲れ様でーす」 放課後、孝一が部室に戻ると、正宗を除いた最後の部員が丁度出ていくところだった。 「おう、源氏もお疲れ」 入れ替わりに部室に入ると、正宗が一言。 「鍵」 (ぁ、そういう……) 孝一は後ろ手に鍵を閉めると、部誌を書く正宗に歩み寄った。 正宗は、ノートを閉じて席を立つと、孝一をロッカーに向かせ、その背に覆い被さって彼を閉じ込める。 「何、盛ってるんすか?」 くくっと喉で笑うの孝一の腰に手を這わせた。 「ん……っ」 「ノーパンとかさ、変態じゃん?」 普通なら、下着のゴムのあるはずのそこを指先でなぞると、腕の中の彼がもぞもぞと身じろいだ。 「……っ、あんたのせいでしょうが」 「でもさ、これで電車で痴漢にあったりしたら、つき出せないよな?」 「生憎、徒歩通学です」 「……俺、すごくお前に痴漢したい」 「変態」 罵りながらも、切なげな表情をする彼の桃尻をわし掴む。 「ひぁっ!?」 「大きな声出すと周りにばれるぞ。困るだろ? ノーパンなのばれたら」 「もう、スイッチ入っちゃってるじゃないっすかっ」 孝一が赤い眼尻で睨むと、正宗は目をギラつかせて喉を鳴らした。正宗の両手に尻を揉みしだかれて、きゅんと股間の布が突っ張る。 「ひぅ……っ」 不快感に身をよじる孝一の肩に、正宗は鼻を埋めて匂いを嗅いだ。洗剤と太陽の匂いに、彼の汗と体臭が混じって、媚薬のように正宗を熱くさせる。 「ぶ、ちょうっ」 「しーっ、部長じゃなくて、ただの変態の痴漢だろ?」 「変態!」 正宗は彼の内股に手を這わせながら、シャツの上から大きく弧を描くように上半身を撫でる。白いシャツが手の動きに合わせて徐々に捲れていき、日焼けしていない白い肌が覗いた。 「やめて……っ、ください……っ!」 ごくりと喉を慣らせば、孝一は怯えたように身を竦ませる。 「うそ、本当は止めて欲しいなんて思ってないんだろ?」 うなじを甘噛みすれば、「ひうっ」と喉の奥で悲鳴をあげて肩を震わせた。人を変態と言いながら、彼も空気に当てられて、完全に被害者になりきっている。 「あっ」 シャツ越しに乳首を引っ掻くと孝一は大きく背を逸らせた。 「ほら、静かに。皆にばれるぞ?」 「~~っ」 意地悪く囁けば、彼は健気に口元に手の甲を当てて声を抑える。 「それとも見られたい? 変態に体弄られて感じちゃってるの、見られたら興奮しちゃう?」 「ふぅぅ……っ!」 悔しそうに唸る彼の瞳から涙がこぼれた。正宗の胸に切ない痛みが走り、焦らしていられなくなる。 「んぁ!?」 突然股間を揉みしだかれて、孝一は大きく声を上げた。下着を付けていないそこが、直にファスナーで擦れて変な感じがする。 「んっ、ふぅ……っン!」 足をばたつかせて抵抗するのに、正宗は覆いかぶさるように密着して、腰を押し付けてきた。彼の高まりが、尻の割れ目にごりごり入ってくる。 「ぅんっ、うく……っ、ん~~っ!」 乳首をカリカリ引っ掻かれる度に股間がきゅんきゅん痺れる。その股間は布越しにぐりぐり苛められて、声を抑えるのも限界だった。 「制服、汚れてるぞ?」 「ぁ、ひ……っ」 「このまま出す?」 孝一は首をぶんぶん振って拒否する。 「そうだな。ズボンがどろどろになっちゃうもんな。そんなんじゃ恥ずかしくて帰れないもんな」 変に優しい声で言う彼に、今度はこくこく頷いた。 「じゃあ、我慢しないとな」 (――うそ) その声に孝一の背にぞくっと悪寒が走った。 正宗は孝一のシャツを捲り上げると直に乳首を捏ね、股間はズボンから出さないまま揉み続ける。慌てて身をよじって逃げようとする孝一を無理やり抱き込んだ。 「や、やだっ! やめて……っ、ヒぃんッ」 正宗は彼が暴れるのに構わず、ズボンに手を突っ込んで直に抜く。 「やぁっ、いぁっ! もう、でる……っ、でちゃう……っ! んぁ、やめ……っ!」 ぐちゅぐちゅといやらしい音を立てて射精を促すように絞れば、孝一は暴れるよりも、しがみついて射精感に堪えようともがいた。 「いやぁ……っ! もう、もう……っ!!」 「孝一、可愛い」 「――いやぁぁああっ!!」 正宗が彼の耳に直接言葉を吹き込んで、先端に爪を立てると、彼は遂にビクビク震えながら達した。 「ちょ、ちょ、ちょ……っ」 脱力して座り込こんだ孝一が正宗の股間に顔を埋める。正宗が慌てて引きはがそうとするれば、彼はいやいや、とさらにグリグリ顔を押し付けた。 「ひ、酷い……っ」 「源氏!?」 「俺が変に目覚めたら、どうしてくれるんすかぁ……っ」 正宗は泣きながら訴える彼に息を呑む。 「な、泣きながらしゃぶってみない?」 「変態!!――でも、部長のパンツ貸してくれたら、やったげますよ……」 そう言って口でファスナーを下ろす彼に、どちらが変態かと。 その夜、正宗のパンツとジャージを借りて帰った孝一が、「まさむねさんのパンツ、俺のでどろどろになってるぅ……」なんて、エロ電話を掛けるのはまた別の話。
息子の彼氏
僕の息子の孝一は、すごく可愛い。バリバリのキャリアウーマンの母親に代わって家事をしてくれるし、兄弟の面倒も見てくれる。毎日会社で広げる弁当は、品数多く彩り豊かで、愛妻弁当だと思われている。 さすがに負担になっているんじゃないかと思って訊いてみれば、楽しいのだと言う彼は、きっと天使の生まれ変わりに違いない。 幼稚園小学校では、表情が薄いと言われたが、何でかな? 僕から見れば分かりやすく表情が変わって見えるのに。格好つけたがりで皮肉屋なところも可愛い。それを言うと、本人には変だと言われるんだけど。 そんな息子が危険な目に遭えば助けるのは当然。僕は前の学校で遭ったことを絶対に許さない。可愛い息子を泣かせた奴らは僕が泣かせる。当然だろう? あれから男を怖がる彼を本当なら女子中にでも入れてやりたく思った。まあ、それは流石に諦めたけど。毎日彼に、しつこく今の学校のことを訊いた。最初の内は僕が心配しているのが分かるからか、クラスメイトや教師の名前を上げて細かく報告してくれた。でも、最近では面倒になったようで「別に」とか「まあまあ」とか「いつも通り」としか返してくれなくなった。お父さん寂しい。 愛しい息子、孝一と二人暮らしをする源氏雪永は、今日も朝から孝一の用意した香ばしいトーストとコーヒーを朝食にする。歯を磨きに洗面台に立つと、先に居た孝一が横に避けてくれた。 会社人間である雪永の朝は早いが、サッカー部のマネージャーを務める孝一の朝も早い。忙しいながらも、朝の数十分は息子と過ごす貴重な時間だった。 「ふんふふーん、ん?」 鼻歌交じりで彼の隣に立った雪永は、鏡越しに彼を見て固まる。彼の首には、痣のような赤い痕が付いていた。 ――一大事だ! ショックに固まりながらも、雪永はここ最近彼の様子がおかしかったことを思いだした。 雪永を気にして普段どうりでいようとしているのだろうが、彼の纏う空気が重く、表情も辛そうだった。休みの日でもピリピリして、日増しに隈がひどくなっていった。 そんなある日、雪永が家に帰ると、模様替えでもしたかのように、小物が減って、壁や床に小さな傷ができていた。 嫌な予感がしてすぐに彼の顔を確認すれば、前日までのピリピリした空気は無くなっていたが、危うさが増していた。目に色が無く、表情が動かないのだ。 「孝一、何かあったでしょ?」 そう訊いても、彼は「ない」「大丈夫」を繰り返し、時間も遅かったためにその日は諦めた。 しかし次の日、今日こそはと急いで帰宅すると、普段通りの彼がキッチンに立っていた。 「孝一?」 「なに?」 「学校で何かあった?」 「あったけど、終わった」 そう言った彼の目元が幸せそうに緩んだのが可愛くて、安心して抱きしめたら、料理の邪魔だと叱られたのだ。 ――そんな彼の首にできた痣。 「孝一、もしかして恋人できた?」 「!?」 歯磨きを終えて口を濯ぐ彼に訊くと、ブッと噴出し咳きこんだ。タイミング悪かったね、ごめん。 「なんで!?」 「首」 襟の広いTシャツから覗くそれを、ちょんと突いて教えた。 「は!? うそ!?」 「いや、学校のシャツなら見えない位置だけど。合意の上かな?」 訊けば、彼は首を押さえて俯いた。その反応に不安になる。 「孝一? どうしたの、もしかしてまた……」 「違う、恋人……だけど……」 「だけど?」 「……男なんだ……」 なんだ、そんなことか。 「そりゃ、孝一はゲイなんだから、そうでしょ」 そう言えば、孝一は顔を上げて、瞳を瞬かせた。 「紹介してくれないの?」 「いや、いきなりそれは……そんな重い感じになるのは……」 今度は頬を染めて目を逸らす。 「軽い気持ちなの?」 「違うけど……」 「軽い気持ちで息子に手を出されたら堪らないな。そもそもまだ中学生なのに」 「……もともと傷物だし」 「孝一、そう言う問題じゃないよ」 思わず低い声が出れば、彼がびくっと肩をすくませた。その肩にそっと手を置く。 「どんな人?」 「……優しくて、かっこよくて、俺のことすごく大事にしてくれる人」 ああ、良かった。目じりを染めて、切なげに瞳を濡らす息子を見て安心した。 「その人に会ってみたいな」 君を大事にしてくれる人に会いたいな。 ****** ぺちんっ 首に違和感を覚えて叩くと、手のひらに黒い虫の死骸と少量の血が付いてきた。 (そういえば、キスマークと虫刺されって、案外違うんだな) 孝一は、さっさと目の前の水道で手をゆすぐ。 「源氏」 すると、遠くから声を掛けられて振り返った。 「俺、ちょっと顧問のとこに行ってくるから、先に皆のところ行ってて」 そう言って正宗が、孝一の返事を待たずに職員室に向かっていった。 土曜日は、家庭科室を借りて孝一がチームみんなの昼食を用意する。 最初は自分と正宗の分だけ弁当を持って来ていたのだが、つまみ食いをしてきた人たちに、ずるい俺もと言われ、徐々に人数が増えていったのだ。作るのは好きだから、欲しいやつは材料費を寄越せと言って、結局部員全員、十五人分を作ることになった。 しかし、さすがにその量を部活前に用意するのも、学校まで運ぶのも大変だと思っていると、便乗してきた顧問が、家庭科室使用の許可を取ってきてくれたという訳。 「うまい!」 「源氏お前、良い嫁になるよ」 「むしろ俺の嫁になれ!」 「遠慮します」 美味しそうに食べてくれるのは嬉しいが、野島の要求には首を横に振る。 さすが運動部、重箱の中身は見る間に減っていった。それを見て孝一は「ぁ……」と声を漏らす。 ――卵焼きが無くなった。 「なんだよ。お前も食べたいなら、早く取らないと無くなるぞ」 その声に気が付いた李都が、最後に取った卵焼きを孝一の皿にのせてくれた。 「え、ありがとうございます」 「おまえ、たまに可愛いよな」 目を瞬かせて、素直に礼を言う孝一に、まじまじと彼が言うと、すぐに野島と根岸が茶化してきた。 「李都浮気か? 川島さんというものがありながら」 「え、川島さんいらないの? じゃあ俺が貰って良い?」 「良いわけないだろうが!」 そのやり取りに麻子がくすくす笑う。 そうこうしているうちに正宗が教室に飛び込んできた。 孝一は、学校で食べる弁当には必ず卵焼きを入れる。それは今、走ってきた彼の好物だからだ。 「あ! 俺の分の卵焼きが無い!」 孝一の背中から机を覗いた彼が悲鳴をあげて、孝一を抱き込んで落ち込んだ。 「こんなんで落ち込むとか、ガキっすか」 「源氏ぃ……」 「なんつー顔してんすか。ほら」 情けない顔をする彼の口元に、李都に貰ったそれを差し出せば、ぱっと瞳を輝かせて食いついた。 「源氏大好き!」 「はいはい」 正宗は孝一の後ろに椅子を持って来て、そのまま彼を背中抱きして落ち着いた。孝一は手を伸ばせない彼の代わりに、おかずとおにぎりをとってやる。 「お前ら、ナチュラルにいちゃつくなよ」 「先輩、今更ですよぉ」 呆れる李都に遊馬が気の抜ける声で返した。 「そう言えば、父さんにばれました。」 「え!?」 帰り道、正宗は油のきれた機械のように、ぎぎぎと孝一を振り返った。 「ななな、何だって……!?」 「部長に会いたいって」 「し、死刑宣告!?」 「いや、俺、部長のことちゃんと言っときましたから!」 「何て?」 「……当たり障りなく誉めておきました」 孝一が目を伏せて頬を染める。正宗はその髪を撫でた。 「じゃあ、安心して会えるな?」 「良いんですか?」 「何が?」 「こういうの、重くないですか……?」 正宗は、不安げに瞳を翳らせる彼に微笑む。 「重くないよ。お前、愛されてる証拠じゃん」 すると切なげに目を伏せた彼が、指先で正宗の裾を引っ張った。 「部長、キスしたい」 彼のその行動に、正宗は唇をひくつかせる。 (こいつ、こんな場所でなんつーことを……) 普通に人通りも車通りもある道で、先ほどから何度か自転車ともすれ違っている。 正宗はとんでなく可愛くねだる彼の頭を脇に抱えた。この触り方なら、誰かが見ても先輩が仲の良い後輩を可愛がっているように見えるだろう。 「人が居ないところで、な?」 そう言ってどさくさに彼の薄い唇を指先でなぞる。しかし、その指を、ちろっと赤い舌が舐めたものだから、正宗は彼の手を引いて走った。 「~~っ! お前なぁ!!」 脇道に入って彼を振り返れば、急に走らされて呼吸を乱した彼が、繋いだ手を口元に当てる。湿った息が指先にかかる。 「……正宗さん、キス」 正宗は周囲を確認することも忘れて濡れたそこに吸い付いた。 ****** 源氏宅の前で、正宗は自身の格好を確かめる。 昨日メールで、孝一と今日の服装について話した。 何を着て行けば良いか分からないと言えば、何でも良いでしょと言われ、そういう訳にもいかないと言えば、制服なら問題ないんじゃないすか? 何て言われて。 休みの日に制服で訪問するのはおかしくないかと返したのだが、結局制服で来てしまった。 さして長くもないのに無理やりハーフアップにしていた髪型は、校則的には問題ないが、彼のお父様から見たらどうなのかと、今日は下ろして後ろに撫でつけている。 これで大丈夫かと、母に確認したら、「あら、男前度が上がったわねぇ。どこに出しても恥ずかしくないわ。デート? たまには私にも紹介しなさいよね」なんて言われたからきっと大丈夫だ。ところでまだ紹介する覚悟はできてない。ごめん。 「よし!」 正宗は気合いを入れてチャイムを押した。 「やあ、よく来たね。いらっしゃい」 「ちょ、父さん!」 すぐにふわふわの髪の毛の男性が迎え入れ、正宗の両肩を掴んで揺さぶった。追って、孝一が彼の腕を引いて二人を引き離す。 正宗ははっとして、すぐに頭を下げた。 「宮本正宗と申します、宜しくお願いします!」 「そんなに緊張しないで。取って食おうって言うんじゃないから。僕は雪永って言います。宜しくね。続きは中入って話そう」 柔和な表情とふわふわした口調は、孝一より遊馬に似ていると思った。 「は、はい。お邪魔します」 靴を揃えて上がれば、孝一がちょいと肘を引っ張ってきた。 「結局、制服じゃないっすか」 「何着たら良いか分からなかったんだよ」 「はは、ごめんね。気を使わせたみたいで」 小声で話していたつもりだったが、雪永にも聞こえていたようで少し焦った。 「だから言ったじゃん。いきなり父さんと会うとか普通気後れするって」 「ちょっと話したかっただけなんだけどなぁ。そっちの座椅子どうぞ」 話しながらリビングに通された。孝一の家には何度か来たことがあるが、どの時もすぐに彼の部屋に入ってしまったので、この場所に座るのは初めてだ。 「失礼します」 「礼儀正しいねぇ」 そう言って雪永は、リビング・ダイニングから続くキッチンに向かった。 「緑茶で良いかな?」 「あ、お構いなく!」 「俺、淹れるよ」 正宗の隣に座っていた孝一が腰を浮かせるのを、彼は手を振って制した。 「良いよ、孝一は座ってて。君が淹れたらいきなり僕と正宗君の二人きりになっちゃう」 孝一は大人しく座り直すと、正宗の横顔をじっと見つめた。 「今日、雰囲気違いますね」 「髪縛ってないからな」 「ふーん」 目元を緩めて気持ちすり寄ってきた彼に正宗の頬も緩む。 「あの人、本当におしゃべりしたいって思ってるだけっすよ」 頬杖をついた孝一の片手が、きっちり膝の上で拳を作る正宗の甲を撫でた。 「そんな緊張しないでくださいよ」 そのまま指を絡めとられて、意識の一部が甘く痺れる。 「孝一、お茶請けあるかなぁ?」 「冷蔵庫の横の棚に、半生菓子があるでしょ」 雪永の声にはっとする。 「すみません、手土産の一つもお持ちしませんで」 「え~、いいよぅ。あ、あった! やった! これ、僕好きなんだよねぇ」 恐縮する正宗に緩い声が返ってきた。 「お待させしました~」 「ありがとうございます」 「いえいえ」 ローテブルに菓子とお茶を置くと、雪永は孝一と正宗の正面に座った。 「改めまして、孝一の父の雪永です」 「孝一君とお付き合いさせてもらっています。宮本正宗です」 「孝一から根ほり葉ほり訊いたよ。サッカー部の部長さんなんだって?」 きっちり正座をして頭を下げる正宗に、雪永はうふふと花を飛ばした。 「外も中も男前で優しくて、皆から頼られて、すごく人に好かれる人だからって、孝一がちょっと不安がってるよ。分かるなぁ」 「父さん!」 雪永の暴露に孝一が赤くなる。 彼がそんな風に言っていたのかと思うと、正宗の頬も熱を持った。 「孝一、最近すごく楽しそうで。これも君のおかげかな?」 「俺は引っ掻き回しただけですよ……」 その件に関しては、とても後ろめたい。 「いや、部長のおかげっすよ。そこは」 目を伏せる正宗の腕を孝一が引っ張って言うので、その頭を撫でた。 「正宗君はちゃんと孝一のことが好きなんだね」 「好きです!」 二人のやり取りを見ていた雪永は嬉しそうに笑う。 「ふふ、良かった。孝一を悲しませるなとか、裏切るなとは言わないよ。障害の多い関係だから、どうにもならないことも、気持ちが変わることもあると思う。でも、最初から半端な気持ちではいて欲しくなかった」 「部長はそんなことしない」 再び手を握ってきた孝一に、指を絡めて応える。 「俺と源氏……、孝一君は真剣に恋をしています」 「うん」 雪永の緩んだ目元は笑った時の孝一にそっくりだった。 リビングで話をしている二人を見て、孝一は目を眇めた。 (父さんあれからずっと、時代小説の話してるし。部長分かってないって……まあ、良いか) 「二人とも、運ぶの手伝ってください」 キッチンから孝一が呼ぶと、二人はそろって返事をした。 「うまそう。俺の好物ばっかりだ」 「へー」 嬉しそうに言う正宗に、孝一はそっけなく返した。 「美味い!」 「そりゃ、どうも」 そんなことは知っている。正宗が好きだと言うから、練習したのだ。美味しく無かったら困る。 「食べたら一緒にお風呂入ろうか?」 「ぶっ!?」 雪永の言葉に正宗が噴出した。 「男二人で入れるほど家の風呂はデカくない」 「残念だなぁ」 孝一が呆れて返せば、彼は本当に残念そうに眉を下げる。 「父さん部長のこと気に入りすぎだろ」 (いや、ギスギスするよりはよっぽど良いんだけど。でも、部長も苦笑いしてるし) 「どうして孝一は正宗君のことを部長って呼ぶのかな? 俺に紹介してくれた時は「正宗さん」って呼んでたよね?」 正宗がぎくっと肩を強張らせた。 「部長、名前で呼ぶと盛るんだよ」 「源氏!」 それに気づいた孝一がにやにや笑いながら言えば、 「若いねぇ」 なんて雪永がしみじみ呟いた。 その夜、結局泊まることになった正宗を、雪永が自分の寝室に連れて行こうとするから、孝一は「俺の!」と言って取り返した。
サッカー部のフェアリー
孝一にちょっかいを出したサッカー部の三年、李都周一(りとしゅういち)・根岸健介(ねぎしけんすけ)・野島康司(のじまこうじ)は、チャットサービスを利用して連絡を取り合っている。 孝一がサッカー部に復帰した夜、李都はそのルーム名を「反省会」から「フェアリー帰還!」に変更した。 『フェアリー帰還!』 李都:ついに、帰って来た!! 野島:ついに、輪に入ってきた!! 根岸:川島さんもな! にやにや。 野島:にやにや。 李都:な、なんだよ! 根岸:別に李都には何も言ってませんけど? 野島:で、いつ告んの? 李都:はあ!? 誰に!? 野島:川島さんに決まってんだろ。 根岸:え、むしろ何? 源氏に告るつもりなの? 野島:宮本差し置いてそれは…… 根岸:ライバル強すぎだわぁ。 李都:源氏なわけあるか!! 野島:でも李都、「源氏って可愛かったんだな」って言ってただろ。 根岸:ブッ!? 李都:いや、だって。あいつの宮本への懐き方、ひな鳥みたいじゃんか。今日だって、ツンツンしたこと言いながら甘えられるって、どんなテクだよ。 根岸:それな。 李都:俺らが出て行ったときなんて、人見知りの子が親にしがみついてるみたいだった。 根岸:あの時の俺らの罪悪感ぇ…… 野島:和解できて良かったな。 李都:ほんとにな。 根岸:明日からは可愛がろうな! そして孝一が復帰して間もなく、部室にゴキブリが出た日には、野島がトークルーム名を「ゴキブリ叩きゲームとは?」に変更して集まった。 『ゴキブリ叩きゲームとは?』 野島:ゴキブリ叩きゲーーーム!! 李都:どうなってんだ(白目) 根岸:どうしたん李都? ついにその小さい黒目が消失したん? 李都:目開いてんのか閉じてんのか分からない奴に言われたかねぇよ。 野島:さすがの宮本も引いてたな。 根岸:持ち帰りはヤバい。写真撮るのもヤバい。 李都:俺、あいつがケータイいじってると、チラチラ見ちまうんだけど。 野島:画像フォルダ怖すぎ。 根岸:俺は前に川島さんが言ってたことを思い出した。 野島:どんな? 根岸:「俺の嫁(洗濯物)に手を出すなぁ!!」 李都:おい。 野島:おい。 根岸:俺らのトラウマ。 李都:分かってんじゃねぇか。 野島:あいつが部室の掃除してるところ見たんだけど、表情がヤバかった。 李都:……どんな? 野島:古くなったストッキングを巻いた棒で、隙間とか溝を擦ってるんだけどさ、擦った後のそれを見て、頬染めてうっとりしてんの。すごく危ない目をしていました。 李都:ヒィッ 根岸:王司に聞いた話だと、片付けはテトリス感覚でやってるらしいぞ。 李都:ヒィッ 野島:なんでそこで「ヒィッ」だよ。 李都:へ、変態…… 根岸:否定できない。 野島:否定できない。 またある時は、落ち込む李都を見た根岸が、ルーム名を「李都撃沈」に変更した。 『李都撃沈!』 李都:やっちまった…… 根岸:まあまあ落ち着けよ。あれはお前は悪くなかったよ。 野島:宮本が顧問に呼ばれてる間に来た源氏が心配で、絡みに行ったんだよな。 根岸:李都が呼ぶじゃん。源氏がゆっくり歩いてくるじゃん。でもあれはきっと怯えてた。 野島:李都「なんだよ、呼んでるんだからさっさと来いよ!」がしっと肩を組む。 根岸:源氏「気安く触んな!」手を振り払って逃げる。でもあれはきっと怯えてた。 野島:どっちも言葉が足りなすぎだ。 根岸:川島さん「もう! 李都先輩はただでさえ目つきが悪いんだから気を付けてください!」 李都:俺だけが悪いのだろうか(白目) 野島:その後、宮本と一緒に戻ってきた源氏が、しおらしく謝ったのは可愛かった。 李都:ほんと、宮本さまさまだよ…… 部長である正宗は、同学年の友人でもあるが、頼れる部長として三人は尊敬していた。孝一の一件でも、三人のことを見捨てることなく、理性的に立ち回る彼の姿に感動し、彼の評価は鰻上りだった。 しかし間もなく、李都は「あの部長どうにかしろ」にルーム名を変更することになる。 『あの部長どうにかしろ』 野島:前言撤回が早いな。 李都:だって、あいつスキンシップ激しすぎて、もうセクハラ。 野島:まあ、前から思っていたけども。 根岸:ねぇ知ってる? 二年の間じゃ、あの二人公式カップルなんだって。毎昼休みセクハラしてるんだって。 野島:源氏がちょくちょくエロい声あげるの知ってる。 李都:あれ、まずいよな…… 野島:宮本も目がマジだからな。 ――根岸さんがプリンスさんを招待しました。 李都:!? 野島:根岸何してんだww 根岸:いや、源氏のクラスの様子はクラスメイトが一番分かると思って。 李都:これ、王司か。 野島:さすがプリンス() プリンス:ここ何処ですか? 根岸:来たなプリンス() プリンス:いきなり酷い! そんなこと言うと千尋さんとのメールに戻っちゃいますから(プンプン)! 李都:彼女じゃねぇのかよ。 根岸:お前やっぱり本当は彼女いないだろ。 プリンス:俺なんで呼ばれたんですか? 氷の女王の話すれば良いんですか? 李都:聞けよ。そして「氷の女王」、とは。 根岸:氷の女王ww プリンス:源氏のことですけど(キョトン)? 根岸:wwwwは? あいつクラスで氷の女王とか呼ばれてるの?? あとおまえ、キョトンとか説明止めろww プリンス:いや、サッカー部も妖精とかフェアリーとか呼んでるんだから大差ないですよ。 野島:たしかに。 李都:「氷の女王」とか「妖精」とか「フェアリー」とか呼ばれる中二男子、とは。 根岸:wwwwwww李都それやめてwwwwwwwwww 野島:根岸笑いすぎ、草刈れ。 根岸:ムwwwリwww プリンス:氷の女王は部長に溶かされてとろとろになります。 野島:生生しい表現やめろwwやめろ…… プリンス:そういえばもうすぐ合宿ですね。 李都:この流れでその話題ぇ プリンス:色々どうなるか楽しみですね!(シュワッチバイバイ!) ――プリンスさんが退室しました。 根岸:くっそwwww 野島:根岸が呼んだんだぞ、責任とれよ。 根岸:合宿超怖い(真顔) 李都:俺も。 野島:俺も。 車百合中学校サッカー部の夏休み恒例の合宿は、学校付属の合宿場で行われる。技術の向上よりも、寝食を共にし絆を深めることに重点を置いた合宿である。 当然合宿中も、三人は大いにチャットを利用することになるのだった。 ****** 合宿での孝一の仕事は、午前はドリンクを用意し、洗濯物を洗って干し、昼食を用意すること。午後は洗濯の続きと、部室と宿泊所の掃除と、夕食の用意することだ。 孝一にとってはご褒美のようなスケジュールだが、楽しさに興奮した分余計に疲れた。夕食を、あとは温め直して盛るだけ、という状態にし、仕事を終えた孝一は、家庭科室の机に突っ伏した。 ――源氏、源氏! 「ぅん……っ」 「源氏!」 ゆすり動かれて目を開けると、三白眼の強面が孝一を覗き込んでいた。寝ぼけた頭で状況を理解できない孝一は、肩を跳ねさせて彼から距離をとる。 「ひ……っ!」 「おい」 椅子から落ちそうになる孝一の手を彼が掴んできたが、思わずその手を振り払う。 「ぎゃあっ!」 結果、孝一は椅子から落ちて、強かに床に腰を打ち付けた。 「だ、大丈夫か?」 親切で孝一を起こしたはずの李都は、怯える彼に途方に暮れる。落ち着かせようにも、声を掛けるだけでびくつくので、どうしようもなかった。 「源氏」 他のチームメイトも手を出しあぐねる中、硬直する二人に、助けの声が掛かった。 「宮本! ミーティング終わったのか」 「ああ、悪かったな。遅くなって」 「いや、早いくらいだろ」 すぐに二人の間に入った正宗は、しゃがみ込む孝一の背中を抱えて立たせてやる。 「よっと! 源氏、目ぇ覚ませ」 「え、あ、部長」 「おう」 孝一は正宗を確認すると、やっと冷静に状況を理解して、慌てて李都と向き合った。 「あ、李都先輩! すみません。俺、びっくりして……」 「いや、俺もいきなり触って悪かったな」 李都は、気持ちしゅんと落ち込んで見える彼の頭に手を伸ばそうとして、正宗を確認する。彼が孝一を抱えたまま頷くのを見て、やっとその頭を遠慮なくかき混ぜた。 『李都ドンマイ』 根岸:ドンマイ☆ 野島:ドンマイ☆ 李都:俺が悪いのだろうか(白目) 根岸:でも頭撫でた時の源氏は大丈夫そうだったよ。 野島:不快そうな態度とってたけど、ちょっと目元染めてたから嬉しかったんじゃないか? 李都:ほ、本当か!? 根岸:宮本に感謝しないとだな。 合宿中の風呂は、学校近くの銭湯を借りる。 脱衣所で、シャツを脱いだ孝一は、刺さる視線にぞっとして、隣で服を脱ぐ正宗に助けを求めた。 「……部長……」 小さく呼べば、すぐに気づいて周りを制してくれる。 「お前ら、そんなに見てたら脱ぎにくいだろ」 その声に、野島と根岸は目を背けるどころか、遊馬を引き連れて二人に寄って行った。 「いや、だってあんまり綺麗に焼けてるもんだから」 「見ろよ、この王司の腕! 真っ白!」 「俺、赤くなるだけで焼けないんですよねぇ」 「だから、源氏見て、そう言えば冬は白かったよなぁ、と」 「てか、細くね?」 「ぎゃぁっ!?」 根岸が孝一の脇腹を掴むと、彼は悲鳴をあげて正宗にしがみついた。 「触んな」 孝一を抱き込んだ正宗が、根岸の手を叩く。 「お前はいつも触ってるくせに、ケチ」 根岸は口を尖らせてそう言うと、つまらなそうに手を振って、さっさと浴室に向かって行った。 「みんなタオルとか巻かないんすね」 先を争うように浴室に向かう面々を見て孝一が言う。 「こんなの、巻く方がからかわれるからな」 「ふーん」 「……でも、お前は巻いとけ」 興味無さげな孝一を見て、正宗が言った。 「は?」 「良いから。――お前の体、なんかエロいから」 「ばっかじゃないっすか!?」 孝一は彼に肩パンを食らわせて、腰にタオルを巻いた。 「はぁー……」 孝一は正宗の隣で湯船に浸かり、ほっと息をつく。 「源氏ー」 「根岸先輩」 肩を回して解していると、根岸が寄ってきた。 「お、名前覚えてくれてたんだ」 「まあ、さすがに」 孝一の隣に座った彼は、湯船に入るためにタオルを外した孝一の股間をじーっと覗きこんできた。 「なんすか」 孝一は膝を立ててそこを隠すと、正宗に体を押し付けて、彼から距離をとる。 「いやぁ、なんかな。運動部に囲まれてると、お前なんか生々しいな!」 「はあ!? ……て、ちょ!」 ぶしつけな視線と台詞に、本気で悪寒を覚える。しかし、すぐに正宗に背中から抱き込まれて、ほっと息を吐いた。 「セクハラ禁止」 正宗の発言に、孝一以外の全員が、「どっちが」とつっこんだ。 『根岸この野郎』 李都:お前、何やってんだよ! 根岸:いや、あの二人実際どうなのかなぁと。あと単純に反応が面白かった。 野島:お前のせいで目のやり場に困っただろうが。ところで源氏のナニはどうだった? 李都:お前もやめろ。 根岸:見てないし。俺目瞑ってたし。 野島:うそつけこの野郎、いつも開けてんだか閉じてんだか分からない目しやがって。 李都:風呂あがった後、あの二人髪乾かしあってた。 根岸:源氏、気持ち良さそうに目細めてたな。 野島:お前みたいになってたな。 根岸:俺の目のネタもういくね? 夜のお楽しみは、誰かしらが持ってくるカードゲームである。今年はウノ。毎年恒例のこれには罰ゲームがあり、一番負けの人は皆が考えた罰ゲームを集めた「罰ゲームボックス」から引いたお題を実行する。 そして今年の一番負け、孝一が引いた罰ゲームは、 『ビッチ臭がする台詞を言う』 「あ、俺これ得意っすわ」 「何でだよ」 孝一の意味深な発言に、すかさず李都がつっこんだ。 「これ対象は?」 「源氏の気分がノる奴で良いんじゃない?」 根岸の発言に、李都は「意味深なことを言うな!」と声に出さずにつっこんだ。 「じゃあ、部長」 「よし来た」 視線が集まる中、孝一は胡坐を掻いて座っていた正宗の膝に跨り、胸の上までTシャツをたくし上げる。 「俺のここ、部長のせいでこんなに赤くなって腫れてるの。責任とってください……っ」 瞬間、正宗はダンッと背後の壁を殴った。瞳孔が開いていた。 『その後二人を見た物はいなかった』 李都:この題にした奴面かせ。 プリンス:遠慮シマス。 李都:お前か。 根岸:お前だったのか。 野島:暇を持て余した。 プリンス:エースの遊び。 李都:うるせぇ。 プリンス:でも本当にあの二人、あの後居なくなったじゃないですかぁ(うるうる) 李都:うるうるすんなよ、可愛くねぇんだよ。あとあれはほら、その……連れションだろ……(震え声) プリンス:連れション(笑) 李都:殴んぞ。 合宿では、大部屋に全員で布団を敷いて寝る。 正宗と遊馬の間で眠っていた孝一は、夜中、もっちりした腕に抱きつかれて目を覚ました。 「ぅ~ん……ちひろさん……」 寝ぼけた遊馬に恋人と間違えられたようだ。孝一は遊馬とは、転入時からの付き合いで、彼が何となく父に似ていることからも、夕方の李都の時のように混乱はしなかった。しかし、恋人と間違られているために、体を這ってきた手の感触には悪寒が走る。 遊馬が左側に寝ていたために、左耳に吐息が当たり、ぞわっと血の気が引いた。甘ったるい香りと、すり寄ってくるもちもちした感触は、男臭くは無いがやはり気持ちが悪い。彼がプリンスと呼ばれるハンサムであっても、千尋にとっては恋人であっても、孝一からすればただの男だ。しかも寝苦しい夜でお互いに汗を掻いているものだから、吸い付く肌が尚更に嫌悪感を煽った。 孝一は悲鳴を上げそうになりながら、遊馬の腕から抜け出し、布団の端にぺったり座り込んで荒い息を繰り返した。 「源氏……?」 正宗は、隣で動く気配に目を覚ました。様子のおかしい孝一に声を掛け、彼の布団で体を丸める遊馬を見つけて状況を理解する。 「こっちおいで」 タオルケットを持ち上げて彼を誘った。無言で入って来た彼を、向かい入れる。正宗はそのまま安心したようにすり寄ってくる彼を抱きしめて眠った。 その朝、二人のあまりにも事後感あふれる寝姿に、チームメイトは戦慄し、孝一の布団で眠る遊馬に制裁を加えた。 『王司面かせ』 李都:言い訳は? プリンス:俺、何か悪いことしました?? 顔の落書き酷いですぅ(泣)!! 野島:オコ 根岸:激オコ プリンス:怒んないでくださいよぉ(汗)! 確かに、寝ぼけて源氏と恋人を間違えたのは悪かったですけどぉ! それはもう源氏に謝ったし、先輩に謝るべきは俺じゃなくて源氏と宮本部長だと思います! ――プリンスさんが源氏さんを招待しました。 李都:え 野島:え 根岸:え 源氏:何すか、ここ。あ、先輩たち、どうも。 プリンス:俺は無視!? 李都:お、おい王司!? プリンス:先輩たちが、今朝の源氏と部長の事後感に物申したいって。 源氏:いや、事後じゃないし。 李都:本当に事後だったら困るわ。 源氏:…… 野島:どうした? ――源氏さんが宮本さんを招待しました。 李都:!? 野島:え!? 根岸:ふぁ!? 源氏:俺だけ呼ばれるとか、不公平でしょ。 宮本:お前ら何してんだ? 源氏:部長、遡りましょう。 宮本:遡った。俺らの事後はもっと殺伐としてる。 根岸:え 源氏:そうでもなくないですか? 野島:え!? 合宿は、薄々気が付いてはいたが気が付きたくなかった、そんな衝撃の事実が発覚したものの、無事に終わりを迎える。 このチャットルームはこれからも、日々のくだらない雑談や、李都の悩み相談、部内ホモカップルの情報交換や愚痴に使われていくだろう。
虫刺され
「合宿お疲れ様です」 「「乾杯!」」 合宿の翌日。練習休みとなったその日、正宗は孝一の部屋にお呼ばれして、オレンジジュースで乾杯した。 ジュースを飲みながら、孝一が耳の下を気にする。正宗は彼の手を目で追って、その耳下と手の甲が、赤く腫れていることに気が付いた。 「お前、随分刺されてるな」 「俺、蚊に好かれるみたいで」 その手をとって見ると、甲だけでなく中指と薬指の間もぷっくり腫れている。 「うわ、痒そう」 「だから、そう言ってるじゃないっすか、ん!」 指を押し広げてチロチロ舌先で舐めれば、彼はびくっと手を引いて逃げようとする。正宗はそれに構わず、今度は甲にできたそれに口づけて吸った。 「今更、毒吸えませんよ」 二の腕、首と、見つけたそれに吸い付くと、その度に彼はびくびく震えて反応した。 「でも、気持ち良さそう」 「んく……っ」 耳の下のそれにも、ねっとり舌を這わせる。彼の急所に近い場所にあるためか、彼は首をふるふる振って抵抗した。 「か、かゆいぃ……っ!」 舌先で苛めれば、より身じろいで逃げようともがく。 「っ、もう弄んなぁっ……!――ふぁ……っ」 擽らずにちゅっと強めに吸うと、今度は気持ち良さそうに息を吐く。 「んっ!」 軽く歯を立てれば、びくっと喉を逸らした。 「他は何処刺されたん?」 訊けば、これ以上は嫌、と首を振る。 「じゃあ、探すか」 正宗は彼をベッドに倒し、ズボンを脱がせた。ほとんど抵抗しないことから、彼もその気だと分かる。蛍光灯と、窓からの光に晒された彼の白い足に、赤い痕がぽつぽつ散っているのを見下ろして、正宗は喉を鳴らした。 「虫刺されに欲情するとか、ほんと無い……っ、ひンっ!」 正宗は膝頭のそれを撫でながら内股に潜り、一番際どい場所にできたそれに舌を這わせる。脊髄反射で孝一の膝がびくっと跳ねて、内股はビクビク痙攣した。 「ぁ、ぁ、いぁ……っ!」 徐々に反応してきた彼の中心に、正宗は態と頭を擦りつけるように動かす。 「や、髪の毛っ! 痒い……っ」 孝一が頭を押し退けてくるので、大人しくそこから離れて、今度は彼の足を大きく上げさせて、ひざ裏のそれを舐めた。 「んぁ!?」 蹴り上げてきた足を掴むと、その足の裏にも見つけて、ねっとり舐め上げる。 「ひぁぁあっ!?」 孝一はゾクゾクと這い上がってくる痺れるような感覚に枕を抱き込んで打ち震えた。 「も、かゆひ……っのか、ひもちぃ……っ、のか、わかんな……っ」 正宗は続いて逆の足を調べて、親指の腹に見つけたそれを、歯を立てて吸った。 「ひんっ! 吸わなっ、吸わな、でぇっ……! こふっ」 「あ、おい大丈夫か?」 咳き込んだ彼を抱き起こして、背を撫でる。 「こふっ、くふっ、はぁー……、部長……」 「ん?」 孝一は正宗の広い背中に手を回して、ぎゅっと抱きついた。少し位苦しくても、彼の体温に包まれれば安心する。 「変態プレイでも、触ってもらえて嬉しいっす……合宿中はこういう事できなかったから」 正宗は、胸がきゅんと痺れるのを感じた。孝一の言葉や態度はいつも正宗のツボを突いてくる。堪らず、可愛いことを言う彼の口を自分のそれで塞いで、胸を弄った。 「ん?」 しかし、いつもと違う感触に手を止める。 「あ、そこは……っ!」 シャツを捲り上げると、彼の可愛い小さな桃色の実が、絆創膏の下に隠されていた。 「何これ」 「部長が、いつも弄るから、シャツ擦れるのが気になって……、だから……」 訊けば、彼はいつものふてぶてしい表情を崩して、恥ずかし気に答える。 「お前、その顔やばい」 「ひぁんっ!」 絆創膏の上から舐めれば、その体が大げさにびくんと跳ねた。 「シャツ、自分で押さえて」 言えば、彼の手がたくし上げたシャツを固定する。合宿のウノの罰ゲームの時と同じ体勢だ。今は見えないそこは、絆創膏の上からでも分かるほどに、ぷっくり形を主張している。 「ぁ、ぁ、ぁぅん……っ」 カリカリ爪を引っ掛けられて、孝一は絶えず甘い声を漏らした。 絆創膏で蒸れたそこは、感度を増して、掻かれる度にピリピリ痺れる。 「シャツ下がってきてる。ちゃんと捲って、俺にエッチな躰見せて?」 正宗がそう言いながら乳首を引っ張ると、絆創膏の端が剥がれて、乳首の先端にくっ付いた。 「ひぁぁああ……っ!」 快感が、胸から喉、顎、舌へと這い上がってくる。触られているのは胸なのに、脳までむず痒く痺れる気がした。 正宗は、孝一の高く鳴く声を聞きながら、そこを絆創膏ごとグリグリ捏ねる。 「やぁ……っ、ぁ、あっ、ひぃ……っ!」 乳首の先端部分に触れている場所を、爪先で摘まんで引きはがす。 「ぁん……っ!」 顔を出した真赤に色付くそれを唇で食み、熱をもったそこを舌先で優しく愛撫した。 「は、ん……っ、ぶちょう……っ」 「ん?」 「気持ち、良いです……っ」 「ん」 正宗は彼を仰向けに寝せて愛撫の場所を徐々に下げる。薄く浮き出たアバラを撫でて、臍にできた虫刺されを舌先で抉った。 「ひ、ぁ……っ、そんなとこまで……っ」 「マジで刺されまくりだな。可哀そう」 「なら、もっと労わってください……っ」 「充分労わってるだろ?」 正宗は彼から離れると、部屋の端の可動式の姿見をベッドの横に移動させた。 「ほら、俺が弄ったところ、気持ち良さそうに赤く熟れてる」 彼の背中に回って、見せつけるように体の線をなぞる。 「へ、変態!」 「ここ、こんなにして。変態はどっちかな?」 彼の足に膝を入れて開脚させ、先走りで染みを作ったそこを露にする。 「やめ……っ!」 「なぁ? どっちかな……?」 染みに沿って指先をゆるゆる動かすと、彼は顔を歪めて熱い吐息を噛み殺した。 「ぁ、ぁ……っ」 「エッチな顔」 「やぁ……っ、見ないで……っ」 「いつもより興奮してる?」 「してない……っ」 「本当に?」 「……ぅっく……」 「泣いちゃうほど気持ち良いのに?」 言葉で意地悪く攻め立てれば、恥ずかしさに耐えられなくなった彼が嗚咽を漏らす。 「ほら、ここどろどろだぞ?」 染みの上から円を描くように指先で柔く押す。時折指を離せば、ぬるっとそこが糸を引いた。 「パンツの上から糸引いてる。ほら、見てみろ」 「あ、ひ……っ、……もう、やだぁ……っ」 「やだ? 嫌じゃないだろ? ほら、ちゃんとおねだりして」 身をよじる彼の耳元でいっそう煽る。 「ちゃんと、触って……っ」 「違うな。ちゃんと変態だって、認めて。俺に謝らないとなぁ」 孝一はぎゅっと顔を顰めて、声を絞り出した。 「~~っ、俺は、自分の痴態を見て、かん……っ、感じちゃう……ひっく……っ変態、です……っ」 遂にぼろぼろ涙をこぼして、最後は悲鳴を上げるように訴えた。 「ごめんなさい……っ、あやまるから……っ、……ぐちゃぐちゃになったソコ、まさむねさんのこと待ってるの……っ! ちゃんと、触ってぇっ!」 「良くできました」 その可愛そうで可愛い孝一の姿に、こちらの方が我慢が効かないと、正宗はすぐに彼のパンツをずり下ろして局部を晒し、大きな手で包んで揉んだ。 「ひあぁ……っ!」 孝一は鏡に晒された自身のあられもない姿から首を振って目を背けようとする。しかし、正宗はそれを許さず、片手で彼の顎をわし掴んで鏡に向けて固定した。 「目、閉じたら、分かるな?」 根元をきゅっと握られて、孝一の背筋が凍った。青い顔でこくこく頷けば、正宗は良い子、と頬に唇を落とす。 「あっ、だめ! だめぇ……っ!」 再び始まった愛撫に、孝一はビクビク体を跳ねさせた。 「気持ち良いんだろ?」 「うっひ、っぁぁあっ!!」 先走りを擦り込むように先っぽをぐじゅぐじゅ擦られて、孝一はあられもなく乱れ、鏡に向けてびゅくびゅく白濁を放った。 「いっぱい出たな」 「言わないで……っ」 「孝一? 俺も出したいんだけど?」 正宗は腕で顔を覆ってしまった彼の耳に囁く。 「……ん……」 小さく返事をした彼を俯けに寝かせて、蕾を覗いた。 「……こんなところまで刺されたのかよ」 「ひっく……っ、ぅう……っ」 嗚咽で返す彼のそこは、いつもより赤く腫れ、薄い皮膚がツルンと突っ張っている。指先で撫でると、穴がひくひくと収縮した。 他の虫刺されと同じように舌を這わせると、慌てて彼が逃げようとする。 「や、やぁっ、そんなところ、舐めな……っ!」 声を荒げる彼を無視して、腰を引いて吸い付いた。 「いぁ、ア……っ!」 「ひくひくしてる。」 「あ、ひ……っ、かゆくて、ずっとひくひくしてて……っ、はやく指入れて欲し……っ」 「ずっと待ってたのか? エッチだなぁ」 誘われるがままに指を入れると、ローション無しでも第一関節まで入った。 「ぁ、ぁ、ふっ……、ひもちぃ……っ」 入口付近で指先をグルンと回して、一度抜く。 「ふぁあ……っ」 名残惜しそうに収縮を繰り返すそこに、今度はローションをたっぷり注いだ。 「つぁあ……っ!?」 常温に慣らさずに、直接注がれたそれの冷たさに、孝一は悲鳴をあげる。 「痒みには冷たい方が気持ち良いと思ったんだけど」 「ばか!」 正宗は「ごめん」と呟いてゆっくり奥まで指を挿入した。 「そろそろ良いか?」 余裕で指を三本銜え込んだそこから指を抜き、自身を当てる。孝一はこくんと頷いて、正宗に手を伸ばした。 「ほら、おいで」 その手を引いて、抱きつかせる。ぐぐっと腰を押し進めると、「んん……っ」と彼の喉が鳴った。 「う、ひ……っ、広がるの、気持ちぃ……っ」 「動くぞ……!」 全部入れ終わり、断りを入れて律動を開始する。 「ぁ、ぁ、ぁ……っ、もっと奥まで……っ」 奥まで入れているつもりでいたのに、そんな風に言われたので、最奥まで入れた後にぐりっとさらに腰を押し付けた。 「あ、ひぃんっ、……毛が、擦れて……っ、きもちぃ、のぁ……っ!」 言葉の通り気持ち良さ気に、彼のそこが正宗のそれをぎゅんぎゅん締め付けてくる。 「っ、ごめ、俺もう……っ!」 「う、ん……っ、まさむねさ、いっぱい出して……っ」 正宗が切羽詰った声を出すと、射精を促すように孝一の中がきゅんと締まる。 「ーっぅ!」 「ひぁ、ぁ、ぁ、あ! でてるっ、どぴゅどぴゅいってゆ……っ! ぃぁああぁあ――ッ」 最後まで絞り出すように腰を打ち付け、ぐりぐりと押し込み、入口をじゃりじゃり擦れば、孝一も高く鳴いて果てた。 賢者タイムを迎えた二人は、並んで仰向けに寝転んだ。 「何時に無く……」 「……合宿明けで高揚していたということで……」 孝一は言い訳がましいことを言う正宗に、冷ややかな視線を送る。確かに自分は抵抗しなかったが、虫刺されは弄れば一層痒みを増すのだ。 「いや、でもお前の虫刺されとチクバンも悪いから!」 「人の所為にしないで貰えますか。というか、虫刺されこそ弄って欲しくなかったんですけど」 自分が最中ノリノリだったことは棚に上げた。 「……すみません」 ツンと横を向けば、正宗はとても情けない声を出した。その声に、可愛いだなんて思ってしまう。 孝一は彼に向き直って体を擦り寄せた。 「……しょうがないから、正宗さんなら変態でも許します」 孝一の耳の下には切っ掛けになった赤い花が咲いている。 「もう1ラウンドいっても良い?」 駄目元だったのだろう、恐る恐る訊いてきた彼に、孝一はこくりと頷いた。
勝っても負けても
鮮やかに青く輝く空に、綿のような雲が一塊浮かぶ。目に痛い光と、溶けるような暑さの中、サッカー部レギュラー陣はコートを駆る。吹奏楽部の応援演奏が体中に響き渡る。エネルギーが蒸気になって迸る。 「李都せんぱーい!!」 麻子が叫んだ。開始から叫び続けて潰れかけた声で。しかし孝一は叫ばない。ただ、応援席の手摺から乗り出して、じっとボールの行方を見守った。 試合終了まで残り十秒。スコアは4―4。残り五秒でボールが正宗に渡る。3・2・ 「……正宗さん!」 思わず彼の名前が口を出た。タオル越しに鉄の手摺を握る。暑さなんてもう分からない。 「――った」 孝一の緊張した表情がふにゃりと崩れる。 「「やったーー!!」」 残り一秒、正宗のシュートで勝負が決まった。孝一と麻子は飛び上がって両手を打ち合う。 「すごい! すごいよ! 県大会優勝だよ!!」 麻子の言葉に孝一も大きく頷いた。 顧問の沢城はそんな二人に穏やかな視線を向ける。 「二人は仲が良いね」 「もちろんです!!」 麻子はにこにこ笑いながら孝一の指に指を絡める。沢城は「ほう」と意味ありげに呟いた。 「皆さんのところ行きましょう!」 麻子が飛び跳ねながら走って行く。 行きましょう、は誘いの言葉だ。しかし、孝一は動かない。眩しいものを見る様に彼女の背中を見送った。 「源氏君は行かないの?」 「……集合場所はこっちでしょう」 麻子は、ずっと選手と共にいた。スコアボードを回して、記録をとって、癒しになって、サポートしてきた。でも、自分は違う。彼女の声援を聞く度に、自分の声は喉に引っかかった。彼女が声を高く上げるほど、試合に興奮する心の隅で、ひやっと冷えるものがあった。彼女のように、純粋に彼らに接してこなかった自分なんかが、応援をしても良いものか。ずうずうしくも喜びを分かち合って良いものか。 孝一は曇った表情で荷物をまとめた。 「先生、その荷物も持ちましょうか」 「いいよ、これでも教師の中じゃ若い方なんだから。寧ろ俺がお前の荷物を持とうか? それに、俺を気にしないで、源氏君もみんなのところに行って良いんだぞ」 荷物をまとめた沢城は最後にキャップ帽をかぶり直して立ち上がった。 「源氏ー! 先生ー!」 階段状になった客席の上から、正宗が呼んだ。その後ろに李都と、麻子、他部員も引き連れている。 「ほら、お呼びだ」 沢城が歩き出すので、孝一もその後ろに付いて行く。 「先生! やったよ!!」 「沢城先生!」 「上条監督、ありがとうございます。おめでとうございます」 部員はすぐに沢城を取り囲む。孝一の足はその輪に入る前に止まってしまった。 (あそこは、俺の行く場所じゃない) 「源氏も早く来い!」 正宗に呼ばれて身がすくむ。行きたい。でも、行っても良いのか。 切なげに目を顰める孝一に、正宗が手を差し伸べた。 「ほら、おいで」 そう言って優しく微笑む彼に、孝一の眉間に皺が寄る。胸が苦しい。嬉しくて、きゅんと痺れる。 「――そんなの、あんたが呼びたいだけじゃないっすか!」 一歩踏み出して彼の手をとると、ぐっと引かれてよろけた体を抱きとめられた。すぐに抱えられて足が浮く。 「ぎゃー!? 何してんだあんた!」 「お姫様抱っこ」 「しれっと言ってんな!」 「ああ! 孝一先輩ずるいです! 私もして欲しいです!」 「川島さんは李都がやってくれるよ」 「ええっ!?」 李都が顔を真っ赤に染めて、期待の目を向ける麻子を「ままよ!」と叫んで抱き上げた。「ままよって」と野島と根岸が彼を指して笑う。 孝一が正宗に抱かれて輪に入れば、すぐに遊馬が飛びついてきた。 「源氏! やった!! 見てた!? 俺得点入れた!!」 「お前はいつも入れるだろ」 「源氏! 『おめでとう』と言え!!」 「根岸先輩、おめでとうございます。皆さんおめでとうございます」 「ごめん、やっぱり違かった。『やったー!』と言え! 俺らと一緒に!」 「や……」 声が喉に詰まった。今度は場違いだと怯んだわけじゃない。感極まって、喉が詰まった。 ――入っても良いんだ。 「やったー……っ!!」 くそう、声が裏返った悔しい。 「あ、源氏ちょっと泣いてる!」 「泣いてねぇよ、馬鹿王司!」 暴れて落ちそうになった孝一を正宗は抱き直して、赤く染まった耳に囁いた。 「源氏、俺だけじゃない。みんながお前を呼んでんだよ」 ****** ――ピッピッピーッ 耳に痛いホイッスルが、頭の天辺を麻痺させる。鮮やかに青く輝く空が、こちらを嘲笑っているかのように見えた。忘れていた暑さと湿度が、一気に襲い掛かってくる。 「……終わっちゃった……」 孝一の隣で、麻子がずるずると座り込んだ。 コートでは、膝をついて土を叩いて悔しがる遊馬の肩を、正宗が叩いて立たせていた。選手はそれぞれ静かに歩きだし、応援席前に整列する。 「皆さん、応援ありがとうございました!」 正宗に続いてみんなが頭を下げる。力強い声だ。でも、力みすぎて震えている。それはそうだ。だって三年生はこれで終わりなんだから。孝一の視界が滲む。 なんで俺が泣くんだよ。あの人たちだって堪えているのに。必死で戦って、一番悔しくて、泣きたいのはあの人たちの筈なのに。 選手が戻って行くと、孝一は控室と逆方向に逃げた。 「孝一先輩!?……先輩……」 麻子は一瞬驚いたが、すぐに彼から目を逸らした。 「源氏君のところに行かなくて良いの?」 沢城の言葉に麻子は首を横に振る。 「それは私の役目じゃないんです」 それだけ言って、歯を食いしばって、自分と孝一の荷物をまとめた。 「源氏は?」 正宗は部員を置いて一人、三人が待っているはずの場所に来た。 本当なら部長の自分が、傷心する仲間を置いて一人で行動するだなんてあってはいけない。頭では分かっているが、耐える涙腺も、張った気持ちもぎりぎりで、彼を求めていた。しかし、いる筈の場所に彼はいない。 「孝一先輩は泣きながらどこかに行ってしまったので、迎えに行ってあげてください」 「あいつはまた……」 正宗が呟くと、麻子がズッと鼻を啜った。その頭を撫でてやる。 「李都が待ってるぞ」 「……はい」 二人のやり取りを見た沢城は「あれ?」と首を小さく傾げた。 正宗は二人と別れるとすぐに、ケータイで孝一を呼びだす。数回コールすると、彼がぼそぼそと出た。 『もしもし』 「源氏、今どこにいる?」 『……今は、会えません』 「会いたいんだけど」 『……』 「泣いてんの?」 『泣いてません……っ』 うそつけ、声が震えてるくせに。 「お前が居ないと安心して泣けないんだけど」 俺だって、泣きたいんだけど。 『……本部棟の二階のトイレに居ます』 「待ってろ」 本部棟二階は、事務室があるだけの大会には関係のないフロアで、廊下もトイレも閑散としている。窓からの光のだけが射す、薄暗い空間に、コツコツと正宗の足音が響いた。 「源氏?」 一つだけドアのしまった個室の前で、彼を呼ぶと、すぐにドアが開いて、真っ赤に目を腫らした彼が、立っていた。自分ごと彼を奥に押し込んで、後ろ手に鍵を閉める。彼を腕の中に収めると、やっとじわじわ体が熱くなって、頭の芯がぼうっと滲んで、喉が震えた。 「~……っ」 声も無く涙を流す正宗の胸に、頭を押し付けられた孝一は、どうしたら良いのか分からなくなって、震える背中を抱き返えした。 「男がそんなに泣いてどうするんすか」 「うっさい、お前もだろ!……あいつらの前じゃ泣けねぇんだよ」 次のある奴ら前では泣けない。だって、自分は託さないといけないから。 孝一は、身じろいで、顔を上げる。ブサイクに歪んだ男前の頬を撫でた。 「……次に進むための涙なら、惜しまなくて良いと思います。誰の前で泣いたって、遊馬の前で泣いたって、良いと思います」 この人は強い。でも、もっと弱くても良い。いや、充分に強いから、それ以上に強がらなくて良いと思った。 「部長の今の気持ち、俺にください」 悔しいんだって、悲しいんだって気持ちを、隠さず投げつけてくれた良いのに。 ぐっと背伸びをして正宗に口づける。 「――お疲れ様でした」 そうしたら受け止めて次に繋ぐから。自分は選手じゃないけれど、繋げられるように全力で支えるから。 彼の唇は甘い塩の味がした。 「源氏~っ!!」 「うわっ、汚!」 集合場所に着くなり飛びついてきた遊馬を引き剥がす。女子に人気のハンサムな顔がどろどろに崩れていた。 「ひどっ!? 二人も泣いてたくせにぃ!」 「ぎゃー!」 「そうだぞ! というか、お前らだけ隠れて泣くなんてずりぃぞ!」 遊馬に抱き直されて叫ぶと、今度は根岸が突進してきた。その勢いで遊馬と二人でよろけたところを野島に支えられる。 「言っただろ? 勝手に待ってるんだよ。自分は違うとか思うな――痛い!」 すかして言う正宗の頭を李都が叩いた。 「お前もだっつーの!」 そうだそうだと皆で囲んで叩きまくる。 「痛い、痛い! 泣くぞ!」 「おー泣け泣け」 団子になって騒ぐ部員を見て、 「みんな仲が良いね」 と、沢城がカメラのシャッターをきった。 もみくちゃになった集合写真は、遊馬が部長を引き継いだ、サッカー部の部室の壁に飾られている。
マネージャー編 <完>